第3話 羊飼い
午後にヨナタンが馬に乗ってやってきた。
「マルーシャ!」
マルーシャの従者であるヨナタンは、身長も高く美青年で異性の人気も高かったが、実際は気が弱くて何に関しても奥手で、たいていの女の子をがっかりさせるのだった。
「行こうか」
白馬にまたがって濃い紫色の剣を下げている以外は、平民の麻服でなるべく目だないようにしているが、それでも見た目はりりしいヨナタン。
マルーシャも栗毛色の馬に乗り、銀色のマントこそ付けているものの、その下は平民服で目立たなくしていた。
「あなたその派手な白馬はなんとかならないの?」
「うん、でも僕この子じゃないと相性が……」
「しょうがないわねえ」
ヒルトラウト湖の南を迂回しながら、コルドゥラ山脈のふもとにあるインゲ村へ向かう小道を進む。
「ギルバートのうちはどう?」
「うん、順調に暮らせているよ」
ヨナタンは、ふだんはギルバートの家で一緒に暮らしている。アイヒホルンとヒルトラウトを結ぶ街道の宿場のようなところらしい。
「隣の家が花屋さんで、ひまなときは手伝っているんだよ」
「そうなんだ。あなたは花が好きだもんね」
ヨナタンは店に売っている花だけでなく、そのへんに生えている花の名前もなんでも言うことができた。
「これから楽しみな季節だね」
少し山を登ると、高山植物が咲き乱れる季節になるのだ。あまり頻繁に見に行くことはできないが。
インゲ村までなだらかな坂道が続く。
ローレシア大陸の北部。アイヒホルンやマルーシャの住むヒルトラウト湖周辺がすでに標高がそれなりに高いのだが、インゲ村に向かうあたりからさらに高くなっていく。
「最近何の勉強しているの?」
マルーシャとヨナタンは、いっしょにヒルトラウト湖の館でマリーやギルバートから何かを習う時もあるが、まったく別々に勉強することもある。
「惑星の法則かなあ」
馬を器用に操りながらヨナタンが答える。
「え、何それ」
「今いるこの惑星上の文明の中心が、八百年ごとに切り替わっていく、ていう法則があるらしいんだ」
「ふうん」
「それで今まさに栄えているのがこの国の首都ビヨルリンシティ」
「ほう」
「それも、右回りと左回りに交互に、緯度で二十二度三十分ずつずれていくらしいんだ。しかも、マテリアル文明とマジック文明というかたちでも切り替わる」
「へえ、なんか面白そうね」
でも、とマルーシャが続ける。
「わたしそれ習ってない」
「あ、でも、マルーシャは魔法とか歌とかもあって忙しいからね。僕は魔法使えないし……」
マルーシャの言葉にやや怒気が含まれていたのを感じ取って、あわてて言葉を付け足すヨナタン。たしかに、マルーシャは有数の歌姫で、かつ屍道魔法の使い手だった。
「もっと教えてよ?」
「うん……。その周期なんだけど、実は八百年という小周期に加えて、約一万三千年という大きな周期があって、それによってもマテリアルとマジックが入れ替わるらしいんだ」
「今はどっちなの?」
「今はたしか、大周期もマジックで、小周期のビヨルリンシティもマジック文明だった気が……」
「で、いつ切り替わるの?」
「え、それはまだ習ってないね……」
「あなたいつも肝心なところが抜けるわね」
「ご、ごめん……」
「で、次はどの都市に切り替わるの?」
「え、えっと、それも……」
「はあ」
マルーシャはため息をついた。
「まあいいわ、帰ったらギルバートに問いただしてみましょう」
インゲ村が近づいてきた。
と言っても、集落があるわけではない。その村ではどの家も広い牧場を持っており、隣の家まで十キロ、ということがざらにあった。
彼らはある羊飼いの家に向かっていた。
「クラーラ!」
家の前の揺り椅子に座る女性を見つけ、ヨナタンが叫んで馬を降りた。
二匹の毛の長い牧羊犬も走って寄ってくる。
「ボーダーとコリー!」
二匹の名前を呼んでみたが、この二匹は兄弟なのかとてもよく似ていて、ヨナタンもどちらがボーダーでどちらがコリーか実はよくわかっていない。
マルーシャも馬をおりて近くの馬留め柵に手綱をひっかけ、クラーラも椅子から立ち上がって歩いてきた。
「ありがとう、マルーシャにヨナタン」
クラーラは足が少し悪くて、あまり自分の足で歩くのは得意ではなかったが、馬に乗るのは得意だった。今は両親を事故で亡くして一人で暮らしており、一人でも何とかやってはいけるが、こうして時々誰かが手伝いにくるのだった。
「さっそく行こう!」
さっそくヨナタンがクラーラの馬を連れてきてあげて、三人で騎乗した。
「今日はどのへんにいるかな」
まずは、この広いエリアで、百頭近くいる羊の群れを見つけないといけない。
三頭の馬に乗った人間と犬二匹が駆け出した。
その後、
追ってきた羊のうち数頭の毛を刈ったり、乳を搾ったりしてその日の仕事を終えた。
クラーラの家に入ってティータイムとなった。
「だいぶ暖かくなってきたわね」
暖炉にはまだ小さな火がともっているが、インゲ村の周囲はほとんど雪が消えた。
「朝晩はまだだいぶ冷えるでしょう?」
「そうね」
クラーラが答えた。
さすがに子どものころからこの地域に住んでいるからか、寒さはそれほど気にならないのだろう。
「羊のチーズも慣れると美味しいね」
ヨナタンは、以前まで羊のチーズの癖が強過ぎて苦手だったのだ。今では穀物のパンにのせて食べるのが好きになってしまった。
「これからの暖かくなる季節は大丈夫だろうけど、次の冬場がまた心配だね」
マルーシャの言葉に、クラーラも大きくうなずいた。
「冬のあいだはどうしても食べ物が手に入らないからね」
この地域は、冬場に雪は降るもののそれほど積もることはなく、完全に閉ざされて不便になるようなことはない。しかし、食べ物が手に入りにくくなるのは確かだった。
「はあ。昔はもっと良かったんだけどね」
クラーラは、マルーシャやヨナタンより少しだけ年上なだけのはずだが、時々そうやってとても年を取って見えるのだ。
マルーシャとヨナタンも同じようにため息をついた。
「ボーダー!」
飼っている二匹のうちの、近くにいたほうを呼ぶクラーラ。しかし、その犬はクラーラを見向きもしない。
「コリー!」
クラーラがそう叫ぶと、今度はこっちを見て喜んで寄ってきた。しかし、クラーラの表情が少し曇る。
両親を亡くしてしまったこともあるが、もともと落ち込んでしまう性格のようだ。だから、訪ねてきたときは毎回、二人でなんとか励ますようにしている。
「昔は、冬の間も魔法で食べ物を得ていたそうね」
と、ポツリと呟くクラーラ。
「きっと大丈夫だよ。マルーシャが魔法でなんとかしてくれる」
「そ、そうね」
ヨナタンの励ましの言葉にそう合わせつつ、そんな魔法が屍道にあったっけ、と自問するマルーシャ。
「わたしゃあこのままどうなってしまうのかな」
「きっと大丈夫だよ……」
求めるような目つきのクラーラになんとか答えようとするヨナタン。しかし、クラーラもだいぶ励まされ慣れしており、そう簡単な励まし方では励まされない。
「足も悪いし……」
「きっと大丈夫だよ、そのうち、この大陸で誰よりも速く走れるようになる……」
「な、なんだと……」
クラーラの顔がむしろ曇った。
励ます方向性が違ったようだ。マルーシャがそっとヨナタンに目配せする。ヨナタンも気づいたようだが、しかし、このあとどう立て直すか。
「わたしゃあもう死んでしまうのだろうか……」
まだぜんぜんそんな年齢ではない。
数か月前から、クラーラは天使のようだ、と褒めて励ましていたのだ。そこから、ほぼ天使だ、まさに天使、というところに至って、それも徐々に通用しなくなってきていたのだ。
天使の次は……。
マルーシャが急に思いついたかのように手を打った。
「そうよ、クラーラ、あなたは神よ」
「え、神?」
クラーラの驚いた顔。
横にいたヨナタンも、ついにそれを出したか、という驚愕の顔になって口に含んだティーを一気に飲み込んだ。
「そうよ、あなたは神、創造主よ。だから、なんでも作り出せるわ」
「わ、わたしは神……、それも羊飼いの女神ね」
クラーラの顔がぱっと明るくなって輝いた。
「そうよ、だから、何か楽しい趣味を見つければいいわ。なにかこう、そうね、明るい気持ちでずっといられる趣味……」
「明るい気持ちでずっといられるなんて……、すごく素敵!」
クラーラが乗ってきたようだ。
マルーシャとヨナタンがお互い目を合わせてうなずく。
「そうね、じゃあ、どんな趣味を創造しようかしら?」
そう言ってクラーラも楽しそうに考えはじめた。
そのあと時間が来て、
クラーラに、永遠に楽しめる素敵な趣味が見つかるように心から祈りながら、家をあとにした。
とりあえず今日はうまくいったが、次に落ち込んだときはどうしたものか。馬に乗りながら、ヨナタンも同じことを考えているようだった。
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