第37話 氷雪一夜城

 早朝、


朝もやのなか、仮設のトイレで用を足そうとした兵士が見たのは、


「な、なんだあれは?」

自分が寝ぼけているのかと思い、目をこすってもう一度見て、そして両手で頬を叩いてもう一度見た。


「な、なんだあれは!?」

トイレに行くのも忘れて、上官のところへ急いで走る。そこにはすでに数人が詰め寄せていた。

首都討伐軍本陣にいる、アブラーモ・ボッコリーニ大将の元にも副官が訪れていた。

「ボッコリーニ閣下、申し上げます、起きてください」

仮設の寝室テントの、特注サイズの簡易ベッドで目覚めたボッコリーニ。

「ふぐ……、少し待て」

頭をボリボリかきながらナイトキャップをとってパジャマから制服に着替える。


「なんだ?」

寝室テントから執務室テントに歩きながら、ボッコリーニが副官に聞いた。

「あれをご覧ください」

副官がどこかを指さす。

「なんだ? 珍しい鳥でも見つけたのか? ……のわー!」

ボッコリーニがその場にひっくり返った。

「東西南北、各陣の後背に一夜のうちに出現したようです」

高い尖塔をたくさん従えた巨大な青白い城が、本陣を見下ろすように屹立しているではないか。


しかし、このボッコリーニ様も並みの大将ではない。こんなものには怯まないのだ。

「これがどうした? ただ城が建っているだけだろう?」

「いえ、これは敵の城です」

「ぐぬぬ、しかし、敵の城が建っとるだけで、敵兵もいないのだろう?」

そのころから、その城から銅鑼、太鼓、笛、鐘の音とともに鬨の声が聞こえてきた。それに呼応するかのごとく、アイヒホルン城からも銅鑼や太鼓、鬨の声、いつでも出撃できそうな様子だ。

「は、旗指物の数はどうだ? 我らには百万の旗が味方についとるんだぞ!?」

「今朝カウントしたところ、新しく出現した敵の四つの城には旗指物が各五十万、合計二百万の旗指物が風にひるがえっております」


「な、なんだと……!?」

あたりをキョロキョロ振り返るボッコリーニ。執務室テントに入り、

「て、撤退しよう」

小さな声で言うが、

「お言葉ですが閣下、このような状況で撤退すると、各城から追い打ちを掛けられてわが軍十万といえど壊滅する恐れがあります」

「て、撤退もできんだと……!?」

ボッコリーニの顔が紫色に変わっていく。

「申し上げます!」

連絡兵が執務室テントに転がりこんできてボッコリーニの大きな尻にぶつかった。


「なんだ!」

「北、東、および南陣において、巨大な白旗が翻りました!」

「だからどうした! つまり、それは……」

副官を見る。

「わが軍の半数以上が降伏したということです」

副官が補足した。

「ちょ、ちょっと外に出ておれ」

ボッコリーニが副官に外に出ているように告げた。

しばらく時間が経って、おかしいと思った副官が執務室のテントに戻ってみると、中には誰もいない。


「ボッコリーニ大将閣下はどこにいった?」

近くで見つけた兵に尋ねてみると、

「ボッコリーニ閣下は、さきほど小物商に変装されてどこかへ行かれましたが……」

副官は一瞬、あの野郎、という顔をしたが、すぐに冷静になって、

「よし、じゃあ我々も武人として潔く降参しよう」

そう兵士のひとりに命じたあと、

副官は、まわりに誰もいないのを確認すると、胸のポケットに入った封筒を引っ張り出してその封筒の中の小切手をちらりと見た。

「全てうまく行けば、これと同じ金額がもう一枚……」

副官が手で笑いをさっと隠す。そこには、マルーシャ姫のサインでものすごい金額が書かれていた。

数分後には本陣にも巨大な白旗が建てられた。


アイヒホルン城では、西門の城壁の上で、ユリアン・リーゼンフェルト将軍とトム・マーレイ少尉、そしてマルーシャ姫がその様子を見ていた。

「よし、本陣にも白旗があがったぞ」

「では、わらわはこの降伏した敵軍を率いて首都に向かう。そなたらは、城に残って再建を急ぐように」

マルーシャが将軍と少尉に告げて、城壁の階段を降りていく。

「はっ、編成が終わった部隊から後を追わせます、首都軍の兵員はほとんどがプロジェクト野ウサギのメンバーです、大隊長を数人入れ替えればすぐに編成は完了します!」

城壁の下から、任せる、と声が返ってきた。


「さすがにマルーシャ姫、動きが早いですね……」

城壁うえに残ったリーゼンフェルト将軍とトム少尉。

「プリンツェンツィングの兵法、作戦篇。兵は拙速を聞くも、未だ功の久しきを見ざるなり、だな。遅いことなら猫でもする、と同じ意味だ」

と将軍。

「しかし、姫の謀略であっという間に敵軍を手に入れてしまいました。わたしはてっきり散々に打ち破るものと……」

「謀攻篇、軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ、だ。軍や国は丸々手に入れたほうがいい、という意味だが、切羽詰まってくると意外とそういった発想が出なくなるもんだ」


マルーシャ姫に感心していたトム少尉、今度は将軍のほうを見て、

「将軍、もしやあなたは……」

その羨望のなまざしを受けて将軍が答えた。

「そう、わたしはかつて、マルーシャ姫の従者をしていた。当時メモしたノートが十冊ほどあるよ」

二人は、今後の都市の拡張工事を話題にしながら城壁の階段を降りていった。


 こちらは首都ビヨルリンシティの地下、

牢のあるフロアから階段で降りた、病院のような雰囲気のフロアで、マリーとギルバートが遭遇したのはよく知った人物だった。

「アリスター!?」

その人物が一瞬ぎょっとしたが、二人の顔を見て、警戒を解いた。ギルバートに外見がよく似た、口ひげのニンジャ仲間、アリスターだった。

「やあ、そういう君たちは、マフノ夫妻じゃないか」

こんなところで、とアリスター。


「ところでこの場所、すごく気持ち悪いんだけど、いったいなんなのかしら?」

とマリーが気持ち悪そうな顔をする。

「そうなんだ。実はわたしも数年前からこの教居下に目をつけていてね。囚人の食料配送業者として潜り込むようになって、昨日ちょうど調査結果をレポートにまとめて、マルーシャ姫に送ったところなんだ」

とアリスター。三人で階段のほうへ歩いていく。

「けっきょく何だったの?」

「いや、ひとがいるときに忍び込むのが難しかったから、具体的な証拠は押さえられていないんだが、何か実験のようなものをやっていた形跡がある。かなりの悪事が進行しているのは間違いない」

そのアリスターの言葉に、わたしたちもそう思うと同意するマリーとギルバート。


「お、アリスター君、ひげが……」

とギルバート。お、すまない、と剝がれかけた付け髭をぺろっとはがし、その裏面をぺろっと舌で舐めてからもう一度付け直すアリスター。

「ところで、アリアネ姉さんは元気なのかしら?」

「ああ、妻か。わたしも忙しくてまったく家には帰れていないんだ」

申し訳なさそうな顔をするアリスター。すると、階段についたあたりで、上階から複数の足音、

「誰かしら!?」

ニンジャふたりとクノイチの凄腕三人、まったく心配は無かった。


 そしてこちらは、

グラネロ砦を出て馬車で首都へ向かう、マルヴィナ、ヨエル、ヒスイとゴシュの四人。

「関所が見えました!」

御者のおじさんが叫んで教えてくれた。だが、

「だ、誰もいない……」

関所の門はいつも通り開いているのだが、衛兵がひとりもいない。

「どうなってんだ?」

と思いつつも、馬車でそのまま通っていく。

そのまま数か所の関所を通ったが、どれも無人だった。ビヨルリンシティの郊外に到着し、馬車を降りて、馬車にはグラネロ砦まで帰ってもらう。


「ここからは歩いて都心まで行こう!」

ヒスイが元気に声を出すと、

「ちょっと待ったあ!」

不意にうしろから声がして、

「ああ!?」

それは、マルヴィナとヨエルも知っている顔だった。


 さらにいっぽう、

グラネロ砦内では、情報が錯綜していた。

「よし、わかった!」

作戦会議室では、モモ、二コラ、ミシェル、クルト、髭面のエンゾ、そしてグアン将軍が黒板に貼られた地図と睨めっこしていた。

そして、くせ毛のエマド・ジャマルが忙しそうにお茶やお菓子を運ぶ。

「西方騎馬民族国家、グヌシュカの女王ダニエラが騎馬五千騎を配置、完了済みです!」

「よし!」

連絡兵もひっきりなしに出入りして、状況を報告していく。


たくさんの磁石の模型を各部隊に見立てて、黒板の地図に引っ付けている

「西からダニエラの五千騎、と……」

カチャっと騎兵の小さな磁石フィギアをグラネロ砦のさらに西に引っ付けた。

「マルーシャ姫が送った使者に呼応して、各都市が兵を出してくれるんだよね?」

と二コラ。

「ああ、だが、余剰の兵を出せそうな都市は実はあまりない……」

港町ツィーゲが千五百の陸戦隊を出せそうだ、とミシェル。

「よし、そろそろころあいだが……」

モモが睨みつけているのは、その地図上でもひときわ大きなドラゴンのマグネットフィギア。


「アショフの軍勢がもうここまで食い込んでいる」

そろそろ包囲網を使って叩く時機だ、というモモの言葉に、皆が頷いた。

「今得ている情報では、上陸したアショフの軍勢はたったの三万人。彼らは、無防備になった首都ビヨルリンシティに侵攻しようとしている。かつ、周辺都市に目立った軍事勢力はない、と勘違いしている」

モモは続ける。

「われらグラネロ砦の軍はいまや守備兵を除いても三千、それと、西からの騎馬隊五千で挟撃すれば、三万を壊滅できなくとも、退却させることは可能だ」

そこで、


「将軍、木人は何体ぐらい出せる?」

「ううむ、頑張って三千といったところか」

グアン将軍がひねり出すように答えた。

さらに、アイヒホルン城の状況について誰かに尋ねた。

「ちょうどゾンビ使者が到着しました!」

顔色を化粧でごまかしたひとりが入ってきた。

「マルーシャ姫の使者です」

その使者は、名乗りつつも顔色ひとつ変えず、急いで来たにもかかわらず息が切れていない。


「マルーシャ姫は十万の首都軍を丸々手に入れると、その軍勢を連れてアイヒホルンを出ました」

興奮することなく冷静にそう告げる使者と、それを聞いて沸き立つグラネロ砦の作戦会議室。

「よし、これで、うまくいけば首都とアショフをまとめて包囲できるのだが……」

モモたちにひとつだけ心配があった。

「南の海上から迫るアショフ艦隊はどうなっている!?」

モモが誰かに尋ねる。

と、そのとき、厳しい表情で腕組みして立っていたグアン将軍の肩をちょんちょんと叩く者。


「ん? 誰だ?」

グアン将軍が見ると、肩に小さなゾンビのハエがとまっている。

「おお、貴殿はマルーシャ姫の使者だな、ふむ、なになに?」

ハエがグアンの耳に口を近づけた。

「なんと、南の海にマルーシャ殿が嵐を呼んだと!?」

ハエが頷いた。

「それで、拙者には将軍アルティメットを使えとな?」

ハエがさらにコソコソと耳打ちし、将軍がニヤリと微笑んだ。

「よし、心得た!」

ハエが飛んでいき、

「モモ殿……」

グアンが立ち上がって、モモの耳元で策を告げた。


「なるほど……。では、軍の指揮は二コラ殿か誰かに任せて……」

モモの額にも、勝算ありの文字が浮かび上がってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る