第22話 過去 夜の個人レッスン
夜の飛行場は光り、私たちを誘導してくれている。
特に空から眺める風景は、格別だ。誘導灯と誘導灯が照らした滑走路がすべて自分たちのために光を放ってくれている気さえがする。
それはどの空でも変わらないのだろう。
ただ、今は夜空に飛んでいるのは本当に私たちだけであるかのようだった。
周囲は本当に闇が覆っていた。この離島の周囲には目指す船の灯りしかなく、はるか遠く大陸の方を見ても寂しいものだった。わずかに一箇所、街の灯りらしいものが遠くに見えるだけだった。
本当なら管制塔からの細かい指示もあるはずなのだけれど、この田舎では誘導する意味がないとでも思っているのか、離陸した後はお任せしているとでもいうのか静かなものだった。
「なんで、私、教官と夜に空を飛んでいるんだろう」
私は操縦桿を握りながら、『どうしてこうなったのか』と何回も考えつつ、黒イルカと呼ばれている複座の訓練機に乗って、教官と夜の空を上っていった。
私は、少し自暴自棄になっていたのかもしれない。
だから、教官から夜のお誘いを受けた時には簡単にうなずいてしまった。
なんて言われたのかをもっとちゃんと理解しておけばよかったのかもしれないけれど、はっきりとは覚えていない。
(一番優秀だったのだから当然の権利)
(教官はなぜか私のことを気に入っているみたい)
(近い将来への不安と今の退屈)
そんな余裕がなくすごく色々なことを考えて、考えて自分でもよく分からなくなってしまっていた。
(私のことを恋敵だと思っているロヴィーサちゃんへの当てつけ)
つまるところ、その気持ちが一番しっくり来るような気がする。
じゃあ、もし私が教官と一番に寝たことが分かったら、ロヴィーサちゃんは教官を諦めて私の方を向いてくれるのかと言われたらそんなことはないと思う。
むしろ、嫌われる。
それくらいは分かっている。
ただ、もう何もかも面倒くさくなって、全部教官にお任せしたい気分になっていた。そして、教官のお誘いに何もかも従った結果が。
「こ、これが夜の個人レッスンですか!」
さすがに、黒イルカに乗り込む時には分かっていたけれど、上空でも後部座席に座っている教官に向けて私は叫んだ。
ちょっとやけくそで楽しくなってきていた。
「え、うん。そうだよ」
教官はとぼけた声でそう答えていた。
私の単なる間抜けな勘違いだけではない。教官は明らかに最初、艶っぽい声で囁いて私を誘っていた。
からかいつつ、きっとこういう反応になるのが分かっていたのだ。
「それじゃあ、あの船に着艦して」
「え?」
海の上に誘導灯がきらめいていた。
「うちの国に空母なんてないですよね?」
冷や汗を流しながら分かりきった事を聞いてしまう。
「貨物船の甲板を綺麗に整えたらしいよ」
「大丈夫なんですか。それで」
「大丈夫だったよ。こう見えてこの機体、離着陸は短くてもできるから」
「それ、事故率高いやつですよね。ですよね」
「僕がついているよ」
教官が笑っているのは、顔が見えなくても分かった。
「こわっ」
改めて船を目視して思わず声をあげてしまった。
誘導灯ははっきりとは見えるけれど、それ以外は全くの暗黒の世界だった。黒い海に黒い空。三日月だけがわずかな希望の光のように斜め上から照らしてくれているけれど、本当にわずかな隙間の光のようだった。
「着陸するのと何も変わらないよ。落ち着いて」
教官は、身を乗り出して囁くようにそう言ってくれた。いい声過ぎて、落ち着けるものも落ち着けない。もう少し本人は自覚を持って欲しいと思う。
(本当に何も変わらないのなら、訓練する必要もないよね……)
私は内心では文句を言いながらも、操縦桿を握る手に力を込めて集中する。
いざとなれば教官がなんとかしてくれる。
教官にはその自信があるのだろう。私は後ろの人を信用しながら、大事故だけにはならないように慎重に進入角度を調整して高度を下げていく。
「ひい」
黒イルカが一回大きく跳ねた時は死んだかと思った。でも、その後は静かに甲板の滑走路にランディングした。夜の駐車場に電気自動車を留めるくらいにあっさりとして静かなものだった。
「や、やった。やりましたよね」
私はヘルメットを勢いよく脱ぐと、前部座席から身を乗り出して教官に確認した。シートに乗せた私の手が震えて肩まで揺れていた。強気に振る舞いながらも、実際には怖くてしかたがなかったのだと教官にばれてしまった。
「うええ、怖かった」
私は黒イルカを降りて、甲板の上で座り込み泣いてしまった。
「よくやった」
教官はそんな頭を撫でて褒めていた。子ども扱いするなと普段なら言いたいところだったけれど、今晩はされるがままにしてやろうと許してあげた。
周囲を見回して、この船には本当に最小限の人間しか乗っていないらしい。誰も私のことを見ていなかった。
「こいつは結構すごい機体だよ。黒い方も白い方も」
許してやったにも関わらず私の頭を撫でたままで、教官は黒イルカを見上げて感心していた。
(もっと、私を褒めろ)
そう思いもするけれど、確かにオンボロの輸送機とは違うなと思いながら私も黒イルカを見上げていた。少々雑な着陸も離陸もアシストしてくれそうだった。
「きっと君たちの命を何度も救ってくれる」
そう言った時の教官の顔は、優しそうな、でも悲しそうにも見える。
(大戦にも参加したというのは本当なのかな……)
まだまだ若そうに見えるのに、そんな噂が飛び交っていた。戦友を何人も失ったりしたのだろうかと思いもしたけれど、今は教官として私たちのことを本気で気づかってくれることが分かって嬉しかった。
「さて、戻れるかい?」
教官は一人甲板に立ち上がると私に向かって手を伸ばして聞いた。
「む、無理かな」
教官の後ろは真っ暗な闇だった。じっと後ろを見つめるだけで、さっきの恐怖が蘇ってきて足がすくんで動けなかった。帰りは島の上とはいえ、周囲が暗い滑走路に無事に降り立てる自信がなかった。
「次は、次はきっと大丈夫だから」
口からでまかせというわけではなく、最初から今夜の経験があれば何回も往復できる気がした。
「分かった。じゃあ、今晩はこの船で朝まで過ごそうか」
教官も別に失望したりもせずに、私の言うことを素直に受け止めてくれたようだった。
それはそれとして、さっきよりも一歩近寄り更に手を伸ばして私の手を握った。
「え、ええと?」
私は戸惑っていた。
今夜は教官が操縦して、島まで帰ってくれるのかと思っていたら、それは訓練にならないということのようだった。
「休める船室があるからね」
笑顔でそう言うと私の手をちょっと強引に引きながら、船室のある居住区まで降りていこうとする。
「君には、一晩僕を自由にする。夜の個人レッスンの権利があるからね」
思わずひっぱたきたくなるくらいのいい笑顔で私をからかったので、もう何も言えずに着いていった。
私の朝帰りは、刺激を求める女学生にとっては大ニュースとして次の日には全生徒の間を駆け巡っていた。
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