第22話 贈賄
その日、
ヨナタンは寒風吹き荒ぶガーフコースに来ていた。
「さ、寒い……」
季節的には、もう夏に向かっているはずなのだが、わざわざ高速馬車を乗り継いで、ローレシア大陸の最北端にあるガーフコースまでやってきたのだ。
「よっこらしょ」
親戚の知人の親が二十年前に買ったガーフセットの入った重いバッグを担いで、最初のショットを行う場所に向かう。
「風が強いし、雪も混じっている……」
言われたとおり真冬の格好をしてきてはいるが、それでも寒い。
「こ、これはもはや吹雪。ここはもはや雪山では……」
ヨナタンの鋭い洞察力が働いた。正直、夏の高い山は登ったことがあるが、雪山の登山経験はあまりない。
「そ、そうだった……」
ガーフバッグの横のポケットに、ガーフボールとそれを立てるピンが入っているのだが、それがもう最後の一個しかないのを忘れていた。
「買っておけばよかった……」
今更小屋に戻る時間もない。前の組にかなり遅れてしまう。だが、ガーフボールもピンも意外と高く、次にいつガーフをするかもわからないし、いつもつい買いそびれてしまうのだ。
「か、固いぞ……」
とりあえずそのピンを地面に刺そうとしたのだが、地面が固過ぎて刺さらない。
「どうしよう」
やや途方にくれると、看板が目に入った。
「地面が凍っている場合はこれをお使いください?」
何か腰ぐらいの高さのポールのようなものが置いてある。手にとってみると鉄製で重く、先が尖っている。
「これを……、こうかな?」
その重さを利用してがつんと地面に突き立てると、ちょうどよい大きさの穴が空いた。
「ここにピンを刺して、と」
ぴんと立ったので、そこにボールを置く。大丈夫そうだ。
バッグのカバーを開けて、トラベラーと呼ばれる一番長い棒を取り出す。棒の先端が重りになっており、しかも平面に削ってあるので、これでボールを叩くとボールが遠くへ飛ぶしくみだ。
「手袋を持ってきてほんとによかった」
ふだんなら、左手だけにガーフグローブをはめるのだ。今回は、念のためにふだん真冬に使う手袋をもってきておいて本当によかった。右手が素手だったら、もうこの時点で手が冷た過ぎて死んでいたかもしれない。
「だけど……」
手袋の中の手がすでに冷たい。なんとか頑張ろう。
ショットの前のルーティンに入る。剣を上段にかまえるかのようにいったん棒を振り上げ、そして降ろす。その状態で前後に軽く素振りしてから、半歩前に出てボールが置いてあるポジションに入る。
テイクバックして……、一気に叩く!
「わあっ」
かーんと音がして、ボールがぜんぜん期待しない方向に飛んだ。
ど、どうしよう、ひとつしかないボールなんだ……。
祈るような気持ちで飛んだと思われるほうへ走るヨナタン。そして、
「あ、あった……」
崖に落ちるすぐ手前、真っ白な雪と同じ色のボールを奇跡的に発見した。
「よ、よかった……、しかし……」
しかし、どうするか。
ヨナタンは思案したすえ、ボールは失くしたら嫌なので、キープすることにした。
ピンを立てて、そして、ボールは置かずにルーティンに入る。
そして、
「ナイッスー!」
打ったあとに慣例のナイスを叫んでおけば、本当にボールを打ったように見えるはずだ。
そのあと、トラベラーの棒をバッグに戻し、バッグを担いで架空のボールが飛んだあたりに歩いて向かった。
「うしろの組はまだ来ていなさそうだし、よかった……」
多少もたついても問題なさそうだが、
コースに出る前、小屋の中に自分たち以外はお客の姿はなかった。早朝だったからかもしれないが、しかしこんな寒い中でみんなプレイするのだろうか。
「次は……、三番カーボンかな?」
ふだんなら、一緒に回っている上級者に聞いたりもできるのだが、今日はひとりなので、残りの飛距離に合わせて適当な長さのものを選ぶ。
「ナイッスー!」
ショットをしたときに、棒とボールがあたるかーんという音がしない。なので、ナイスのナをインパクトにかぶせることで誤魔化す。そして、架空の打球を目で追う。そして、そこへ移動して、次のカーボンを選ぶ。
何度かやっているうちにコツが掴めてきた。
「周りからは、僕がふつうにボールを打ってプレイしているように見えるだろうな……」
しかし、そこで問題が出てきた。
「そうか、サークルに乗ったあとはどうしよう?」
ゴールカップの周囲はサークルと呼ばれるエリアになっており、棒もプッシャーと呼ばれる転がすタイプのものしか使えない。
サークル外からサンドと呼ばれる棒を使って架空のボールをサークルにオンさせた。
「よし……」
ここからは、インパクトの瞬間にナイスを叫ぶとやや不自然なので、プッシャーがボールに当たる瞬間に、コツンと自分で言ってみよう。
「悪くないな」
次のプッシュは、コツンと言ったあとに、コロコロも付け足した。
「うん、芝の目を読んで……、いい感じだ……」
架空のボールが徐々にゴールカップに近づく。
そしてついに、
「ナイスイン! トリプルボギーと……」
架空のボールがゴールカップに入った。専用の紙に鉛筆でスコアを記録する。
「よし、次のホールだな」
そういった感じで、九ホールを回り、ちょうどそこで小屋の前にくるので、早めの昼食のために小屋へ入った。
だが、前の組のマルーシャたちはすでに出発したあとのようだ。自分も急いで用意された昼食のオートミールをかきこむ。
「マルーシャにボールを借りられたらよかったんだけど……」
でも、しかたない。
昼食後、ヨナタンの調子もあがってきた。
架空のボールとはいえ、スコアもよくなってきた。
「よし、と。さあ、次のホールだ」
サークル上でカップインを終え、バーディをとったヨナタンが次のホールへ向かおうとすると、前の組のマルーシャたちがまだティーショットを行っていた。
「追いついたみたいだな……」
ヨナタンも、そこへ近づいて様子を見る。
前の組は四人で回っており、アイヒホルンの善良な議員、ワルター・テデスコ、オンドレイ・ズラタノフ、ヤーゴ・アルマグロの三人と、そしてマルーシャ姫だ。
まずは背が低くて少し太っているワルターのティーショット。意外と飛距離が出て、うまい。
そしてオンドレイ、背も高く、さらに飛距離が出ている。そしてヤーゴ。距離はそこそこだが、フェアウェイのど真ん中だ。三人とも、いつもやっているからなのか技術がすごい。
「ナイッスー! どんどん良くなるね! どこまでよくなるの?」
マルーシャ姫は、まだ練習が足りていないのかフォームもいまいちで、ショットも変なところへ飛んでいったが、三人がいろいろと褒めておだてるので機嫌は良さそうだ。
四人がそのホールのカップインを終えるまで待ち、そしてティーショットを打つ準備をはじめるヨナタン。
「あれ?」
ふと見ると、となりのコースでヒスイがティーショットを打とうとしているのが見えた。ヒスイはマルーシャたちの前の組でひとりで回っており、ちょうどマルーシャたちを前後に守るかたちでヒスイとヨナタンがコースを回っているのだ。
「ふー」
息を吐きながら、トラベラーの棒を構えて瞑想に入るヒスイ。ヨナタンも、少し時間に余裕があったので、見ていることにした。
「ほぉー」
目を開けたヒスイ。ゆっくりテイクバックして、ゆったりと振る。
かあんといい音がして、思わず隣のコースからナイスと叫んだヨナタン。ボールが高々と舞い上がる。ヒスイは、そのままボールの飛んだ方向へ歩き出した。
「え? バッグは?」
どう見ても、ヒスイは自分の身長に合わせた長大なトラベラーの棒しか持っていない。それを背中とコートの間に突っ込んで、そのまま歩いて行く。
「ボールは!?」
ボールは、長々と飛んで、サークルの上空に達すると、そこから突然不自然な動きをして、あれよあれよという間にゴールカップへ。
「いや……、そんなはずはない……」
見たことは忘れて、自分のプレイに集中するヨナタン。
けっきょく、
最後のホールで五人が見守る中、本物のボールを使ってトリプルボギーでプレイを終えたヨナタン。みんなで小屋へ入った。
「ちくしょう、またヤーゴに負けた!」
とオンドレイが悔しがり、
「オンドレイはサークルに乗せたあとのプッシュがまだまだだよ」
とワルター。
「この天候だとさすがに七十切れないね」
と、それでも勝ってうれしそうなヤーゴ。
スコアは、ヒスイが十八、ヤーゴが七十四、ワルターが八十、オンドレイが八十六。
ヨナタンが九十九でマルーシャが二百だった。
「あなた百切ったの?」
と睨みつけてくるマルーシャに、
「い、いや、ぼくは変な手を使ってないよ」
とあわてて言い訳するヨナタン。マルーシャがさらに睨みつけるが、善良な議員たちがやってきてまた褒めておだてだしたので助かったヨナタン。
途中までは、自分は遭難するかもしれない、と心配していたヨナタンだったが、スコアはともかく、無事に小屋に戻れてほっとした気分だった。
帰り際、ガーフ小屋を出るとき、
「これをどうぞ……」
ヤーゴが小走りに寄ってきて、ヨナタンに何か手渡した。
「これは……」
それは、ガーフボールが三個入った小包だった。ちょうどよかったと思ったヨナタン、それを素直にポケットに入れる。
しかし、その様子を偶然通りかかったガーフ小屋の従業員に見られた気がした。
事件が起きたのは、その翌日だった。
早朝、ヨナタンはヒルトラウト湖の黒い館へ出勤していた。門の横でいつものように郵便受けを確認し、新聞が入っていたので取り出した。
なにげに広げながら玄関へ歩いていると、
「え? うそ? 捕まった?」
一面の見出しに、見知った顔。それは、前日に一緒にガーフをプレイした、三人の善良な議員たち。
「なになに……」
思わず立ち止まって、記事に目を走らせた。
「業務上チェスの疑いで書類送検!?」
新聞から顔をあげたヨナタン、
「たいへんだ!」
館の中へ走り込んだ。
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