第35話 窓辺の乙女〈4〉
「樺音さんは、頭脳明晰のみならず、お茶目で悪戯好きなお嬢さんだったと矢仙さんからお聞きしました」
僕の言葉に即座にご両親がうなずきあう。
「ええ、そのとおりです!」
「そうでしたわ! あの子はいつも楽しいことを企てては皆が吃驚する顔を見るのが大好きでした!」
「それが、今回の謎を解くキィ・ワードでした」
僕は続けた。
「僕も美大卒ですが、樺音さんは美大で学んだ上に職業も美術館の学芸員を選ばれた。絵画への知識と造詣は人一倍深かった。その樺音さんならではの選択です。この絵は、意図的にある絵を基に描かれています」
〈日本の花瓶〉オディロン・ルドン作1908/92,7×65,0cm ポーラ美術館蔵
スマホでその絵を示す。
「ほんとだ――」
「まぁ?」
「うむ……」
異口同音に上がる声。さざめきが静まるのを僕は待った。
「違うのは花瓶に生けられた花だけ。こちらは真紅の薔薇が13本。小5以来、矢仙さんが樺音さんの誕生日に贈った薔薇の数と一致します。この薔薇が第一のメッセージです」
「ええ、その薔薇に関する話は私も妻も知っています」
「ほんとに素敵な思い出……」
「更にもうひとつ、樺音さんがこの絵を選んだ理由があるんです。実はこの絵は花瓶の裏側の模様――見えていない部分についても有名な絵なんです。絵の題名でもある日本の
いったん言葉を切る。
「13本の薔薇と〈裏側〉……
一同の視線が僕が掲げるカンバスに集まる。
「樺音さんはユーモアがあって悪戯好きだということも矢仙さんからうかがいました。その樺音さんが自身の口で制作中の絵について『サプライズプレゼント』だと言っています。以上のことから」
僕は弁護士にまっすぐに向き直った。
「彼女は
間髪入れず、僕は言った。
「よろしければ、今、下の絵――隠されている、もうひとつの絵をご覧に入れましょうか?」
「ぜひ!」
「見せてください!」
「ええ、お願いします!」
三人の同意を得て、僕はそれを行った。
持参したカンバス用
「これだ、この構図だ!」
室内に矢仙さんの声が響き渡る。
目の前に出現したのは、自室の窓辺に座って、今しも入って来た人をまっすぐに見つめる乙女。
その背後の窓は大きく開かれて、向かいのビルの屋上に、寄り添い腕を組んだ一組の男女の姿があった。
男性は銀色のタキシード姿、女性は純白のドレスを着て、髪に真っ赤な薔薇を一輪、
14本目の薔薇がここに……!
「今年の薔薇だ! そして――これは僕と樺音ですね? あいつ、僕のプロポーズを先取りしやがって……」
その後は言葉にならなかった。矢仙さんは絵を抱きかかえてその場に崩れ落ちた。
「樺音――……!」
「樺音ちゃん……」
「樺音……」
恋人の号泣、父母の
「お見事、新さん」
「……いや、ちょっとズルいかも。下の絵のことを僕は知っていた。というか、矢仙さんが話した、チラ見した絵柄から、実は昨日の内に、樺音さんが描いていた絵について察していたんだ」
「え? そうなの?」
「その絵が見つからないということはカンバスが二重張りしてあるな、と推理した。だからさ、仮止めに対応できるよう釘抜きを2種類持って来てたのさ。止めてるのが
「なるほど。画材屋らしく用意周到ねぇ」
「下の絵の元絵は〈シャルロット・デュ・ヴァルドーニュの肖像〉マリー・ドニーズ・ヴィレール作 1801 161,3×128,6cm メトロポリタン美術館蔵だ。これも知る人ぞ知る名作だよ」
僕はスマホを操作して、来海サンにそれを見せた。
「長いこと新古典主義の巨匠ダヴィットーーほら、白馬に乗ったナポレオンの肖像で有名な――の作品と思われてきた。実際は無名の若い女性が描いたんだ」
とはいえ、元絵は不穏でミステリアスだ。窓辺に座る年若い娘はスケッチブックを抱え、入って来た人を凝視している。彼女の背後、開かれた窓の向こうの建物には幸福そうな一組の男女。
だが、果たしてカップルの女性は窓の前でスケッチしている当人なのかだろうか?
それが断言できない。姉か友人か? 明らかに本人ではない、と思えてならない。
だから、
「何よりも、二つの絵の決定的な違いは――」
「表情ね」
僕の言葉を引き継いで来海サンがしみじみとつぶやいた。
「うん……」
さっき、僕たちが見た樺音さんの顔は喜びに輝いていた。
幸福な未来を見つめた溢れんばかりの微笑み……!
絵画には永遠に刻まれる一瞬がある。
あるいは、
一瞬を永遠に封じ込めるのだ。
どちらともなく差し出した手をしっかりとつないで僕たちは画材店に帰って来た。
窓辺の乙女 ―― 了 ――
☆彡参考絵画
〈日本の花瓶〉オディロン・ルドン作 1908/ 92,7×65,0cm ポーラ美術館蔵
〈シャルロット・デュ・ヴァルドーニュの肖像〉マリー・ドニーズ・ヴィレール作/1801 161,3×128,6cm メトロポリタン美術館蔵
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