第16話 過去 黒イルカとお姉さま

「黒い飛行機だ」

 いつの間にか滑走路に、新しい飛行機が増えていた。

「イルカちゃんより少し大きいね。シャチでいいんじゃない?」

「怖い名前にしなくてもいいじゃん。クジラにしよう」

「そんな大きくないでしょ」

 砂浜での訓練の帰りに通りがかった生徒たちからは変なあだ名をつけられそうだった。ほとんどマルティーヌが一人で騒いでいただけなんだけれど。

「黒イルカでいいでしょ」

 区別するのも面倒な冷めた私の一言で、そんな呼び方になった。

 白イルカと呼んでいた小さな飛行機と中身は良く似ている。

 見た感じは少し大きく高さがあった。なぜかといえば複座機で、コックピットからは強化ガラス越しに外が見えるようになっていた。

「これなら割と普通の飛行機ですね」

 私は、滑走路と学校を隔てるフェンスの前に立っているイエンスと名乗る教官を見かけて声をかけた。

 仏頂面で腕組みをしながら黒イルカを眺めていた教官は、私の方に視線を向けることもなく微妙な笑みを浮かべていた。

「まあ、そうだね。これなら普通のパイロットでも乗ってくれるだろうね」

 もう自分はお払い箱にして欲しいという気持ちもどこかにある気がする声だった。

「さすがに、白い方にいきなり女の子を一人で乗せて操縦させるのは無理があるからね」

「えっ、私はいきなり乗せられて操縦したんですけど……」

 その言葉に、教官はやっと視線を新しい飛行機から離して私の方に向けてくれた。

 でも、目をぱちくりさせた後はしばらく無言だった。

「ほら、ナビゲートする仕組みは充実しているからね」

 苦しそうな笑顔でそう言った。普段は全く表情が変わらないことも多いのに、最近、私に向けてはちょっとふざけてくることが増えた気がする。

『君なら大丈夫だと思ったんだ』などと軽い調子で話していた。

 確かに実際、ナビゲートする仕組みは充実している。簡単な操作で思った通りに動かせるのには驚いた。

 シミュレーターも充実していて、グライダーによる訓練もした。

「でも、小さな女の子を一人閉じ込めてどうなるかは不安ってことですよね」

 それは分かる。

 いや、偉い人も最初から分かっていたから黒い方の飛行機を作ったんだと思うとちょっと腹が立ってきた。

「そういうわけで、これからは年少組はまず先輩と二人組で飛んでもらおうと思う」

 あまりにも簡単な感じでいうので私は思わず『それがいいですよね』とうなずいてしまった。

「え?」

 意味に気がついた時には教官はすでにいなくなったあとだった。

 


「先輩、本日はよろしくお願いします」

 ロヴィーサ・ストランベリがパイロットスーツを着て私に向かって敬礼していた。

 小さくてもすらりと伸びた体にぴったりとあっていて、凛々しく思えて目を細めていた。

 同時に、こんな女の子にあうサイズのパイロットスーツあること自体が腹立たしい。

「は、はじめてですので、よろしくお願いします」

 答礼も終わり、移動しはじめると緊張した顔でうつむきながら、私の方に近寄ってくる。

 こうしてみるとやっぱり可愛らしい女の子だ。

 というかもう少し『飛行訓練は』はじめてとか言ってくれないと変な勘違いをしそうになる。

「教官じゃなくて、ごめんね」

「い、いえ、別にそんなことは」

 本当に一瞬残念そうな顔をした顔を見て、余計なことを言ってしまったと反省する。

 ロヴィーサから見れば教官は10歳近く歳上のはずだった。ロヴィーサの中でもどう扱っていいのか良くわからない感情なのかもしれない。

「教官は、管制室から教えてくれるから、色々遠隔で操作もできるらしいし安心して」

 後半は、自分に対しても言い聞かせていた。

(何を教えられるというのだろう……)

 そんな不安があったので、さっき教官からその話を聞いて少しだけほっとしていた。

「そ、そうですよね。もう、色々な女の子を教えないといけないですしね」

 前を向きながらも、もっと残念そうな目になっているのが悲しかった。


 私たちは黒イルカのコックピットに乗り込んだ。

 前の座席にロヴィーサが座る。

 黒イルカは、基本は前の座席が操縦用で、後部座席が火器コントロールの役割だったけれど、訓練用に後部座席から全てを制御することができる。

 私はこんな少女の命を預かることにいつもよりも緊張を覚えていた。

「私も髪を切った方がいいでしょうか?」

 前の席からヘルメットをかぶったロヴィーサの長い髪がおさまりきらずに溢れているのが見えた。

「綺麗だし、そのままでいいんじゃない? まだ」

 まだってなんだろう。

 彼女がこの綺麗な髪を切る日が永遠にこないで欲しいと願う。

「『そうだね。似合っているから、命令があるまでそのままでいいと思うよ』」

 軽い調子で教官から、無線が入った。

「は、はい。ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」

 ロヴィーサは嬉しそうな声で、その場にはいない教官に敬礼していた。顔は見えないけれど、きっと顔を赤らながら笑顔なんだろう。

(私の方が先に褒めたのにな……)

 ちょっとふてくされていた。

「『今日は基本的なところだから、緊張せずにね。きっと後ろのお姉さんが何とかしてくれるから』」

「了解いたしました」

 優しい声で私に丸投げしそうな教官だった。

 私の時には『離陸と着陸が重要だ。少しでもミスれば死ぬぞ』と怖い声で気合いを入れさせていたのにとぶつぶつ言っていた。

「ええ、大丈夫、お姉さんの言う通りにね」

 私はやけくそ気味に優しいお姉さんになりきって、指導することにした。



「ふう」

「『今日の訓練はここまで。お疲れ様』」

 地上に戻ると、教官から最低限の連絡だけがあった。

「はい。ありがとうございました」

 それなのに、ロヴィーサは嬉しそうな声だった。

 まあ、はじめて本物の飛行機を無事に飛ばすことができてその満足感もあるのかもしれない。その気持ちは私にも分かるとうなずいていた。

(でも、やっぱりロヴィーサはすごいわ)

 シミュレーターでも成績優秀だったけれど、実際にも優秀だった。正確無比な操作で、余裕で飛行機を飛ばしていた。

 まだ基本的なことだけ、操縦だけとは言いながらも、このままだとあっさり抜かれてしまうんじゃないかという予感は、現実味を増してきていた。 

「あ、あの。本日はありがとうございました」

 黒イルカは、キャノピーが開いて一気に開放的になる。

 視線を上げると、前部座席から立ち上がりこちらをのぞきこんでお礼を言っているロヴィーサの顔があった。

 海からの風と太陽が、ヘルメットを脱いだ彼女の長い髪を揺らしながらきらめかせていた。

「そ、それでですね」

 眩しい笑顔に思わず見とれていると、ロヴィーサは一呼吸置いて切り出した。

「これからは、『お姉さま』とお呼びしてもいいでしょうか?」

 この学校において、その呼び方にどんな意味があるのか分からなかったけれど、私には断るという選択肢はなかった。

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