第18話 少女の心〈2〉
話を聞き終えて、まず僕は
「その消えた掛軸について教えてください。どんな絵柄でしたか?」
「それが重要なことなんですか?」
「謎にアプローチするためにはなんだって重要です」
少年はうなづいて、
「確か、原画は〈雪見八景・豊國とよくに画〉と母が言ってました。浮世絵の複製画レプリカです。母のお気に入りでとても大切にしている一幅いっぷくです。母は雪が降ると必ずこれを飾るんです」
「よかったら、家の見取り図を描いてくれないかな。一階だけの簡単なものでいいから」
渡したレポート用紙に、流石、美術部部長、少年はササッと書いてくれた。
描き上げた図を見つめて本人曰く、
「あ! こうして絵にするとわかりやすいですね。言い忘れたけど、茶室の隣にもう一部屋ひとへや、和室があるんです」
「君のお母さんが言ってた『開いていた襖』とは、茶室のここ――廊下に面するこれだね?」
僕は図を指差して確認した。
「はい、〈茶道口〉って呼んでます。隣室の和室は廊下側が全て襖なので必要に応じて開放できます。室内の、玄関側から見て右奥のこの襖は茶道で言う〈躙にじり口〉。茶道教室の時はこちらも茶室への出入りに使用しています」
少年も指で指しながら追加情報を教えてくれた。
改めて僕は二人の少女の方へ視線を向けた。
「君たち、生駒君が台所にいて自室へ戻るまでの経過を教えてもらえるかな?」
少女たちはお互いの顔を見合った後で、まず最初に
「インターホンの音がして、生駒君が気づいて部屋を出て行きました。私が部屋で待っていると生駒君ではなくて大西さんが入って来た――」
長い睫毛を伏せる。
「私はもう充分おしゃべりしたし、片付けなければならない宿題もたまっていたので帰ろうと思いました。大西さんは引き留めてくれたんだけど、私は掛軸を見に来ただけだからと断って一人で部屋を出て――そのまま帰ったんです」
見取り図によると少年の部屋は廊下の突き当り、廊下は真直ぐに玄関へ続いている。その途中に茶室がある。僕は図の上に指を滑らせながら訊いた。
「帰り際、茶室の前を通った時、何か変わったことはなかった? 襖は開いていましたか?」
「そんなこと気にしなかったわ。でも、閉まっていたはずです。だって、私、ちゃんと閉めたもの。あ、いえ、私が言ってるのは、
息遣いが荒くなる。大きな瞳にみるみる涙があふれた。それを拭おうとポケットから取り出したハンカチがレジカウンターの上に落ちた。指が震えている。
その指を少年がギュッと握った。
「落ち着いて、風花。大丈夫だよ、今回の件は君とは何の関係もないんだから。言ったろ、ここへ来たのは君の潔白を証明するためだって。僕は君がどんな人間か知ってる。君は勝手に他人の物を持ち出すような人じゃない、世界1綺麗な心の持ち主だ。だからこそ、皆を納得させるためにはこれが一番いい方法なんだ。画材屋探偵さんに真実を明白にしてもらおうよ」
サッと反転して、挑むような眼で少年は僕を見つめた。
「池野さんの言う通りです。朝、僕たちは二人して掛軸を眺めて感嘆しました。充分味わって、それから茶室を出ました。僕が先に出て、風花がキチンと襖を閉めた。そのことは僕もはっきり憶えています」
僕は慌てて謝罪した。
「池野さん、誤解させたのなら謝ります。僕は時間経過をはっきりさせたくて訊いただけです。けっして君を疑っているわけではないからね?」
一呼吸置いて、僕は大西さんに尋ねた。
「君は一度も掛軸を見ていないんだね?」
「はい。漣君のお母さんの話を聞いた後で漣君と一緒に茶室へ行ったのが、今日、私がそこへ入った最初です」
ポニーテールの髪を揺らして大西さんは即答した。美術部の副部長と聞いたが、いかにもピッタリだ。聡明で落ち着いた印象。スタンドカラーのコートはダスティブルーで少女の理知的な雰囲気に凄く似合っている。
「その時の茶室の様子を、君の眼から見て憶えている限り正確に教えてくれないかな」
「あそこは、いつも整然としているんです。床の間の壁には何も掛かっていませんでした。足元――真下の花卉かきにも水が張ってあるだけで、花は活いけてありませんでした」
暫く考えてから僕は言った。
「うーん、これは難問です。今日はこれからじっくり考えたいと思います。とはいえ、謎は出来るだけ早く解明するつもりです。全てが明確になったら、すぐに連絡します」
「ありがとうございます。母に一日も早く掛軸を返したいので、どうかよろしくお願いします」
生駒君は僕にアドレスを教えてくれた。
三人が同時に席を立つ。冬の日暮れは早く、気づくともうドアの向こうはとっぷりと日が暮れていた。
「風花、今日はわざわざ二回も呼び出してごめん。君の家は遠いから送って行くよ」
「ううん、大丈夫――」
首を振る池野さんに大西さんの声が重なる。
「あ、寄る処があるから、漣、池野さん、私もここでサヨナラ!」
「君、忘れものだよ」
僕は池野さんを呼び留めた。先刻レジカウンターの上に落したままのハンカチを差し出す。動揺する彼女を勇気づけるために、その手を生駒君がずっと握っていたから渡す機会がなかったのだ。
「あ、すみません、ありがとうございます」
受け取るその小さい手がまた震えている。僕は改めて繰り返した。
「池野さん、何度も言うけど、誰も君のことを疑ったりはしてないからね?」
「……」
画材屋のドアを開け、三人は散り散りに帰って行った。
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