第5話 神官と商人
そこは城塞都市アイヒホルンのはずれ。
冥界神ニュンケの神殿に、マルーシャとヨナタンで訪れていた。
「ようこそ、お二人」
長いひげを生やした年老いた神官が出迎えた。
「マリーの紹介で来ました、マルーシャとヨナタンです」
神官は、大きな神殿の中のとある小さな部屋へ二人を案内した。
「わしのような年老いた者があなた方の手助けになれるといいのじゃが」
「いえいえ、充分助けになりますわ」
マルーシャが謙遜して答えた。前日にマリーから、首都からの招待状に関して良いアドバイスがもらえるから、聞いてとやってきたのだ。
老人は話し始めた。
「ちかごろはだいぶ様子が変わってしまってのう、ついにこの神殿が最後になってしもうた」
「最後の神殿に? それはまた大変なことで……」
「あなたがたも知っておろうが、この北部地方は、昔から冥界神信仰が盛んじゃった」
「ええ、そうですわ」
「じゃが、ご存じの通り、この国の国教はヤースケライネン教じゃ」
「ええ。でも、地方の信仰は許されていたはず……」
と言って、マルーシャはヨナタンのほうを見て、ヨナタンもうなずいた。
「そのとおり。この国の憲法上も、ヤースケライネン教を国教として定めているだけで、特に法などでほかの宗教を禁ずる定めなどはなかった」
ところが、と老人はため息をついた。
「数年前から、教国の首都ビヨルリンシティにおいて、ほかの宗教を弾圧する動きが出てきたのじゃ」
「その噂は少し聞いたことがありますわ、でも……」
「そう、当時のビヨルリンシティでも、ヤースケライネン教以外の神殿も存在して、しかもそこに勤める神官たちはそれほど深刻にはとらえていなかったんじゃ」
「それが今では……」
老人が感極まったのか言葉に詰まったので、マルーシャがどうぞ続けてと促した。
「今ではヤースケライネン教、つまり、創造神ヤーを祀る神殿しか存在せんのじゃよ、首都には」
老人はそう言いながら天を仰いだ。
「そうなのですか?」
「他の宗教の神殿は、なかには打ち壊され、あるいは宗旨替えを行って生き延びたところもある」
「そんなことがあったんだ……」
「それもここ数年の話じゃ。そして、その流れがこのアイヒホルンにもやってきている」
「つまり……」
「冥界神ニュンケを祀る神殿の多くが宗旨替えして創造神ヤーの神殿となり、アイヒホルンで最後に残ったニュンケの神殿はここだけになったのじゃ!」
老人の目がかっと見開いた。しかし、慌てて周囲を見渡して小声になった。
「あなた方は、最近のヤースケライネン教がどんなことをしているか知っておるか?」
老人は、まるで誰かに聞かれたくないように声を落として尋ねた。
「いえ、どんなことでしょうか?」
「間違った教えを広めとる!」
老人は再び熱くなって、しかしそのたびに肩をすくめて周囲を見渡す。
「近頃は教会の中にまで忍び込んで、話を盗み聞きする輩がいると聞くからのう」
「まあひどい」
だから小さな部屋を選んだのだろう。部屋の外にもひとがいないのを確認しながら、老人が話をつづけた。
「あなた方は、もともとの神の教えを知っておるか?」
「もともとの神の教え?」
「そうじゃ。もともとは、どの神も条件を付けなかったのじゃ」
「条件?」
「そう。本来はどの神も、無条件に願いを叶えてくれる。しかし、それがいつしか歪められた」
「教えの中に条件を作ったってこと?」
「そうじゃ。例えば、今ではどの宗教でもやっていることじゃが、お布施を得るために、お布施をすれば功徳が得られる、見返りがあると言う」
「確かにそうね」
「じゃが、もともとはそんなものなどなくても神は救ってくれた。しかしまあ、神殿を維持するために多少はしかたない、というところはある」
「ヤースケライネン教はもっとすごい条件を付けたの?」
「ヤースケライネン教が応援しとる議員に投票しなければ、地獄に落ちると言っとる!」
老人の声が部屋の外まで響いた。慌てて顔を出して部屋の外を確認する老人。
「じゃがな、それで当選した議員がよい働きをしていれば、わしも別に文句は言わん。じゃが、どうも変なのじゃ。何か悪い方向へ行っているような気がしての」
一気にしゃべったからだろうか。老人がひどく疲れた表情をした。
「もうわしも年じゃ。この神殿も、誰か若いのに譲りたい……」
「ちなみに、ご老人はおいくつで?」
ヨナタンがどうしても気になったのかそう尋ねた。
「今年でもう五十とひとつじゃ」
見た目はかなり高齢に見えたのだが、実際はそれほどでもなかった。
「わしの友人の大富豪、ゴッシー氏を訪ねてみんかね? そのへんの話をさらに詳しくしてくれるはずじゃ」
実際は思ったより若かった老神官に別れを告げ、そのゴッシー氏を訪ねることにした。
そこは、アイヒホルンの中心部に近いところにある、小さな町工場だった。
「ようこそ、マルーシャ姫。大富豪のゴッシーです、お会いできて光栄です」
その初老の男性は、いかにも貴族風の格好で、しかも太い手足、体格がよかった。
「ここは主にマントなどの装備品を作る工場でね」
作業場内の一角にあるテーブルに三人で座った。周囲を従業員もうろうろしているが、
「いや、気にしなくて問題ない。彼らはある意味同志なんでね」
そういって、用件を聞く姿勢になった。
マルーシャがニュンケ神殿での老神官から聞いた話を手短かにまとめたうえで、ビヨルリンシティから招待状を受け取っていることも伝えた。
「なるほど……」
ゴッシーは真剣なまなざしになった。
「ちょっと家内も呼ぼう。おーい……」
貴族風の恰好でそこここで作業を手伝っていたゴッシー夫人も加わった。
「まず姫、わたしたちが今後、どんなことでもお手伝いいたしますわ。ぜひお気を強くもっていらして」
ゴッシー夫人もゴッシー氏に負けず劣らずの良い体格をしていて、声も言葉も力強かった。
「その、老神官が言っておられるようなことが本当にあるのでしょうか?」
「ふむ、政治のことは正直なところ直接はわからないのだが……」
氏はそう前置きして、
「知り合いの議員から聞いたところでは、投票をごまかしているのでは、という疑惑もあるそうで」
「そんなことまで!?」
「もちろん、今の時点で具体的な証拠があがっているわけではないから、あくまで噂の段階だよ」
「でも、それが本当だとしたら、大変なことね」
マルーシャも不快感に眉を寄せるが、
「この国は教皇をトップに、議会も存在している。君たちも知っているとおりだが……」
氏はつづけた。
「つまり、議員が何か変なことをしても、教皇がさらに上にいるので、それにストップをかけられる」
「それはそうね」
「だから、国レベルの政治は問題ないかもしれない。しかし、地方政治はそうはいかない」
「地方の細かいところは地方議会が決めているから?」
「そう、その通り」
「でも、地方議会が、というより、地方の議員がそんな変なことをするの?」
とヨナタン。
「そこなんだ」
氏は少しだけ声を落とした。四人が頭を近づける。
「悪い政治はすぐにわかる。それなら、民衆がすぐに反対運動を起こす……」
うんうん、とうなずく他の三人。
「ちょっとずつ悪い方向に行けば、民衆にはばれない」
「例えば……」
「例えば、見てくれ。この工場では、なるべくいいものを作って、そして適正な値段で売ろうとしてる」
「そりゃそうね」
「しかし、ヤースケライネン教の議員たちは、何かと安く作らせて、安く売るように迫る」
「一見、経済的競争という意味では、ふつうなことのように見えるわ」
と言ったのはゴッシー夫人。
「でもそれがあまりに行き過ぎると……」
「どうなるんだろう?」
思案顔のマルーシャとヨナタン。
「われわれの商売が困る、というわれわれからの一方的な見方は確かにある。それはわれわれ個別の問題、ということになってしまうが……」
それに続けるのは夫人。
「安く作ればものは悪くなるわ、それが繰り返されれば、行きついた人々の暮らしはどうなるのかしら?」
「そうねえ」
いまいちピンときていないマルーシャとヨナタンだったが、
「その答えを、ビヨルリンシティで見てきてほしいんだ」
とゴッシー氏。
「実はわたしたち、けっこう最近になってそのビヨルリンシティから逃げ出してきたのよ」
「へえ、そうなんだ」
それは意外だった。
「ぜひ、アイヒホルンの知り合いの議員を訪ねてくれ。とても善良な議員で、もっと詳しい話が聞ける」
最後に、
何か入用のものがあればなんでも言ってね、そう言われて、忙しい町工場を後にした。
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