第31話 警告〈4〉

「謎が解けたって、本当ですか?」

 念のため名刺を置いて行ってくれて助かった。僕のメールを受けるや、慧太さんは桑木画材屋の閉店時刻(一応、7時)より早く駆けつけて来た。

「ええ、多分、これで正解間違いないと思います」

 後は立証するだけ。

「そこで――協力していただけますか?」

 朝とは別人のように紅潮した顏でうなづく慧太さん。

「喜んで! 梓をこの手に取り戻せるならなんだってやりますよ。たとえ火の中、水の中、どんな苦行だって耐えて見せます」

「いや、その真逆。やるべきは至ってシンプル、しかも超Happyで楽しいことです」

 ただし、と僕は言った。

「僕の指示通りにしてください。これが最後だからと梓さんをデートに誘ってほしいんです。場所は――そうだな、縮景園しゅくけいえんがいいな。あそこで心行くまで過ごしてください。もう一つ、大切なことは、ですね、梓さんにお祖母さんの形見かたみの指輪を身に着けて来てもらうこと。どうです、できますか?」

 慧太さんはこぶしを握り、まなじりを決して、言った。

「やります、命に代えて!」


「これって悪い癖だわ、新さん。謎解きの最終章フィナーレをドラマ仕立てにすること。しかも演出過剰とくる……」

 来海サンが口を尖らせて僕を睨んだ。僕は悪びれることなく胸を張る。

「うん、それは認める。でも、それこそが生粋きっすいの探偵気質ってやつなのさ。僕らは皆ホームズの子孫なんだよ!」

 ホームズは劇場型だった! 続くポワロなんて実際に劇場で謎解きを披露した……

 呆れたように肩をすくめると来海サンは視線を転じて、ちょうど太鼓橋を渡っている慧太さんと梓さんの姿をうっとりと眺める。

「あー、でも、ほんと、幸せそう! 二人ともデートを心から楽しんでる」

「当然だよ、だって実際、お互い真剣に愛し合ってるんだもの」

 寄り添う二人の背後には濃い緑の森、更にその向こうに高層ビルが見えて、ここが都会の真ん中にあることを思い出させてくれる。

 僕らが今、潜伏活動をしている縮景園は広島市中区上幟町の所在。広島県立美術館に隣接していて、僕と来海サンはそちらの連絡通路から入って来たところだ。

 この場所は、元は藩主家臣浅野家の別邸だった。中国浙江省の西湖の風景を真似て作庭したそう。園の中央に池(濯えい池)、そこに浮かぶ大小の島を眺め、築山を上り、渓谷を下り、いくつもの橋を渡り、四阿あずまやや茶室にいこって……池を回遊しながら四季折々の草花や風景を楽しめる。爆心地から1,3キロだったため一時は壊滅状態だった。だが、現在では見事に復元されている。被災時の火災から焼け残った大銀杏、この庭に避難し亡くなった人たちの碑とともに。

「ねぇ」

 来海サンが僕の腕を引っ張った。今日は制服姿ではなく胸元に花の刺繍をちりばめたモスグリーンのボヘミアンワンピースだ。それがまた物凄く似合っている!

「じゃ、私たちも時間まで、大いに楽しみましょうよ! 終幕に間に合えばいいんでしょ? 私、園内の悠々亭ゆうゆうていの石橋の下にいる蛙石かえるいしを見るのが大好きなの!」

「僕は、流川ながれがわを悠々自適に泳ぎ回っているぼらと遭遇するのが楽しみだよ。知ってる? 園内の水を京橋川から取り入れてるから、満潮時に入って来た海水魚の幼魚が丸々と育ってるんだ。黒鯛くろだいすずきもいるんだぞ」

「楊貴妃灯籠の横で写真を撮ってよね! 赤い欄干が可愛い橋のそば……」

 こうして、僕たちも幸福なカップルと化して、あっという間に時は流れ、遂に、最終課題、本案件のQEDの瞬間がやって来た。

 僕と来海サンは花盛りのカルミアの木の下に並んで立ち、やや離れた場所から慧太さんと梓さんを見守った。今、二人は見晴らしの良い小高い丘の上にいる。

 昨日、あらかじめ僕が慧太さんに求めた行動の締めくくりとは……


 ――どうぞ、半日、最低2時間、庭園内で思う存分楽しく過ごしてください。そして、最後にもう一度、梓さんにプロポーズしていただけますか? 明るい陽射しの下、キチンと両手を取って、求婚の言葉を告げるんです。

 ――了解しました。何万回だって、やりますよ! それが僕の心からの想いだから!


 言葉通り、慧太さんは実行した。その一部始終を僕たちは見た。

 梓さんの瞳をまっすぐに覗き込み、両手を握って胸の前で掲げ、結婚を申し出る慧太さん。梓さんは手を掴まれたまま後ずさった。驚愕の顔で宙に浮いた自分の手を凝視している。次の瞬間、その手で顔を覆うと――号泣し始めた。

 しまった! 来海サンの言う通り、やり過ぎた! 流石にこれほどの反応は予想外だ。僕は慌てて来海サンの腕を掴んだ。

「行こう!」


「すみません、慧太さん、梓さん――」

 僕たちが駆けつけると梓さんは涙に濡れた顔を上げ、まず、慧太さんに抱き着いた。

「YES、YESよ! 結婚する! 私、あなたと、一緒になるわ!」

「梓!」

「でも、こんなことって……一体、何が起こったの? 見て!」

 片腕を慧太さんの首に巻き付けたまま、もう片方の腕を僕と来海サンの前へ差し出して梓さんは叫んだ。

蓮子さんの指輪・・・・・・・が元に戻ってる・・・・・・・! こんなことある? 何故? どうして?」

 咳払いして、一歩前へ出ると大真面目に僕は答えた。

「それは『慧太さんの愛が真実だから』そして『お互いが相応しい存在だから』――というのはこの際、何処から見ても揺るぎない事実なので、置いといて」

 僕は続ける。

「〈警告〉などと思ったのが勘違いだっただけです。いいですか、あなたがお祖母さまから受け継いだ指輪はパパラチア・サファイアなんです。その宝石ルースの発色因子はクロムと鉄。無処理の場合、褪色たいしょくする特性がある。でも、大丈夫、太陽光に一定時間さらしたら元に戻ります。これまたこの石の特質でして」

「なんてこと! それって、つまり、私があまりにも大切にしまいこんでいたせい? 箱に入れたまま厳重に保管してたせい?」

 未来の花嫁は泣き笑いしながら、

「なーんだ、〈警告〉どころか、〈謎〉でも何でもないじゃない。単に宝石の持つ特性だっていうのなら。それを私ったら、ホント、馬鹿。くだらないことに捕らわれて、あなたを困らせてごめんね、慧太」

「いや、待てよ」

 花婿が凛々しい眉間に皺を寄せて僕に問う。

「やっぱり〈謎〉です。桑木さん、あなたは写真を見ただけで、どうしてこの指輪がパパラチア・サファイアだと推理できたんですか?」

「そんなの簡単、基礎だよ、及川君。梓さんのお祖母さまの名が〈蓮子〉だと、僕の相棒が探り出して教えてくれたからです。パパラチアとは宝石の産地の言葉、サンスクリット/シンハリ語で蓮の花・・・のことなんです」

 さあ、総仕上げだ。指を一本立て、悪戯っぽく片目をつぶる。

「肖像画の元になった写真の指輪の色――ピンクかがったオレンジからも、絶対、お祖母さまの夫君は最愛の人の名にちなんで婚約指輪を選んだはずだと僕は考えました」

 これ以上は蛇足というもの。謎の解明はシンプルに限る。僕と相棒は幸福な恋人たちを残して丘を駆け下りた。

「君の指輪を選んだ時、宝石鑑定士の進藤晶しんとうあきら氏から学んだ知識が役に立ったよ!」

「私が学んだのは、これよ! 『大切な物は仕舞い込まずに肌身離さず身に着けるべし』」

 そう言って空へ翳した彼女の指には僕からの誕生日の贈り物、新宝石ラズベイルがキラキラ輝いている。

 石橋を渡る時、僕たちの今回のQEDを褒めたたえて、鯔(あるいは黒鯛、鱸、錦鯉)が跳ねる水音が確かに聞こえた。


            警告   ―― 了 ――


 ※参照文献:起源がわかる宝石大全/ナツメ社

       諏訪恭一・門真綱一・西本昌司・宮脇律郎(著)

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