第26話 時すでに遅し
日はすっかり昇っていた。
遠くまで晴れ渡ったアイヒホルン城。
「いい景色だ」
アイヒホルン城の中心部、軍施設が入った巨大な本丸櫓から、さらに上に伸びる小さな物見やぐらに、二人の人物。
「首都軍、約二万騎が、わがアイヒホルン城の西に今朝到着し、陣取っています」
そう言うのはトム・マーレイ少尉。
「うむ。敵ながら上出来だ」
と答えるのは、ユリアン・リーゼンフェルト将軍。
「このアイヒホルン城塞都市は、北にコルドゥラ山脈の裾野、東に大河レナ川という自然の要害を備える。トム少尉、君ならこの城、どう攻める?」
少し風が吹いてきて、軍服の襟を立てるトム。
「そうですね……」
トムは少し考えたあと、北のコルドゥラ山脈の裾野である小山を指さした。
「あの丘に、移動砲台を据えて場内に砲弾を撃ち込みます」
「うむ……」
先を促す将軍。
「この国でも有数の規模を誇る城塞都市です、おそらく備蓄は数年分。城内には井戸水も豊富。したがって、兵糧攻めは効果が薄く、時間が掛かりすぎます。大河が近いため、海近くの海抜が低い場所であれば水攻めも可能ですが、ここは台地で標高も高い……」
「たしかに、そのとおりだ」
将軍は、上出来だ、とうなずいた。
「だが、今回の編成は、騎馬隊を中心にしている。この状況で、敵の大将ならどうする?」
「わたしが大将なら、そしてどうしてもこの城を攻めるというなら、歩兵と攻城兵器の到着を待ちます」
「無論、わたしも賛成だ。しかし、その場合はまた数日、下手すると一週間はかかる」
「そうです。しかも敵は到着したばかりで、戦闘をしたがっています」
「となると……」
「どこかを攻めたい」
そう言いながら、トム少尉が遠くを指さした。
「斥候の騎影らしきものも見えます。どうしますか? 門を閉ざして充分守り切れると思いますが……」
「いや、ここは相手のやる気も利用して、攻めさせよう。なあに、こちらが無理に固めずに、反籠城派に騒がせでもしていれば、勝手に攻めてくれるさ」
「それで、大丈夫でしょうか……」
「君も知っているとおり、この城塞都市は内部も何重にも曲輪になっており、多少侵入されてもすぐに追い返せる。それに……」
と将軍は付け加えた。
「籠城戦とは、心理戦だ。それを証明してみせよう」
将軍は、物見やぐらの上から城塞都市に向けて、両腕を大きく開いて見せた。
その後、二人のいた物見やぐらは、するすると降下して、本丸櫓の施設内に消えていった。
こちらは堕落将軍、アブラーモ・ボッコリーニ大将の陣営。
「大将閣下、アイヒホルン城の状況ですが……」
副官がおもむろに幕舎に入ってきた。
「申せ」
「先日とまるで状況が違います。城門周囲も整備されて、門は開いていますが……」
「軍使は送ったのか?」
「はい、いいえ、送ったのですが、状況を確認させてくれと……」
睨みつけるボッコリーニに副官、
「大将閣下にはしばらく城外にて待機していただきたく、と返事してきております……」
「なんだと?」
片方の眉を吊り上げるボッコリーニ。
「おそらく時間稼ぎではないかと……」
「おまえに言われんでもわかっておるわ!」
ついに怒声を発した。
「こんな城、精鋭二万騎で蹂躙してやる……」
と鼻息を荒くするが、
「恐れながら大将閣下……」
副官が勇気を出した。
「いくら首都軍精鋭の二万騎といえど、固く守った城塞都市を落とすのは難しいかと……」
「そんなもん、おまえに言われんでもわかっとるわ!」
同じことをもう一度叫んで、
「くそっ、攻城兵器を待っていたら、どれだけまた時間を食わされるかわからんぞ……。大臣にも三日で落とすと約束してしまったし……」
せこせこと幕舎内を歩いたのち、
「どこか弱点を探せ! 必ずこの城にも弱点があるはずだ!」
と副官に強く命じた。
しばらくして、
「大将閣下!」
また副官がやってきた。
「どうじゃ」
「斥候が外から確認したのと、城内に送り込んだ間者の情報を合わせますと……」
副官がボッコリーニの耳に口を近づける。
「城の東区がまだ守りが薄いようです。タイミングを合わせて夜にでも……」
「よし、攻撃を許可する! ただし、本陣の守りに必ず一万騎は残すように」
副官ははっと敬礼して、立ち去った。
その夜、
アイヒホルン城の東門近くが騒がしくなっているころ、ヒルトラウト湖の黒い館でも、準備が整ってきていた。
そこは館の玄関ホール。
ヨナタンがソファに座り、ヒスイと防衛ギルドのゴシュがソファに寝転がっている。マルーシャは、暇なのでさきほどからずっとカード占いをやっていた。
「だめだわ、何度やっても暗殺者が出る……」
カード占いで同じ結果が出てしまうようだ。
「もう一度やろう」
とカードをシャッフルして、つい気になったので聞いた。
「ゴシュ、あなたは鎧を付けなくて大丈夫なの?」
ゴシュはソファに寝転がって、白い全身タイツのようなものを着ている。
「姫、ご安心を。敵が現れたら即座に鎧を装着します」
と言って足元にあった大きな箱をこつんこつんと足で蹴った。
「ヨナタン殿、君も鎧を脱いでくつろいだらどうだね?」
今度はゴシュがヨナタンに尋ねた。
「い、いや、僕はいいよ、皮鎧だから。そんなに窮屈じゃないし」
その横では、ソファに寝そべりつつ考え事のヒスイ。
「いったい、どんな奴が攻めてくるんだろう……?」
ヒスイは麻素材の軽装で、白いステッキを脇に抱えている。
「あら、また暗殺者のカードだわ。これって、今夜この館が襲われる、という意味かしら……」
マルーシャは不吉な予感に襲われた。打合せも充分に行ったが、このゴシュを迎えて実戦を経験するのは初めてなのだ。
「ヒスイ殿は、盾役もこなされると……」
今度はゴシュがヒスイに話しかけた。
「そうね。でも、わたしはどちらかというと守りつつ攻撃も狙うタイプかしら」
ヒスイも寝転がったまま、ステッキを指で器用に回している。
「ほう、そうすると、わたしがメインタンク、つまり主たる盾役で、ヒスイ殿がオフェンシブタンク、つまり攻撃的盾役か……」
そして守る対象は、とマルーシャのほうを見た。
「マリー、遅いわね」
ゴシュの視線を受けてマルーシャ。養育係のマリーは二階で準備中のはずだ。
「ところでヨナタン殿、貴殿は、その宝剣を抜くと人が変わったかのように強くなられると?」
「うん、そうなんだけど……」
ヨナタンは腰に濃い紫鞘の剣を差している。だが、それで戦うというわけではなく、足元に小さな盾と短い槍を置いていた。
「ふふ、ヨナタン殿、ご心配は無用、わたしが敵をすべて追い返しますよ」
そう言いながら、ソファのうえで寝返りをうつゴシュ。
「ギルバートも、遅いわね」
外に見回りに行ったギルバート。まだ戻ってこない。
と言っているうちに、呼び鈴がちりんちりんと鳴った。
「誰か来た?」
ぱっと顔を上げるマルーシャたち。ゴシュもよっこらせと上半身を起き上がらせた。
バンっと音がして玄関扉が勢いよく開き、そこにひとがゴロンと転がり込んできた。
「ギルバート!」
薄い水色のニンジャ衣装に身を包んだギルバートが、膝立ちになってハアハア言っている。
「刺客がこの館に迫っている、わたしはかろうじて見つからずに戻ってきたが……、相手はこん棒を担いだ巨人だ!」
しかし、よく見るとギルバートの衣装のところどころに細かい斬り跡、
「正面突破を計ってきたわね。よし、館の外で迎え撃ちましょう!」
階段うえから声。
「マリー!?」
ピンクのドレスにとても派手な化粧、それ以上に、盛大に盛った髪型に無数の髪飾り、そして背飾り、異常に踵の高い履き物。
「よっしゃあ!」
ヒスイがヘッドスプリングで跳ね起き、
「がちゃ!」
ゴシュが大きな箱を開いた。そこには金色の派手な鎧、それを取り出して装着していく、
「外で迎え撃つのね!?」
マルーシャが、銀色のマントを羽織りながら聞き返す、
「そうよ! わっ!?」
答えながら、マリーが階段に躓いた。そのままくるっと一回転して、玄関ホールにとんと着地、
「ヨナタン殿、す、すまないが、ここを止めてくれないか?」
走って出ようとするヨナタンを呼び止めるゴシュ、手が短すぎて鎧の背中の留め具に手が届かないようだ。
「ここかな?」
両手の武具を置いて急いでグローブを外すヨナタン、
ヒスイとギルバートはすでに館を飛び出して、
「あいつか!?」
何メートルあるだろうか、巨大なひとつ目の青黒い巨人が、手にこれまた巨大なこん棒をもって歩いてきていた。
「こん棒というより、巨木を根っこから抜いただけじゃないか……」
そんなもので殴られたら、館も簡単に崩壊するかもしれない。
「刺客もいるぞ!」
人数がわかりづらいが、巨人の周囲に白いひし形のマークがついた黒いタバードの者たち。
「わたしがマリーシャ姫よ!」
玄関から出てきた派手な格好のマリーが叫び、そのうしろから金色の鎧が転がってきて、
マリーの前に立った。
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