第9話 刻まれた風景〈2〉

「兄さんがあんなに意地が悪いとは知らなかったわ」

 ホテルマンが去った後、僕を送ると言って印章屋のガラス戸を閉め、二人並んで歩き出した途端、来海サンは言った。

「だってひどいじゃない。アンフェアだわ。いくら私が選んだBFのあなたの資質を試したいからって、そもそもジャンルが違う。推理するも何も、さっきの話、あれはミステリなんかじゃない。虫人間なんて、ファンタジーかホラー、クトゥルフ神話のカテゴリーよ、モウッ!」

 その言葉に僕は射貫かれた。

「君が選んだ……BF……その資質を試す?」

 そうか、そういうことだったのか! 気づくのが遅すぎるぞ、画材屋探偵・桑木新。

 これは僕が来海サンに相応ふさわしいかどうかの試験、試練なのか!

 だとしたら、受けて立とうじゃないか! 今現在、来海サンは僕にとってとても大切な人になりつつある。僕は彼女を失いたくはない。だから何としてもこの難問――新人ホテルマンが持ち込んだ〈女性客の15年前失踪した母の行方〉を解き明かして見せる。信憑性があって納得できる解釈を披露して、僕がいかに頭脳明晰で冷静沈着な男か、兄さん、城下行嶺氏に知らしめてやる。

 スフィンクスの前の旅人のごとく僕は奮い立った。


 画材屋に戻った僕は時を置かず謎と対峙した。

(川……あとからあとから降り注ぐ雪……しかも季節は夏だという……)

 取り敢えず、この辺りが母親失踪の場所を特定する重要な鍵だ。

 虫人間は――これはあまりにも有り得ないから、この際、スルーしよう。

 15年前、母と宿泊した同じ駅前のホテルと言うのも、重要項かもしれない。Sさん自身もそこに着目してホテル近辺の川を巡ってると言っていたものな。

 では、ミステリマニア、店の宣伝用HPに画材屋探偵という異名を掲げている僕としては、もっと他に注目する箇所はないだろうか? さりげないけど重大な要因……見落としている何か……

 僕は新人ホテルマンの話をもう一度、じっくりと思い出してみた。

 なんとなく、気になった部分があったんだよな。聞いていた際、凄くリアルでブルッ・・・とした箇所が。どこだったろう?


 ――額に当たる窓ガラスのひんやり・・・・した冷たさを今も憶えています。


 それだ、この前後、彼女は何と言っていた? 


 ――寝ていた私はドアの閉まる音で突然目が覚めました。ちょうど母が私を置いて去って行くところでした。


 起きてすぐ、立ち去る母を見ている幼い娘。額に当たるくらいの高さの窓。この状況は何処だ? 何を意味する?

 また、彼女はこうも言っていたな。


 ――ホテルのドアを母に手を引かれて外へ出て……それから私の記憶は突然次の場面に跳びます。


 ホテルから移動して目が覚めた場所。ドアの閉まる音で目覚めて、時間差がほとんどなく窓ガラスに額を寄せ、去りゆく母を目撃できる場所とは?

「あ!」

 僕は拳をギュッと握った。ここだ、まずは謎を解く第一の鍵を見つけたぞ! 

(なるほど、そういうことか!)

 この線で考えると、失踪場所の選定は絞られてくる。しかも、僕の推理が正しければSさんの距離感は間違っていることになる。ホテル近辺ではなく、これは……

 僕は夢中でPCのキーボードを連打した。


 その日、僕は夜を徹して与えられた課題、付き合い始めた大切な人の兄からの無慈悲な挑戦状である、この謎解きに没頭した。

 僕が目を覚ましたのは耳元で鳴り響くフォーレのシシリエンヌ――スマホの着信音――……

 来海サンからのメールだ!

『すぐに来て!』

 今、何時だ? 9時過ぎ? いけない、寝落ちしていた。画材屋の開店は一応9時30分なのだ。

 もちろん、僕はすっ飛んで行った。その際、昨夜、見つけた重要なことを書き留めたメモ帳とスマホ、財布をボディバッグに突っ込み、画材屋の扉に〈close〉のプレートを下げるのを忘れなかった。


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