第38話 あの子を捜して/捜索依頼〈3〉

 今や、すっかり僕たちの基地ホームベースとなった画材屋のレジカウンター。

 僕はゴッホの椅子、来海くみサンはゴーギャンの椅子に腰を下ろす。

 神妙な顔で来海サンは言った。

「もしかして、あらたさん、もう大体の謎は解いている?」

 彼女は推理のみならず非常に勘が鋭いのだ。

「まぁね」

 PCのキーボードに指を走らせながら僕は認めた。

「とはいえ、きちんと確認したかったんだ。依頼人、高林さんが手紙で列挙している〈捜索人〉――〈あの子〉を見かけた場所は、全て絵画のタイトルだよ。ホラ!」

 〈ゼラニウムの花瓶〉はルノアール、〈子供と食卓〉はボナール、〈仕立屋〉はレオナール・フジタ……

 まずは順番に画面を見せつつ、今度は僕が訊く。

「君も気づいていたんじゃないかい?」

「やっぱり、そうなのね。うん、私もあそこに書かれていた中のいくつかは、そうかなって思ったけど、全部は自信がなかった――」

 次々現れる絵画たち。

 〈塀の上の喧嘩〉はゴヤ、〈受胎告知〉はロレンツォ・ロット、〈音楽のレッスン〉はフラゴナール……

「〈日曜日〉がシニャックか。へぇ、いい絵だな、これ」

「ということは、これらの絵画に共通して描かれているものが高林さんの元からいなくなった〈あの子〉なのね?」

 答えは単純明快だ。画面を凝視していた来海サンの声が裏返る。

「えー、猫?」

「ご明答」

 僕は片目をつぶってニヤリとした。

「君、気づいたかい? 実は高林邸の応接室にあった絵、あれこそが第一枚目・・・・だった」

「新さんが見入っていたゴーギャンの?」

 る来海サン。この素直で正直な反応が僕は大好きだ。

「嘘! 南の島のあの有名な絵に猫なんて描かれてた? 私、全然気づかなかったわ」

「実は描かれてるんだよ」

 画面に映し出してそれを証明する。

「な? 猫は世界中にいる。そして、意外な場所に」

 依頼人・高林飛鳥たかばやしあすかさんの〈あの子〉は猫だ。今回依頼された捜索人の特定自体はいたって簡単な謎解きだった。

「どおりで期限がわずか一日だったわけね」

「そう。これで、明日の午後三時、僕らの結果報告を聞くために依頼人が待っている〈場所〉も自ずと解明されるというわけさ」

 余裕の微笑みを交わす僕ら、画材屋探偵とその相棒。

「うん、あそこ・・・ね?」

「ああ、あそこ・・・以外有り得ないな」

 ちょっと間を置いて僕はつぶやいた。

「残る問題は、猫である〈あの子〉の現在の居場所だが……」

 先刻より、眼前を流れ過ぎる美しい絵画……可愛らしい猫・猫・猫……を眺める僕の脳裏にしきりにリフレインする言葉があった。

 『何処にもいないが、何処にでもいる』

 あるいは、

 『何処にでもいるが、何処にもいない』

 これは異色の作家アゴタ・クリストフがその作中――この彼女の三部作は最高のミステリ小説でもあると僕は思っている――で発した謎々エニグマだ。

 つまり、そういうこと……

 

 僕と来海サンは、その日、残る時間の全てを費やして〈あの子〉の居場所を捜して世界中を巡った――


 翌日、午後三時。

 広島市中央公園の一画にあるひろしま美術館に僕たちはいた。

 この美術館は1978年、広島銀行創立100周年を記念して開館した。

 驚くなかれ、ここの所蔵絵画たるや物凄い。ルノワール、モネ、セザンヌ、ミレー、ピカソ、ゴーギャン、シャガール、モディリアーニ……

 それこそ半端じゃなく数多あまたの世界的名画を鑑賞することができるのだ。

 中でも必見はフィンセント・ファン・ゴッホ〈ドービニーの庭〉ではないだろうか。

 ほとんど同じ時期、同じ構図で描かれたスイス・バーゼル美術館所蔵の同名作品〈ドービニーの庭〉には庭を横切る黒猫がいるのにこちらの絵にはいない――

 本当は二作とも全く同じ構成だったのにゴッホの死後、こちらの絵は売りに出される直前に、猫の不出来さを憂えた知人が勝手に塗り潰したという説あり。

 だが、僕は(そしてきっと、絵画好きの大多数の広島市民がそう信じているように)黒猫がこっそり抜け出して館内を自由に遊びまわっている、に一票を投じたい。

 こういうわけで――

 今回の捜索依頼の結果報告をするのに、まさに、この美術館以上に最適な場所は無いだろう。

 早めに来て僕たちは名画を心行くまで味わった。

 その後で喫茶部〈カフェ・ジャルダン〉へ向かう。

 僕たちは依頼人・高林飛鳥さんの顔を知らないが、高林さんの方は僕たちを見知っているはず。

 その推理どおり、喫茶部へ足を踏み入れた途端、窓際の席から手を振る人がいた。



    ※アゴタ・クリストフ著・堀茂樹訳/早川書房

     「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」


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