第17話 現在 青空デート(前編)

「乗る? 私なんかが乗っても大丈夫……というかよいのですか?」

「もちろん、後部座席にね。操縦はロヴィーサがやるから、舌を噛まないようにしてくれればいいわよ」

「ロ、ロヴィーサさんと一緒に!」

 ヨーコはほんの数日前にも、映画の中でロヴィーサが訓練のためにレイ教官を後部座席に乗せて飛ぶシーンを見直したところだった。世間的にはそれほど有名では無いかもしれないけれど、ヨーコにとっては何度も何度も見直した『エリーロの空を駆ける』の映画の中で一番好きなシーンで、それを再現できるなんてと感動で震えていた。

「大丈夫。白イルカは、色々難しいけれど、黒イルカはプロペラの軽飛行機とたいして変わらないから」

 ティルデは笑っていた。彼女からすれば、後部座席に乗って空を飛ぶなんて本当に大したことではないのだ。ヨーコはそれはよく知っていたけれど、普段は大学まで自転車を使うくらいでめったに車にも電車にも乗らないヨーコからすれば、未知の体験で身構えてしまう。

(でも、乗らないなんてもったいない。しかも、黒イルカの実物!)

 白イルカは、世間では美少女飛行部隊が乗っていた機体と言ったら、すぐに思い浮かべる飛行機だった。一人乗りで、コンパクトに無駄を徹底的に省いた結果。普通の大人パイロットには搭乗を拒否される機体ができあがってしまった。

 黒イルカは、訓練用の複座機だった。白イルカより少し大きい機体は、全て電気で動く謎のハイテクはあるものの、普通の軽飛行機とあまり違いはなかった。ただ、こちらは一番有名な映画『第307飛行隊の奇跡』の作中では、あまり出番は多くないので世間ではあまり知られていない機体だった。

(とはいえ、黒イルカの方でも本当に小さいのね)

 改めて黒イルカの機体を眼の前にして、ヨーコはそんなことを思った。映画では何度も見て、大きさは分かっているつもりだったけれど実際に乗るとなると少し足がすくんでしまう。素人目にもこれはちょっと強風が吹いたらまっすぐ飛べないのではと心配になる。

「でも、ロヴィーサさんと一緒に死ぬなら本望です」

「え? あ、はい」

 思わずヨーコは、ロヴィーサの手を両手で握りしめていた。真っ直ぐな愛の告白みたいな台詞に思わずロヴィーサも頬を赤くしていた。映画では実際よりもクールなキャラクターに描かれていることが多いだけに、真っ白な肌が紅潮している姿はヨーコには新鮮で綺麗だと改めて思い悶えていた。



「似合っているわ。ちょっと記念撮影をしましょう。シルベストク、カメラお願いね」

 服装はそのままでレシプロ機のパイロットの様なゴーグル付きのヘルメットを被るとヨーコはロヴィーサと並んだ。ヘルメットはつけていないけれどティルデも間に割り込むと、二人の肩を抱き寄せて密着して笑っていた。シルベストクは、慣れていない様子で声を掛けてカメラのシャッターを押してくれた。

 タラップというほどでもない、踏み台のようなものに乗せられて黒イルカに乗り込もうとしたところで、ヨーコはまたティルデに呼び止められる。

「はい。止まって! そこで写真をとるから、こっち向いて」

 ヨーコはわけも分からず飛行機に足を掛けたところで振り返ってにっこりと笑うと、今度はティルデが自分でカメラを構えて撮影をしてくれた。


 ヨーコは、憧れのコックピットに尻から落っこちるみたいに乗り込んだ。

「やっぱり狭いなあ。でも、思ってたのより綺麗。わあ、この後ろの方は映画で見たのとそっくり」

 感動しつつ座席の周囲をキョロキョロと見回していると、前の座席にロヴィーサが乗り込んできた。

「大丈夫? ちゃんとシートベルトは締めてね。こっちとこっちにあるから」

 ロヴィーサが後部座席まで身を乗り出してきて、色々教えてくれた。ヨーコの目の前で、ロヴィーサの前髪が何度も揺れる。

「あれ? なんか、こんなシーンがあったような……」

 一瞬、何かの光景が目の前のロヴィーサと重なって、思わずそんな言葉が漏れてしまった。後部座席に乗り出すロヴィーサの姿が、目の前のロヴィーサの姿に重なっていた。輪郭、前髪の動き。見事にシンクロしていた。ただ、ちょっとだけ昔のロヴィーサの姿だった。

「映画だと夜間訓練の後で教官に告白したところかしらね……」

 ロヴィーサは、そう言った。微笑んでくれたのか、ちょっと不機嫌だったのか分からない顔をして前の座席に戻っていった。

「ああ、いえ、あの、その、調子に乗ってすいません」

「別に怒ってはないわよ」

 ロヴィーサはちょっとぎこちない感じだったけれど、わざわざ振り返って微笑んでくれた。

「でも、実際には降りてから……ううん、教官に猛烈にアタックしたのはもっと後。……残念ね。やっぱり教官ではないのかしらね……」

 最後の方に呟いた言葉は、後部座席までは届かなかった。

「あ、でもさっき撮影してもらったのって、レイ教官の有名な写真の構図にそっくりですね」

「そうね」

「あ、そうか。ティルデさんが、わざわざあわせてくれたんですね」

 乗り込む時にわざわざ呼び止めてくれた意味がやっと分かって、ファン失格だなとヨーコはちょっと変な反省を一人していた。

「それじゃ、行きますよ」

「は、はい」

 ロヴィーサが操縦桿を握ると黒イルカは、わずかなモーター音とともに移動を開始した。

 ヨーコが外を見るとティルデはにこやかに手を振ってお見送りをしていた。その横でシルベストクは誘導棒を両手にもって何やら指示をしていた。

「別にこの辺は空も含めて、私たちの貸し切りだからマーシャラーとか不要なのに」

「ま、真面目な人なんですね」

 どうやってよその国で貸し切りにしたのだろうかとか、マーシャラーが何なのかあまり分かっていなかったけれど、きっとあの光る棒のことだろうかと推測して、ヨーコは何となくシルベストクに感謝していた。

 ジェットコースターで最初に徐々に上に登っていく時の気持ちに似ている。ヨーコは目をつぶりたくなる衝動に何とか耐えていた。

「え? もう浮いている?」

 白イルカがその場で浮き上がる映像を見たことはある。でも、映画でもほとんど滑走路を走ってから離陸していたので、同じように飛び上がるのだろうとヨーコは思っていた。

(なんか、斜面を滑り落ちているみたい)

 怖いけれど、楽しくなりながら外の芝生が高速で後ろに流れていくのを見ていた。

「はい。飛び上がったわ」

 ロヴィーサは、車で近所のお店にやってきたかのような気安さで後部座席を振り返った。

 少し見下ろすとなだらかな緑の芝生斜面と、一面の海が見えた。海に日光が反射して光かがいていた。改めて、自分たちが住んでいるのは港町なんだなと思いながらヨーコは空からの眺めを満喫していた。

「これがティルデさんやロヴィーサさんが見ていた景色なんですね」

「私たちの国はこんなに整備されていないけど……海はどこの国でも綺麗ね」

 ロヴィーサは、操縦桿を握りしめて正面を見ながらそう言った。安定飛行になっても、油断はできないのだろう。あまり景色を眺めている余裕はなさそうだったけれど、嘘ではなく綺麗な海を楽しんでいるようだった。

「これ以上、街に近づくことはできない決まりだけど、一度、公園の方に戻ってから、もう一周グルリとするとしましょうか」

「は、はい。よろしくお願いします。わ、私、この景色のこと一生忘れないと思います。いえ、決して忘れません」

「ふふ」

 ロヴィーサは笑ってくれた。でも、それ以上は何も言わずに前を見て操縦に専念していた。

(やっぱり、あっと言う間だなあ)

 車ではそれなりにかかった道のりが、飛行機だとすぐに戻れてしまう。全然、本気の速度を出しているとは思えないのに、もう一周してしまった。

 名残惜しい。もっとこの青い大空のデートを楽しみたいのに。そんなことをヨーコは考えていた時だった。

「ロヴィーサ! 緊急事態」

 突然、ヨーコのヘルメットから無線の声が響いていた。自分のヘルメットに無線なんてあるとは思っていなかったヨーコは驚いて跳ね上がってしまった。

「どうしたの? ティルデ」

 ロヴィーサが冷静な声でマイクから返事をした声もヘルメットから響いてきていた。

「未確認の飛行物体が接近中よ。三機」

「え?」

「警告はしているけど、進路を変える様子はない。真っ直ぐにこっちに向かってきているわ」

 さすがに、ロヴィーサも少し驚いたような声をあげた。

「ま、まさか。ティルデさんやロヴィーサさんを狙って」

「その可能性もあるわね」

「そうだとしたら、着陸して大人しくしている方が危険かもしれないわね」

「そうね」

 二人が何を話しているか、ヨーコにはあまり飲み込めていなかったけれど、これは大変なことになるのかもしれないと慌てふためいていた。

「ヨーコさん。シートベルトは外してないわよね」

「は、はい」

「ちょっと乱暴な操縦になるかもしれないから、覚悟してね」

「はい!」

 せめて足手まといにならないようにしようとヨーコも気合いを入れた。

「レーダー照射を確認! 熱源反応! 未確認飛行物体を敵とみなします」

 ティルデの声は、冷静さはありながらも緊張感のある声だった。

(え? え? 何が起こっているの?)

 ヨーコは訳も分からず震えていた。

(まさか! 本当に誰かがロヴィーサさんの命を! そんなことがあったら国際問題じゃない)

 大きく機体は傾いて旋回する。そんな大きなGがかかる中でも、まだ何かの間違いだとヨーコは心の中で叫んでいた。

「エンゲージ」

 ロヴィーサの冷たく怖い声が、コックピットの中に響いていた。

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