第35話 現在 ルミサの記憶

「ヨーコ……さん?」

「え」

 ロヴィーサは、自分でもやられたと思ったのかしばらく身動きしなかったけれど徐々にまだ動けることを確認していく。

 倒れたまま手首、首、そして足を動かしていく。少し開脚して恥ずかしいポーズのまますぐ側に寄り添って、泣いているヨーコと目があった。

「ペイント?」

 ロヴィーサの背中からべっとりと流れている赤い血のようなものを、ヨーコが指で触って確認する。よく見れば、服も穴はあいていない。

「痛かっただけ? どういうこと?」

 ロヴィーサも自分の背中に触れながら何もないことを確認して、安心すると同時に徐々にシルベストクに対して怒り感情がわき起こってきたようだった。

「ヨーコ様。どうですか? 何か思い出されましたか?」

 拳銃を構えたままではあったけれど執事のような振る舞いのままシルベストクは、ヨーコに向かいあった。

 ロヴィーサにはもう興味がないように、視線も向けなかった。

「なるほど、そういうことですか……」

「え、どういうこと?」

 立ち上がるヨーコの姿を見て疑問に思いながら、ロヴィーサも上体を起こした。

「わざとショックを与えて、私の記憶を確かめようとした」

「ああ、そういうことなのね」

 ロヴィーサは背中を擦りながら、もう怒ってはいない声色で納得していた。

 人質のような立場ではあったけれど、おそらくロヴィーサは、シルベストクと利害の一致で協力する部分があったのだろうとヨーコもティルデも横で見ながら感じていた。

「私はクレイバードです」

 ヨーコのその言葉に、シルベストクはぴくりと反応し、横で立ち上がろうとしているロヴィーサは目を輝かせてヨーコの姿を見上げていた。

「ですが、あなたの友人のレイ・クレイバードではありません」

 続けたヨーコのその言葉にシルベストクよりも、ロヴィーサの方ががっかりとした表情を見せていた。

「もちろん、レイの記憶もある程度、共有してはいますが……」

 その意味をロヴィーサもティルデも理解できずにいる中で、シルベストクだけが完璧に理解しているようで目を伏せた。 

「残念です。……ちなみにそれではあなたは誰なのです?」

 おそらくほとんど予想している表情で、シルベストクは目の前の少女に尋ねた。

「私の名前はルミサ・ヘッレ。レイ教官の一番弟子で、三○七飛行隊の最初の隊長です」

「ふっ、まあ、そうだと思っていました」

 シルベストクは特に落胆する様子もない。むしろ笑みさえ浮かべていた。

「おそらくレイは、あの体のまま生きているでしょうからね」

 そう言いながら、もうヨーコたちには興味もなくしたかのように踵を返した。

「どこへ行く!」

 ティルデたちよりも先にそう叫んだのは、機動兵器のコックピットにマイロ大佐だった。いまだ、コックピットのハッチも閉じられず、ろくに動かすこともできずにいた。

 嫌な予感がしたのだろう。

「あなたは、レイを探すのに便利だから泳がせていただけですよ」

 シルベストクは振り返り、見上げると笑っていた。一見すると、優しく慈悲溢れる笑みに見えるかもしれない。でも、実際にはもう何も期待しておらず見捨てた残酷な笑いだった。

 次の瞬間、船の船尾ハッチが開きはじめた。

 ヨーコが最初に見抜いたように巨大なハッチだった。船の後ろがまるごと開いていく、そこに上陸用の舟艇が入るウェルドックがある。揚陸艦が偽装している輸送船であるが故の設備だった。

 マイロ大佐は最初は何事かと疑問に思いながら、そこからシルベストクが逃げる気なのかと観察していた。

「殺しはしないぞ」

 頼めば港まで送り届けてやるのに臆病なやつだと馬鹿にするように笑っていた。

 今まで暗闇だったところに光が差し込みウェルドックがはっきりと見え、知らない舟艇が入ってこようとしていた。

 その後ろには潜水艦らしい姿も見えた。

「うおお。なんだと!」

 元々、この船にあった上陸用舟艇ではなかった。

 その船に乗っているのは完全に武装した兵だった。それもサウザード国の精鋭部隊であることは、自らもサウザード国の精鋭部隊出身であるマイロ大佐にはすぐに伝わった。

 次の瞬間には、シルベストクと入れ違うように上陸用舟艇から兵士たちが乗り込んでくる。

「やばい!」

 マイロ大佐は危機を察してコックピットから飛び降りた。

 それまでは、陽気な輸送船の船員を装っていた部下たちも武器を取り一斉に迎え撃つ姿勢になった。

「きゃああ。何これ?」

 ティルデが叫んでいた。

 銃弾飛び交う戦場の空を駆け巡った彼女であっても、こんな船内での銃撃戦は経験がなかった。船内に銃声が響いて、銃弾が火花を散らし跳弾が目の前を通過するのは恐怖でしかなかった。

「こっちに! ティルデちゃん、ロヴィーサちゃん」

 ティルデの手を引いて、ヨーコは奥へ――船の先頭の方へ――と移動する。コンテナの陰に隠れてなんとか束の間の安全地帯を確保した。

「ええと……ルミお姉さまなの?」

 ロヴィーサはヨーコの顔を見ながら、そう尋ねた。

(今、話すべきだろうか……)

 コンテナにも銃弾が時々、当たる中でヨーコはわずかの間考えた。

「はい。そうです。ルミサの記憶があります。ルミサです!」

 やけくそ気味に宣言した。ロヴィーサもティルデもその言葉を聞いて、目を丸くして驚き、一瞬悲しそうな顔になったあとでやっぱり嬉しそうな顔になった。

「話は色々ありますけれど、とりあえず、今。この状況はどうなっているの!」

「サウザード軍内の争いです。勝手に小国への影響力を強めようとするマイロ大佐と、それを許さないサウザード軍中枢が戦っています」

 的確に答えてくれるヨーコの姿を見てティルデは、これは本当にルミお姉さまなのかもしれないと思いながら見ていた。

「もう、私たちはあまり関係がない戦いでいいのよね」

「そうですね。でも、マイロ大佐側が負けるとなったら逃げる時に証拠隠滅をするでしょうね」

 つまり、それは自分たちを殺して逃げるということなのだとティルデもロヴィーサも身構える。

(どうするだろう……)

 ヨーコは、押されているマイロ大佐側の動きを観察していた。人数では多少勝っていても完璧に準備をしてきた軍との間にはかなりの差があった。

「あそこの階段から、甲板にいけると思います。走りましょう」

 このままだときっと手榴弾が、どちらの側か分からないが飛んでくる。

 そう思ったが、エレベーターは無理だと断念してよく分からない階段に賭けてみることにした。

「行きます!」

 銃撃戦が、ややエレベーター側に移ったところで三人は走った。

 ドアを開け、螺旋状の階段を駆け上る。

 途中で塞がれている可能性も考えたが、さすがにそこは偽装していても軍船だった。追っ手がくる気配はなかったが、きちんと整備された階段を三人は全力で走った。

「た、たどり着いた」

 ビル四階分くらいの高さの階段を一気に上り終えた三人は息を切らして、膝に手を置いていた。

「まだ、安心はできないわ。早く逃げるよ」

 ヨーコは立ち上がり歩き出した。

「おそらく……この船ごと爆破する気ね」

 甲板から海を見ながら言った。

 おそらく元々この船に付属していた上陸用舟艇が、すぐ近くに見える。  

 マイロ大佐たちはあの船に乗り込み逃げるつもりだろう。そうなるとこの船は証拠隠滅と脱出の揺動として爆破する可能性が高かった。

 乗り込んできたサウザード軍も察したのか、銃撃戦の音は小さくなっていくこの船から退去しはじめているようだった。

「黒イルカ! 無事だ。早く乗って!」

 黒イルカの側に来て、すぐに飛び立てそうなことを確認するとティルデとロヴィーサを押し込むように機体に乗せた。

「ま、待って! ルミ姉さまは?」

「三人くらいなら何とかなるわ。早く乗って!」

 ロヴィーサがコックピットから手を伸ばしていた。

「無理よ。ここからじゃ飛び立てないわ」

 ヨーコは微笑みながら首を振った。

 この間、何とか二人でぎりぎり飛び立ったロヴィーサが、そのことを一番良くわかっているはずだった。

「二人とも、大丈夫。私にはあの子がいるから」

「あの子?」

 ロヴィーサの声にヨーコは甲板の下を見て答えの代わりにする。

「あの子、これくらいなら海も渡れるの」

 本当に子どもを自慢するように優しく微笑んでいた。

「……分かったわ」

「ティルデ!」

 エンジンをかけて、飛び立とうにするティルデに、ロヴィーサが叫んでいた。

「このままだと、私たちルミお姉さまの邪魔なのよ」

 ティルデは、察してキャノピーを降ろしていく。

「ルミお姉さま! 今度こそ生き延びてよ!」

 閉まる間際に、ロヴィーサは涙を飛び散らせながら叫んだ。

 すぐに黒イルカは全力で動きだす。

 ヨーコはじっと見つめたまま後ろ足で数歩さがりながらその様子を見つめていた。

 今回も何とかぎりぎり海面に接する間近で、浮力が勝り高度を上げていった。

「さすがね」

 その様子を見届けると、ヨーコは海に背を向けて船の中央へと歩きだす。

「『今度こそ』か、きついなあ」

 自分でも良くわからない胸の痛みで泣きそうになる。

 正直、自信はなかった。ルミサとして『あの子』を操ったことはないのだ。

 クレイバードとしては、出来損だ。他のエースパイロットたちの記憶を完璧に共有できているわけではない。

「それでも、やってみるしかないか」

 そう言われたからにはと、決意を込めて甲板を走り出した。

 もう爆発までの時間は少ないと見ていた。

「おいで! イプシロン!」 

 叫んだ瞬間、甲板を突き破ったレーザーが突き破り、その後ロボットの手が伸びてきた。

 近すぎたレーザーに怯えながら、何とか手の上に乗る。

(間に合う?)

 そう思った次の瞬間、船は船底から爆発が始まる。

 連鎖して次々と爆発が起きて甲板も爆風が巻き起こり、船全てが炎に包まれるのには数秒しかかからなかった。

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