第41話 去夏〈1〉

 伸ばした手は届かなかった

 指をかすめて落ちて行く 君

 だが、それは僕の指ではない

 わかっている、これは夢だ

 実際の僕はそばにすらいなかった

 

 ごめんよ

 君を 守れなかった……



 その日、舞い込んだ一枚の案内状が終幕フィナーレの始まりだった。

 

 【個展のお知らせ】

  浅井透/去夏の宴

  下記の通り作品展を開催いたします。

  ぜひお越しください。

   *日時 令和X年 6月8日~6月11日

   *場所 広島市紙屋町XXX


 午後の郵便物をより分けていた僕の手が止まったのを目ざとく見つけて来海くみサンが声を掛けて来た。

「どうかした、あらたさん?」

「あ。いや、何でもない――」

「わぁ! 個展の案内状じゃない、浅井透あさいとおる……誰? 新さんのお友達? 会場は紙屋町ね。新さん行くんでしょ? 私も行きたいな。絵画上達の勉強になるもの。だって、新さん、自分の絵は中々見せてくれないじゃない」

 僕は慌ててそのハガキを他の封書の下に潜り込ませた。

「もちろん、行くつもりだけど、先に片付けなきゃならないことが山積みだしな――あ、いらっしゃいませ!」

 巧い具合に入って来たお客さんの方へ歩み寄る。

 勘のいい来海サンのことだ。僕のこの行動に力いっぱい違和感を覚えたに違いない。だが、仕方がない。事実、僕はどうしようもないほど動揺していたのだ。

(まさか、あいつが? 今になってこんな形で連絡してくるなんて……)


 翌日。

 例によって学校帰りの来海サンが顔を見せる時刻よりずっと早く、正午過ぎ、僕は店を閉めて、ドアに〈close〉の札を掛けると出かけた。昨日届いた案内状の個展を見に行くために。


 僕の画材屋があるヒカリマチからほど近いJR広島駅北口の構内を突っ切って南口へ。こちらが俗に言う広島駅表側。すぐ前の広島電鉄(俗称広電)の路面電車に乗る。いつもなら市電を待つこの時間は凄く胸弾むひとときだ。僕の街広島は市電王国である。被爆電車650形も未だ現役だし、京都から九州に至る日本中の廃止になった路面電車たちや、試作車はドイツから来たグリーンムーバー、更にそれを進化させた最新の国内産未来型車両グリーンムーバーMAX……

 製造年やデザイン、歴史も様々な26種類もの車両が日夜走り回っているのだ。

 それなのに、この日はどの型に乗車したのかも記憶にない。14分後、紙屋町東駅で降りる。ハガキに記された番地を頼りに歩くこと数分。

 紙屋町は隣接する八丁堀町と並んで金融・商業・観光の中心地域だ。当然、市内有数の繁華街としていつも賑わっている。とはいえ、僕が至ったそこは細い路地の奥、再開発の夢から置き去りにされた古いビルだった。

(本当にここなのか?)

 一瞬、場所を間違えたかと思った。薄暗い階段を上ると二階の突き当りのドアに小さなカードが貼ってあった。


     〈 浅井透 個展 去夏の宴 〉

 

 古風な丸いドアノブを掴んでそっと押す。中は十畳ほどの広さで、灰色のリノリウムの床に白い壁。元はオフィスとして使われていたようだ。

 窓は無い、蛍光灯が皓皓と点いている。人は誰もいなかった。入口のドアの横にパイプ椅子が一つ置かれていた。

 よもや浅井透本人が控えている、とまでは思っていなかったが、受付係も関係者も不在とは……

 僕は、落胆とも安堵ともつかない、どっちつかずの低い息を吐いた。

 入口のドアは薄く開け放したまま――どうしてそうしたのだろう? いつでも逃げ出せるようにか?――中へ入った。

 改めて室内を見回す。

 左右の壁に四点ずつ小型から中型(10号~20号サイズ)の絵が並んでいて、中央に大きな一点(100号サイズ)が飾ってあった。

 なんとなく教会を連想した。真正面に聖画、両脇に薔薇窓……

 まさかな、考え過ぎだ。

 深呼吸してから、僕は左右の作品から見て行った。

 題名はない。どれも植物の絵だ。いかにもあいつらしい、と僕は思った。

 浅井透は美大在学中、植物画を得意としていた。というより植物の絵しか描かなかった。繊細で精密なタッチ、優し気なのに鋭い。

 両側の作品中、僕が見たことのあるものは一つだけ、それ以外は初めて見た――

 と言うことは、あいつは大学を去った後もずっと精進して絵を描き続けてきたんだな。

 僕を驚かせたのは、意識的に最後に残した中央の大きな絵だ。

 展示作中、この絵にだけ表題が掲げられていた。


     〈去夏の宴〉


 それは植物画ではなかった。人物画というか、肖像画だ。僕は初めて見た。

(あいつ、こんな絵も描くんだな……)

 背景は森。樹々の織り成す緑のグラデーションの中で、姉妹のような二人の少女がガラスの器から氷菓を食べている。お揃いの純白のワンピース、可憐な指にもそれぞれ真っ白い小さなスプーン。

 道を間違えて彷徨さまよううちに迷い込んだ森の奥深く、偶然、妖精のパーティを垣間見てしまったような……

 とても美しい絵だ。

 にもかかわらず、少女たちの顔に焦点を合わせた刹那、僕は身を翻して会場から飛び出していた。


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