第38話 腐敗大臣

 ローレシア大陸の南の海上。


一万隻のアショフの艦船が適切なノットで北上し、その旗艦の艦橋ではアショフの国旗とアショフ海軍の旗が強い海風にたなびいていた。


「アショフ海軍大将兼連合艦隊司令長官閣下!」

「ほほほ、どうしましたか?」

でっぷりと太った海軍大将が下士官のほうを向いた。

「なにやら雲行きがあやしいです!」

「ほほほ、わたしの人生は常に順風満帆ですよ」

「大きな嵐や竜巻が予想されますが、どうしますか?」

「ほほほ、家に帰るまでが海戦です。この旗艦には、転進するための隠れスクリュー機構が付いているのですよ」

「では、このまま進みますか?」


「我々に撤退はありません。嵐が発生したら、進路を変えましょう」

下士官が、わかりましたと小さく敬礼して下がっていく。

「ほほほ、わたしは兄のようにはなりませんよ」

巨体を揺らして、アショフ海軍大将はしばらく笑っていた。


 いっぽう、

首都ビヨルリンシティから南西に十キロの地点では、

アショフ陸軍大将兼統合作戦本部長と、アショフ統合参謀本部副議長のアグリッピナ・アグリコラが、仮設のテントの中で相撲をして衝突していた。


「だから、何度も申しておろう、ヤースケライネン教国の首都はもぬけの殻だ。今そこを突けば、この大陸を丸々手に入れられる」

背が高く、でっぷりと太った陸軍大将。腰に手を当てて腹を突き出す。

「こちらも何度も申しておろう、斥候を展開して、状況を確認してから突入しても遅くはない。西には騎馬民族国家がまだ現存するし、他にも地域勢力があるのではないか?」

低い背の太ったアグリッピナが、負けじと腹を突き出して陸軍大将をおっつける。

以前から、アショフの作戦本部と参謀本部は仲が悪かった。


「参謀本部はいつも周囲を気にして、実際に行動することができんではないか」

脇を締めつつのしかかってくる陸軍大将。

「なんだと! 何も確かめずに思い込みで作戦を進めていつも失敗するのが作戦本部ではないか!」

アグリッピナがエビぞりで押し返す。

いったん、土俵の端にそれぞれ戻った。

「では、われわれ力戦魔法部隊は別行動を取らせてもらう。危なくてついていけん……」

アグリッピナがそろそろ潮時と判断すると、

「千人減ったところでこの軍団になんの影響もない。恐いのなら離れて見ていたらどうだ?」

その陸軍大将の言葉に、アグリッピナが何度も舌打ちしながらテントを出ていく。


その怒り心頭の頭から、小さなトマトの木が生えてはその実が破裂していた。


 そこからさらに十キロ西の小高い林に、騎馬の大軍が隠れていた。

精悍な顔つきの、軽装弓騎兵、槍騎兵、重装騎兵。だが、特徴は馬にありそうだ。馬たちは、顔に専用のマスクをして、足の蹄鉄にも何か履いている。そのためか、馬のいななきがほとんど聞こえず、足音も立たない。


「敵の位置はすでに把握しておる、全軍、このまま待機せよ!」

ひときわ目立つ羽の髪飾りの女性、西方騎馬民族国家グヌシュカの女王、ダニエラだ。

だが、その近くに、馬に乗った貴族のような格好をした者。顔色が悪い。

「ダニエラ様、そのうちマルーシャ様から虫の知らせがまいります。しかし、今回は場合によっては戦闘にならないかもしれません」

その顔色の悪い者が、ダニエラに話しかけた。

ダニエラは、どちらでもかまわぬ、我らはいつでも準備ができておるし、いつまでも待てる、と答えた。


 その深夜、


マルーシャ姫に率いられたアイヒホルン城を出発した十万の大軍は、首都ビヨルリンシティを目前にして夜営していた。


大きな国賓用の仮設テントの簡易ベッドで眠るマルーシャ姫。

突然、

「だん!」

簡易ベッドに剣が突き刺さり、マルーシャ姫の首がコロンとベッドから下に転がった。

「やったか!?」

兵士のひとりに変装した刺客が叫ぶと、

「ふふふ……」

転がった首が笑った。

思わず飛びのく刺客。首の無い体が起き上がり、ベッドを降りて自ら首を拾った。

「マルーシャ姫も、一人なら倒せる、そう思ったか?」

拾った首を胴体に据えながら、姫がその刺客をぎろりと見た。

悪い夢でも見ているのか、という表情でおびえる刺客。しかし、怯んではいけない、相手はたった一人だ、もう一撃与えれば、と剣を構え直すが、どうしても膝に力が入らない。


「千人クラスの刺客と見た。わらわを倒したければ、万人クラスの魔法使いでも連れてきて、炭も残らないほどに焼き尽くすことだな、ははは、はー!」

そのとたん、轟音とともにテントに火柱が立った。

そのすぐ外で、

「や、やったか!?」

兵士に変装した魔法使い。

「ふふふふふ……。アイスシールド。アイスシールドは熱による攻撃を受け付けない」

ちろちろと火が残る中で、無傷のマルーシャ姫が立っていた。バシバシと音を立てて姫の周囲のシールドが消えていく。

「万人クラスの刺客と見た。しかし、ゾンビのわらわを倒すなら、この体を消し去るしかないであろう、しかし、どうやらそれも不可能なようだな。ふっ」

氷の微笑を浮かべた姫を前に、刺客は絶望の色を隠すことができなかった。


膝をがっくり着いた刺客を兵士たちが取り囲み、

「よし、あとのことはそなたに任せる。わらわはゾンビ百官とともに先に首都に潜入する。そなたたちは、明日の朝に威容を整えて首都に迫れ」

はっ仰せのままに、と答えたのは、以前にボッコリーニの副官をしていた男だった。

黒いドレスに金色のティアラを頭につけたマルーシャ姫は、

「腐敗大臣を捕らえよ、彼らはゾンビよりも腐っている」

市民に扮したゾンビ百人とともに呼吸の音すら立てずに闇に消えていった。


 同じ夜、

マルヴィナ、ヨエル、ヒスイ、ゴシュの四人が出会ったのは、ジュディス流民街のリーダー、イスハークとリュドミーラのサレハ兄妹だった。

その夜は、マルーシャ姫ではなくマルヴィナとしてジュディス流民街で寝泊まりし、流民街の住民も心暖かく迎えてくれた。


そして翌日、

「ダンス練習場に来て」

とリュドミーラが起こしに来た。双子の姉妹の家に泊まっていたマルヴィナは、したくをして練習場へ向かう。

そこでは、装備品が用意されていた。そして、化粧をした生気の無い人物がひとり。

「マルーシャ姫の使者だ」

すでに、イスハーク、ヨエル、ゴシュも来ており、ゾンビ使者が言った。


「教居の許可証を入手しました。すぐにも、腐敗大臣ムフ・ブハーリンと面会できます。おそらく、要求すればそのまま教皇と会うことも」

とたくさんの枠に無数のハンコが押された許可証を見せた。

「そんなに簡単にいくものなの?」

マルヴィナも朝からややあきれた顔だ。

「十万の軍が外から首都に圧力をかけます。そのうちマルーシャ姫も教居に入るとのことです。さきに教皇に会って降伏を要求するように、と」

わたしも教居の入り口までついていきます、とゾンビ使者。まるで、子どもを八百屋に使いに出すかのようにあっけらかんとしている。


「わ、わかったわ……」

すでに、マルヴィナ、ヨエル、ヒスイにゴシュは準備が出来ている。軽装にステッキのヒスイ、いつもの皮装備のヨエル、金色の鎧の上に地味なタバードのゴシュ、姫から平民に戻って色褪せた灰色のマントのマルヴィナ。

「おれたちもついていく」

さきほどから横で装備を整えていたイスハークとリュドミーラ。

「ほ、ほんとに!?」

と少し嬉しいものの、彼らとはバトルダンスをやったものの、実戦で共に戦ったことはない。


とりあえず、教居に向けてヒスイを先頭に出発した。街中は、まだ大軍が迫っていることが公表されていないためか、とくに混乱もない。

見ると、イスハークとリュドミーラは、細長い筒に把手の付いたようなものを持っている。

「これ、何?」

とマルヴィナが指さしてリュドミーラに聞いた。

「え? これ!?」

リュドミーラは、聞かれたのが嬉しかったのか、興奮気味にその筒を手に持って歩きながら説明し始めた。


朝はまだひんやりしていて気持ちよく、小鳥たちのさえずりも聞こえる。

「これはね、最新の仮学技術と魔法技術をハイブリッドさせたアーティファクトで、韻子力学による常温超電導によって、ここからここに音速まで加速させるのよ」

リュドミーラが筒の入口と出口を見せながら早口にまくしたてる。

「はあ、なるほど……」

朝なのでまったく理解できていないマルヴィナ。

「ほら、ここに弾があるでしょ」

リュドミーラが腰に下げた袋を開けると、そこには緑色の豆がたくさん入っていた。

「これを取ってこの筒につめて……」

実際には取らないが、取って筒につめる仕草をするリュドミーラ、構えて、


「パンってやると、敵が倒せるってわけ」

実際に弾は飛んでないが、近くの鳩が豆鉄砲を食らったように飛び上がった。

「へえ……、なるほど……」

とマルヴィナ。

「つまり、おれたちは二人はスナイパーさ」

少し前を歩いていたイスハークが、見かねて補足してくれた。

「なるほど、そういうことか」

少しわかりかけたマルヴィナだが、

「でも、そんな豆なんかで敵を倒せるの? 鳩ならともかく……」

「そこがポイントよ、このソイライフルは、豆に魔力を帯びさせるの。その豆があたると、魔法の力で瞬時に根が伸びて神経にまわって麻痺して、まる一日動けなくなるわ、うふふ」

と嬉しそうに語るリュドミーラと、想像しただけでそこかしこが痛くなるマルヴィナ。


「だけど、急所、つまり神経がたくさん通る経絡にうまく当てないと長時間麻痺させられないし、あと、お腹が空いたら食べることもできるのよ、この豆」

と言って豆をひとつとってマルヴィナに差し出してくるので、手のひらで受け取って口に放り込んでみる。

味がしなくてもう少し塩気がほしい、塩ゆでにしたらどうかと感じていると、教居の南門についた。


「誰もいないね、すみませーん!」

ゾンビ使者が大きな声で冷静に中に呼びかけた。

門は開いているが、周囲に衛兵の姿もない。何度か呼びかけていると、

「すまないすまない」

事務員のようなひとが出てきた。

「北門で暴走騎馬族が徒歩でやってきて馬を返せと騒いでいてね……」

出された許可証を確かめた。

「そこの、応接室で待っててもらえるかな?」

と通されると、その事務員はまたどこかへ行ってしまった。


「では、わたしはここで……」

ゾンビ使者が去り、

「ここって、首都で一番重要な建物なんだよね?」

何か激戦的なものを想像していたマルヴィナ。応接室のソファに座って、こんなに簡単に入れていいのかな、という気分だった。すると、

コンコンコンと丁寧なノックの音、ガチャリとゆっくり格調高く扉が開き、

「遠路はるばる、皆様にご挨拶申し上げます……」

そこに入ってきた、太った大きな体の人物。高級感のある服装に、にこやかな好感度の高い笑顔で物腰低く慇懃に握手を求めてきた。


さりげなく庶民が嗅いだことのないよい香りが漂ってくる。それは、腐敗臭とはほど遠いものだった。


その時点では。

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