第10話 過去 夜のデートの権利

 私たちが住まわされたのは、わりと綺麗な宿舎だった。

 余計なものは何もないというのがきっと正しいのかもしれない。

 島には、飛行場と宿舎のあるこの基地以外は、漁師が何人か住んでいるくらい。

 周囲には何もない。夜に基地の外に出るのは、少しの距離だとしても、かなり命がけだ。ほんとに命がけだ。野生動物って怖いんだと改めて思い知らされることになった事件が何度もあった。

 テレビは、食堂に設置してあったけれど、つまらない国営放送しか映らないので誰も見なくなったのだと思う。年頃の女の子たちからすれば、政治の話なんかよりみんなと話している方が楽しいのが当たり前だった。ううん、みんな楽しいふりをして気を紛らせているのだ。

(無駄な時間……)

 そう思っていた。

 でも、就寝時間までに許された自由時間に、ルームメイトがみんな部屋からでている中で残って一人孤立する気にもなれなかった。

 歓談室という名のちょっとソファーがいくつかおいてあるだけの部屋にみんな集まっていた。つかの間のおしゃべりでみんな盛り上がっている。

 私よりちょっとだけだけど年下の子が多い女の子たちの輪に積極的に参加する気にはなれずに、ちょっと外のソファーに腰掛けつつ適当に愛想笑いをしていた。十代も後半になれば一つや二つの歳の違いはそんなに気にならない。でも、年下の女の子たちからすれば私は、ちょっと怖いお姉さんなんだろう。ちょっとみんなも遠慮がちだった。

 私も、実際のところは不安だったのだろう。群れたくもないけれど、一人でいるのも怖かった。

「ああ、セックスがしたい!」

 私の隣に座っていたマルティーヌが突如、そんな言葉をぼそりと口にした。

 マルティーヌ・リーカネンは私と同じくこの訓練生の中では一番年上の十八歳だった。天然パーマだと言い張るその髪は肩までの長さでも、どこかふわりと揺れて綺麗だった。軍服どころか、ジャージであってもどこか崩して着こなそうとする私からすると意味不明な女子だった。

 はっきりとした声は、歓談室中のみんなの耳に届いてしまい、私も含めてみんながちょっとの間、動きが止まった。

(何を言ってんだこいつ)

 率直に私は思った。他の子たちもそこまでは思ってはいないかも知れないけれど、明らかに戸惑った静寂の時間があった。

「やだなー。もう、マルティーヌさんってば下品」

「西部の人は、言葉が直接的すぎるのよ」

「何ー? お姉さま欲求不満?」

 ティルデたち、賑やかなグループから茶化すような声が聞こえてみんな笑っていた。

「笑い事じゃないわ。切実よ。死ぬ前に、セックスくらいしておきたいと思わない?」

 冗談だと思っていたら、割と真剣な口調に年下の乙女たちは顔を見合わせて困惑していた。

「死ぬ……って。私たち実際に戦場に行くなんてことは無いでしょ?」

「せめて、恋くらいしたいとか言ってよ。お姉さま」

 怯えながらも、笑いに変えようとする年下の子たちの方が大人なのかもしれないと考えながら私は何も言わずにただ眺めていた。

「何を甘いこと言っているの? 私たちなんかにわざわざ訓練させたところで、本当に戦力になるだなんて思っているの?」

 その発言に私はちょっとムッとして、マルティーヌを睨んでいた。だけど、あいつは気にした様子もなかった。

「私たちなんて宣伝材料よ。ちょっと飛ばせるようになったら、祖国のために立ち上がる勇ましい少女たちって華々しく宣伝されるの」

 言葉の割には、強い語気ではなかった。だから女の子たちも怯えた様子もなかった。むしろ、みんなもその可能性は考えてはいたけれど言葉には出さないようにしていたことだった。

「そして無謀な戦線に送られて殺されるのよ」

 ずばりといい切ったその言葉に、部屋中の空気も凍ったように固まってしまった。余計なことを言うなあと私は仏頂面で女の子たちの方を見ていた。

「そ、そんなことはありません。大人の皆さんだって、優しくしてくれていますし、ねっ」

 立ち上がったのは最年少の十四歳でいつもは大人しいロヴィーサ・ストランベリだった。お人形のような整った顔立ちで、小さい体でもその姿は印象にいやでも印象に残ってしまう。彼女は懸命に反論しながら、隣のお友だちにも同意を求めていた。

「は、はい。そうです」

 同じく年少組の大人しいブリット・マルヤーナもうなずいていた。

「持ち上げてアイドルにしておいて、わざと見殺しにするのよ。そして、『国民よ怒れ!』って言うの。それが今の革命政府がするいつものやり方。そうでしょ?」

 思い当たる事件がすぐに何件も思い浮かんできてしまったのか、少女たちの表情も固まって暗いものになっていた。

「それだけにしては、お金かけている気がする。戦力になるかは分からないけれど、生き残るチャンスはあると思う」

 ロヴィーサを支えるように立ち上がったのはティルデだった。

(妙に度胸が据わっている娘よね)

 彼女はいつも明るく楽しく年下の娘たちのリーダー格だった。

 私はリーダーなんて興味もないし、お嬢ちゃんたちの面倒を私が見なくても良くなるのでティルデはありがたい存在だった。

「そうです。教官や大人たちはこんな私でも見捨てずに助けてくださっています。わ、悪く言わないでください」

 涙を浮かばせながらロヴィーサたちは、真正面からマルティーヌに訴えていた。

(なるほどね……)

 いつももの静かなロヴィーサが、立ち上がった理由が私や他の女の子たちにも分かってしまった。

 この間、緊張していたロヴィーサは、訓練の最中に倒れてしまったのだった。教官にお姫様抱っこで運んでもらって介抱してもらってからは、教官を見る視線が恋する乙女のものになっているのは、そんなことに疎い私ですら分かった。

「え、ええと。別にこの基地の大人たちを悪く言いたいわけじゃなくってね」

 お馬鹿でいつも偉そうなマルティーヌでさえ、こんな純粋な女の子を泣かせてしまったのは不本意だったみたいだった。ちょっと慌てながら、子供をあやすような口ぶりになっていた。

「いつ、過酷な指令が来るかも知れないから、悔いのないように生きていかないとねって話なのよ」

「悔いのないように……」

「そうそう、せっかくの格好いい教官がいるんだし、いい思い出を作らないとね」

「は、はい」

 マルティーヌは、ウィンクまでして笑顔を精一杯作っていた。ブリットは真っ直ぐその顔を見つめながら頷いていた。

「そんなわけで、最初の話に戻るのよ。そう、アピールしましょう。『教官! お願いします! 私とセックスしてください!』って」

 ロヴィーサの恋心を理解して、あわせたつもりだったのだろうけれど、ロヴィーサは明らかにマルティーヌから離れていた。

 いい話をしてくれた先輩を慕うように見つめていたのが、こいつは教官を汚そうとしているクズ女だと地面を這う虫を見るような軽蔑した視線になっていったのが面白かった。

「まあ、いいけれど、もう就寝時間だぞ」

「き、教官!」

 宿舎のドアが開いて入ってきたのは、今まさに話の対象になっていた教官だった。

 二十代の前半らしいと女の子たちが噂して騒いでいるのを聞いたことがある。同年代の男の子とあまり変わらないちょっと頼りない見た目のこの教官は、表情を変えることもなくこの乙女の群れの中に入ってきた。


「きゃああ」

 就寝時間も過ぎている自覚のある女の子たちも騒いでいたけれど、マルティーヌもさすがに恥ずかしかったらしくて、クッションを自分の顔まで持ち上げて教官から顔を隠していた。

 普段、恋愛経験も豊富なお姉さんですというアピールをしているくせに、今、クッションに埋めた顔は耳まで真っ赤なのは可愛らしいって私には思えた。

「イエンス教官、若い男性が女子寮に遠慮なく入ってくるのってどうなんですかー」

 ティルデたちは、文句を言っていた。でも、そんなに本気で怒っている様子もない。本当に見回りにこなくなったらそれはそれで残念なんだろうなという気持ちが透けて見えるようだった。

「女子寮じゃないし……。まあ、僕からあまり厳しくすることでもないんだけど、夜更かししすぎて、体調不良で事故を起こされても困るからね」

「は、はい。この間は失礼しました」

 ロヴィーサが敬礼しそうな勢いで、直立不動になって真面目に返事をしたので、内心ではもっと教官とふざけたいと思っていた他の女の子たちも渋々と真面目に解散の流れになっていた。

「き、教官どの!」

 クッションを左手に持ったまま高く右手の方をあげて、マルティーヌは教官を呼び止めた。

 顔はまだ真っ赤なままで真っ直ぐ立ち上がっていた。何を言うのだろうと女の子たちの注目も集めていた。

「どうした?」

 もう宿舎からも立ち去ろうと玄関に向かっていたイエンス教官は無表情のままで振り返った。

「さ、先ほどのお言葉は本当でしょうか?」

「先ほどの言葉って?」

「『まあ、いいけれど』です!」

 教官も何が言いたいのかよく分からずにぽかんとしている。

 普段、表情を崩すことは少ないけれど、こういう時の顔を見ると同じ年くらいなんじゃないだろうかと思うほど幼い感じがする。

「せ、せっくすをしても、『まあ、いいけれど』と言うことでいいのでしょうか」

(西部育ちはこれだから……)

 直接的すぎる単語での質問に、私の方まで恥ずかしくてクッションに顔を埋めたくなってしまった。

 でも、当のマルティーヌの横顔を見ると真剣だった。

(人間ってこんなに真っ赤になれるんだな)

 茹でたタコでも見ているような変な感動を覚えてしまった。本人も恥ずかしいらしいけれど、まっすぐに教官を見つめた瞳は恋する乙女そのものなので何も言えなかった。

「教官どのに声をかけていただいた時から、これは私の運命の人だと感じておりました。よ、よろしかったらぜひ!」

(大丈夫かな……もう……興奮しすぎて倒れそう)

 囃し立てていた周りの女の子たちも、ちょっと心配そうにマルティーヌを見ていた。

「なるほど、『まあ、いいけれど』」

 意味を理解した教官は、優しく微笑んで、さっきと同じ言葉を繰り返していた。

(余裕だなあ。こんな告白めいたことにも、慣れているってことかな。まあ、私にはどうでもいいけど)

 教官の恥ずかしがったりしない冷静な対応に、何故か私がちょっと苛立っていた。でも、当のマルティーヌは、少なくとも拒絶されたりはしていない好意的な反応だと、表情を和らげていた。

「でも、そんな簡単にただで抱いてあげるのも良くないかなと思う」

「え?」

 ちょっと不安そうに目を丸くしているマルティーヌを見ながら、私の方までなんとも言えない不安を感じてしまう。

(なんだこいつ。金でも取る気か? 最低だなこいつ……)

「じゃあ、毎月、優秀だった生徒は夜のデートをする権利をあげることにするよ」

「……は、はい」

 ちょっと理解をするのに時間はかかったけれどマルティーヌは、本気で敬礼をして、教官が立ち去るまでずっとその姿勢だった。

「よ、よーし。頑張るわよ」

 マルティーヌはロヴィーサと一緒に本気で気合いを入れていた。ロヴィーサの方はちょっと困惑しつつも手を握られたままだった。

(やれやれ、あんな優男のどこがいいのかな)

 私は興味ないし、関係ないねと高みの見物のつもりだった。

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