第14話 幻聴〈2〉

来海くみちゃーん! こっちよ、こっち」

「キャー、ともえネエ、会いたかったぁ!」

 依頼人、紅川巴くれかわともえさんは約束した場所――音楽科棟の前〈ドレミの池〉に先に来て待っていてくれた。

 僕たちの姿を見つけるや大きく手を振って迎えてくれる。

 従姉妹同志、再会を喜び合った後で僕に丁寧に頭を下げる。

「はじめまして、桑木くわきさんですね? 今日は遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、ノリで来てしまいました。行嶺ゆきみねさんや来海さんと懇意にしてもらっている桑木新くわきあらたと申します。正式には近所の画材屋です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 腰まで届く明るい赤茶の髪。聡明で気品に溢れた容貌の紅川さんは実年齢より大人びて見える。紫の小花模様のワンピースに栗の実色マルーンのカーディガンが良く似合っていた。来海サンもマニッシュなデニムジャケットの下は竜胆りんどう色のワンピースなので従姉妹同士、かぐわしい秋のハーモニーを奏でているように僕には見えた。

 それぞれ自販機で飲み物を買い、三つの噴水が飛沫を上げる半円型の池の側に腰を下ろした。

 紅川さんはすぐに本題に入った。

「とても奇妙な話なんです。ずっと自分ひとりの胸の内に納めていたんですが、日に日に気になって……それで、つい行嶺さんに打ち明けたところ――」

「新さんを紹介されたわけね。兄さんにしては正しい選択、賢明な判断だわ。だって、いつもやたら蘊蓄うんちくを並べる癖に、あの人、行動力はゼロなんだもの」

「まぁ、それは言い過ぎよ、来海ちゃん。行嶺ニィは優しくて素敵なお兄さんよ」

「もう! 巴ネェは昔っから兄さんに甘いんだから。過大評価しすぎ」

 僕は要らぬ口を挟まず先を待った。

「これからお話することを信じていただけるかどうか。というのも、私自身、現実なのか、それとも私の思い込み――錯覚なのかわからないんです」

 キュッと唇を噛んでから依頼人は言う。

「不思議な音を聞くんです」

 僕と来海サンは鸚鵡返しに、

不思議な音・・・・・?」

「初めてそれを聞いたのは二か月前、七月初旬の夜明け前でした。私、アパートの自室で夜通しフルートの練習をしていました。深夜のこと、消音器をつけて窓も締め切っていたのですが、どうしても思うような演奏ができず、疲れ果てて新鮮な空気を吸って気分を一新しようと窓を開けたところ、聞こえたんです」

「どんな音?」

 来海さんの問いに、紅川さんは首を振った。

「口で言い表すのは難しいわ。鐘のような、あるいは風鈴? 澄み切って、軽やかで清らかな音よ。まだ暗い夜明け前の空に響き渡って消えて行った――」

 その音を反芻するように目を閉じる。

「けっして、五月蠅うるさいとか、耳障りな音と言うのではないの。むしろ、もっと聞きたいと思った。心と体をスゥーッと通り抜けて行く、浄化されるような音」

 目を開けて僕たちを交互に見つめた。

「その後、何度か聞いたんです。私が待ち望み、聞き漏らすまいと気をつけているせいかもしれません。その音を耳にした時間はまちまちです。一度は空が白み始めた明け方、また、大学帰りの夕方のこともありました。音の出処でどころはわかりません。聞いたのが自室にいる時や帰り道だったのでこの近辺だと思うんですが」

 やや声を低めて紅川さんは言った。

「それで、このアパート内の知人や近隣の学生仲間に、それとなく『こういう音を聞いたことがないか』と尋ねてみたんです。でも、誰も知らないって言うんです」

 残念なことに、と両手を握りしめる。

「その音を聞くのはいつも私が一人でいる時なんです。音がした瞬間に誰かが一緒にいたなら『今の音、聞いた?』って確かめられるのですが」

「巴ネェが独りの時しか聞いたことがない……」

 来海サンの呟きに年上の従姉妹は悲し気に俯いた。

「そう。私の錯覚、空耳かもしれないと思う理由は、まさにそこなの」

「風鈴に似た音、といいましたね?」

 ここで僕が初めて質問する。

「同じアパート内や近所の建物の窓に風鈴が吊るしてあるのを見たことは?」

「私も、そう思って近隣を歩いてベランダや窓を注意して見て回ったのですが、私が調べた限りでは見つかりませんでした」

「うーん、風鈴は季節のものだからなぁ。巴ネェが初めて聞いた二か月前はともかく、秋の十月にそれを吊るしてる人はまれじゃない?」

「今もその音を聞くことがありますか?」

 紅川さんはこっくりと力強く頷いた。

「最近も聞きました。四日前と昨夜です。四日前は夕方、昨夜は真夜中でした。だから、我慢できなくなって行嶺さんに電話したんです」

「昨夜か。だとしたら、ひょっとして……」


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