第3話 現在 英雄ティルデの外遊

 取材場所に指定された場所はこの街で一番高級と言われるホテルだった。

「なるほど、きれいね」

 ヨーコ・バートランドは、この街に何年も住んでいながら、こんな高級なホテルには縁がなくて近づいたこともなかった。

 少し強い海からの風に髪を抑えながら、周囲を見回す。街の中心からは少し外れた高台で、見慣れている建物や海のはずなのに別物の絶景のように見とれていた。

「本当にあんな有名人に会ってもらえるのかな……」

 ホテルを見上げながら、ため息を吐きながら自分の格好が相応しいかを確認する。さすがに普段、大学に行くようなカジュアルな服装ではなかったけれど、持っている服の中で一番綺麗な服、アルバイトの面接の時に来ていくスラックスとジャケットであっても、さすがに場違いな気がしてきてしまう。

 一人で来てしまったことを少し後悔していた。あの馬鹿教授を無理矢理にでも連れてくればよかったなどとぶつぶつ呪いながら、玄関前でうろうろしていた。

「でも、あの人の話を直で聞きたい」

 一番の推しのロヴィーサさんではない。でも他の人にしても外国の人なのだ。

 こんな機会はもうやってこないかもしれないと気合いを入れてホテルのフロントに足を踏み入れた。

 ホテルの内線電話ごしに案内されてアンティークなエレベーターで三階まで上がると、部屋の入り口には如何にもボディーガードらしい素晴らしい体格の黒いスーツの男性が二人ほど立っていた。

「あ、あの」

「ヨーコ様ですね。どうぞ」

 微妙なお客だけに男性の方もボディチェックをするか一瞬迷ったようだった。しかし、微笑みながら遠慮がちに挨拶をするヨーコの姿を見て危険ではないと判断したようでにこやかにドアを開けて通してくれた。

 部屋は海が見えるカーテン以外は閉められて薄暗い照明だけがついていた。護衛上の問題なのだろうかとヨーコは納得したけれど、わざと暗く部屋をみせることで落ち着いた感じを演出しているようにも感じられた。

 緊張しつつ足を踏み入れたヨーコは、厳かな雰囲気の中で開き直りにも似た落ち着きを取り戻してきた。

 広い部屋中央に、お目当ての女性は静かに座って待っていた。


 彼女の名前は――ティルデ・イェスパーセン

 サマリナ国の独立戦争の時に空軍のパイロットとして活躍した人だった。少女ばかりの部隊の中で最初のリーダーが戦死したあと、リーダーとして部隊を率いた。やがてこの部隊は軍全体、国全体を鼓舞する存在になっていった。

 だから彼女は、国民的英雄。そう呼ばれている人だった。


「あら? 随分可愛らしいお客さまなのね」

 

 ティルデは明るく親しみやすい笑顔で立ち上がってそう言った。

 年はヨーコと一歳くらいしか違わない。もうすぐ二十一歳になるはずの女性だった。

 背格好もヨーコとあまり変わらない。同じような二人が向かい合っていた。

 緊張した空気はどこかに消えて、親しみやすい雰囲気で近寄ってヨーコに握手を求めていた。

「は、はい。ほ、本日は私なんかのために時間を割いていただきありがとうございます」

「そんなに緊張しないで」

 笑いながら、ティルデは再び椅子に深く腰を下ろした。頭の上でまとめた髪がふわりと揺れて落ち着くまでが綺麗でヨーコは見とれていた。写真や映像でよく見る昔のパイロット姿より、髪は伸ばしていて伊達眼鏡をかけていた。ヨーコの大学にちょっとお洒落な同級生としていても何の違和感のない雰囲気だった。

「同じ年くらいの女の子とお話しできるのは楽しいわ。お友達と思ってどうぞ」

「は、はい」

「この国に来てから、おじさんどころかおじいちゃんの政治家や経済人と話してばかりよ。癒やしのひとときね」

 勧められるままにヨーコも椅子に座ったときにはすっかり打ち解けた雰囲気になっていて、ヨーコは感心するばかりだった。

(これが、カリスマのオーラなのね)

 座った姿を眺めてみても、ヨーコとそんなに変わらない服装だった。ヨーコよりもさすがに高級そうではあるけれど、軍服やドレスなどではなく、街に繰り出しても人の中に溶け込んでしまいそうなジャケット姿だった。それなのに、真正面にいるときらびやかな雰囲気に圧倒されてしまう。

 油断すると思わず拝んでしまいそうだと本気で思っていた。


「今日はなんだったかしら? シルベストク」

 ティルデの後ろで控えていた男性を手で招き寄せる。部屋の暗闇から、ティルデの側に寄ってきてやっと姿が浮かび上がってきた。ティルデに大きな手帳を広げて見せて説明している時になって、式典にでも出席しそうなきっちりとした軍服に身を包んでいることにヨーコは気がついた。


 ティルデはすでに退役しているのだけれど、今でも空軍の英雄として絶大な影響力を持っているという話は聞いていた。

 ヨーコからすると自分とあまり変わらない年齢の若い女性が、立派な軍人の男性にひざまずかれて説明を受けている光景を見て改めて本当の話なのだと感心していた。


「うちの国の近代史を勉強しているのね。……エーリカ国の大学教授からうちの首相に取材のお願いがあったと……それくらいかしら」

「え。首相? そ、そんな大きな話になっているなんて。う、うちの大学教授。何も話してくれなくて……」

「まあ、うちみたいに小さな国なんて、首相とか言っても大したことないから」

 ティルデは笑っていた。自分の国を謙遜して言っているのだろうということは伝わるのだけれど、今の光景をみると『首相なんて私に比べればお飾りみたいなものよ』と言っているようにヨーコには聞こえてしまってちょっと緊張した愛想笑いになってしまう。

「とりあえず、戦争の時の裏話でもすればいいのかしらね」

 ティルデが手帳から目を離すと、お付きの軍人は静かに一礼するとまた後方の闇の中へと戻っていった。

 やっぱりすごい人なのだと恐縮していると、少し腰を乗り出してヨーコに近づいて身振り手振りを交えて戦争の時の話をしてくれた。

 映画や舞台にもなった有名なエピソードだ。

 ほとんど戦闘の経験の無い少女たちが集められて、環境に配慮した戦闘機のために訓練を受ける。軍の上層部は、宣伝のためくらいにしか彼女たちに期待していなかったけれど、裏切った軍の一部と裏で結託していた隣国の侵攻でサマリナ国滅亡の危機の際に、大活躍をした。

 国家滅亡の危機に立ち上がった少女たちの友情と勇気の物語は、サマリナだけではなく諸外国にも讃えて広まった。

 特に、映画の盛んなファーエン共和国で三年前に作成された映画は、リーダーだった少女との悲しい別れと教官との淡い恋を強調して世界中で大ヒットを記録して彼女たちは世界中で大人気になった。

「実際のところは私たちが、空戦で戦ったのなんて数回だけよ。あとは補給用の車にこっそり近づいて攻撃しただけ」

「それでも、すごいことだと思います」

 お世辞でも社交辞令でもなくヨーコはそう言った。自分だったら戦車ではないにしても軍用の車に飛行機で近づくことなんて、想像するだけで震えてしまう。

「まあね。クシャウーロの戦いで戦車部隊を叩いた話は本当よ。冗談抜きで漏らしながら戦っていたけどね」

 ヨーコの尊敬に満ちた眼差しを感じたのか、ティルデはいい気分で語り続けていた。

「ですが、その辺のエピソードは全て把握しております。あ、あの。それで、特にお聞きしたい話がありまして!」

 話を遮るのは失礼だろうかと遠慮していたけれど、このままだとティルデのオンステージは終わることはなさそうな気がして勇気を出して呼びかけて見た。

「え? 全て?」

 部屋の中が急に静寂に戻って、立ち上がって語り続けたティルデの顔がヨーコの方を見下しながら向いた。良い気分の演説を途中で遮られて、不機嫌な目つきのような気がしてしまうのはヨーコの思いこみだろう。

「教官の行方を特に聞きたいと思っていまして、ティルデさんから見たエピソードを聞かせていただければと!」

 まるで直立不動で敬礼するかのように、背筋を伸ばしてヨーコは返事をした。

「教官? レイ・クレイバード教官のことでいいのかしら?」

「はい。その通りであります」

 変な軍人みたいな言葉遣いになって自分でもおかしいと感じていたけれど、今さら引き下がるわけにはいかないとヨーコは気合いを入れて答え続けた。

「ふーん。ちなみに何でレイ教官に興味があるのかしら?」

「一目惚れであります」

「へ?」

 間違いなく一瞬、鋭い眼光でヨーコを突き刺していた。だが、ヨーコももうここで話を聞けなかったら二度とチャンスはないだろうと引き下がらずにアピールを続けた。

「基地で、飛行機に乗り込んでいる時の写真を見まして、それから気になって気になって仕方がないのであります」

 目を丸くしているティルデに構うことなくヨーコは力強く語り続けた。その結果、ティルデも徐々に柔和な表情になっていく。

「格好いいですよね!」

「あはは。そうね。そう、教官はとっても格好良かったわ」

 ヨーコの熱心さにすっかり気を許して、ティルデは同級生と話すように笑っていた。

「でも、それじゃあ、話を聞いたら私たちと教官との関係に嫉妬しちゃわないかしら?」

 少し意地悪そうな笑みを浮かべてヨーコを煽るティルデだった。

「だ、大丈夫であります。むしろ、お聞きしたいです」

 二人はしばらく見つめ合ったあとで、ヨーコの変な言葉遣いがおかしくなって笑いあった。

 

 ホテルの一番奥の部屋のドアが開いてスーツ姿の若い女性が出てきたのは、そんな笑いで打ち解けた時だった。

 肩までの美しく真っ直ぐ伸びた黒い髪が印象的な落ち着いた感じの神秘的なものさえ感じさせるその美少女にヨーコの目は釘付けになっていた。彼女は写真もほとんど残っていない。昔はこんなに髪を伸ばしてはいない。

 でも、ヨーコにはすぐに誰だか分かった。

「ロヴィーサ・ストランベリ」

 自分でも無意識のままヨーコの口からこぼれ出た。

 その名前は、ティルデが率いた三○七飛行隊のエースパイロットだった。

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