第26話 宝石の隠し場所〈3〉
「どうか、お気を落とさないでくださいな。誕生日までまだ日数があります。私、待っていますから」
優しい言葉に見送られ僕と
エレベーターに乗り込んでも僕たちは無言だった。
『行き詰まったら振出しに戻れ』が推理のセオリーだ。
落ち着け、画材屋探偵
言うまでもなく夫自作の絵〈星の塔〉が一番の鍵だ。だが、それ以外には?
そう言えば、絵の裏側のカードには少々引っかかる文章があったっけ。
《このカードの文言と君が知ってる〈僕〉を
そこで僕はカードに記された文言を今一度思い出してみた。まず一行目、
《君の瞳に乾杯》
結婚後、初めて祝う誕生日に美しい瞳の妻を讃えた言葉として読んだのだが、よく考えたら、これは映画「カサブランカ」の有名な
ところで僕だってそこそこ映画通なんだぞ。というか、美大生で且つミステリ好きだったらそいつはたいてい映画好きだからね、断言してもいい。それはともかく――
1940年代絶大な人気を誇った名優ハンフリー・ボガードが若すぎるイングリット・バーグマンをからかうようにグラスを上げて囁く名台詞『君の瞳に乾杯!』
但し、正確にはこの言葉は本篇には無い。日本語字幕でのみ使われた、いわゆる、超訳だ。つまり日本オリジナル……国産……
ふいに僕の脳裏に、
――夫は映画鑑賞と絵やイラストを描くのを趣味としています。他には原石の形成や採掘場所への興味から地質学や考古学にも詳しいです。
原石、形成、地質学、考古学か。待てよ……
「着いたわよ、降りないの?」
エレベーターのドアを押さえて来海サンが振り返る。慌てて飛び出した僕はマンションを出てすぐの場所、エントランス横のシンボルツリー、春を待つヒメシャガの下で足を止め
「どうしたの? 何か別の、新しい鍵を見つけた?」
「かもしれない――」
「忘れ物ですか?」
ドアを開けて迎えてくれた進藤ハナさんの最初の言葉だ。
無理もない、今しがた送り出した二人が数分と経たずに舞い戻って来たのだから。
「お騒がせしてすみません。もう一度、トライさせてください」
僕は再びキャンディの小瓶の前に立った。
「でも、そこはさっき確認したのでは?」
「違う、こっちだ――」
今度僕が選んだのは黒飴だった。
先刻同様、真っ白いお皿の上にザラザラと開ける。
「やっぱりな!」
「まぁ!」
まん丸い那智の黒飴の中にひときわ煌めく漆黒の
「黒曜石ね? なんて綺麗なの!」
新妻は摘み上げ、ベランダから降り注ぐ陽の光に翳しながらうっとりと見入った。
存分に堪能した後で僕に視線を戻す。
「でも、わからないわ。何故、
その不思議そうな顏。僕はハッとした。
いいのかな? 夫君は愛する妻の、この驚きに満ちた表情を眺めつつ謎の答えを披露したかったんじゃないかな? その最も美味しい部分を一介の画材屋が掻っ攫うなんて、かなりの罪・悪・感。
とはいえ、僕は説明を開始した。いついかなる時でも謎解きを披露する魅力には抗えない。それが探偵のサガである。
「最初の、金平糖に至る推理は悪くなかったんです。でもカードに記された文言も欠かすことのできない、まさに隠し場所を特定する重要な
依頼人の漆黒の瞳をじっと見つめながら僕は言った。
「〈君の瞳に乾杯〉。これは映画の名台詞ですよね? ここから僕は、あなたの瞳を、更に黒曜石をイメージしました。でもそれだけでなく――」
ここで咳払いをする。
「プロの翻訳家のあなたを前に僕なんかががこれを言うのは釈迦に説法みたいで恥ずかしいんですが、この台詞、『君の瞳に乾杯!』は日本語字幕限定とか?」
「ええ、知ってるわ。原文はHERE IS LOOKINNG YOU(君を見つめて乾杯)。見事な名訳として翻訳に携わる者には語り継がれています」
「それってつまり、日本オリジナル……国産ってことですよね? それを踏まえて再度僕は推理してみたんです。国産の黒曜石で何か繋がらないか、と。ご主人は原石の地質や発掘場所にも
僕は携帯を差し出した。
《
長野県諏訪郡下諏訪町にある縄文時代の遺跡。
2015(平成27年)3月10日国史跡に指定された。
日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」構成文化財にも認定されている》
「星が塔……」
「そうなんです。我が国の黒曜石の最大の採掘現場の一つであり、遺跡として整備され現在に残る場所、その名が
後日。
連れ立ってやって来た進藤ご夫妻を前に、僕は平謝りした。
「先日は本当に、出しゃばった真似をして、すみませんでした」
「いやいや、ハナの報告を楽しく聞かせてもらいましたよ!」
夫の
「画材屋探偵殿の推理に脱帽です。でも、まさか妻があんなファミリージョークを外へ持ち出すなんて」
美男俳優似の宝石鑑定士はしきりに頭を搔きながら、
「いやぁ、恥ずかしいな!」
すかさず愛妻が微笑んで腕を絡める。
「あら、だって、私も何にもせずに降参するのは嫌だったの。画材屋探偵さんの協力を得たにしろ、誕生日の贈り物――私の宝石――を自力で見つけて吃驚するあなたの顔を見たかったのよ」
「なるほどな、君の判断は正しかった。おかげで僕も、こんなに近くに同好の士・ミステリマニアが経営する素晴らしい画材屋があるのを知ることができたわけだ。桑木さん、今後、
やった! ご新規のお客をまた一人GETしたぞ! 〈画材屋探偵開業中〉のキャッチコピーはやはり宣伝効果が(それなりに)あるのだ。のみならず……
この日、F20(727×606mm)のキャンバスとスケッチブックを購入して帰ろうとした夫妻を僕は引き留めた。
「あの、よろしかったら、僕からの相談に乗っていただけませんか?」
「はい?」
ゴッホの椅子とゴーギャンの椅子――こちらは最近新たに追加したのだ。ゴッホが友人のためにアルルの黄色い部屋に用意した肘掛椅子。座面はゴッホの椅子と同じイグサ編み、背と肘と足の部分は雀茶で勿論、色は僕が塗った。我ながらなかなかの出来栄えだ。
二つの椅子に仲良く腰を下した夫妻に僕は切り出した。
「実はですね、僕の友人の誕生日が間近でして、それで……」
そう! 今回の話はここで終わりではない。もう一つの宝石の隠し場所を巡る謎解きをご堪能あれ。
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