第30話 過去 僕の名は

「ティルデ! 頑張れ、もう少しゆっくり進入するんだ」

 僕は、彼女が死ぬかもしれない危機にもう祈ることしかできなかった。

 おそらく無線も届いていない。そもそも今の僕には彼女に指示をする立場でもない。

「やった!」

 煙をあげていたティルデの戦闘機――白イルカ――が、なんとか不時着に成功すると前線基地の兵士たちからも、大歓声が沸き起こっていた。

 ティルデは、ロヴィーサやルミサと共に、この数ヶ月で英雄になっていた。

 彼女を失うことは、もはや国全体での士気に関わってしまうことだった。白イルカのコックピットから、自力で無事に出てきたティルデの姿を見てみんながほっと胸をなでおろすとともに、やはり『彼女が勝利の女神さま』だと興奮状態になった雄叫びが響いていた。

「それにしても、どういうことだ。さっき、ロヴィーサも被弾して戻ってきていたし」

「敵に凄腕のエースパイロットがいるらしいです」

 整備員ということでついてきているシルベストクが、僕の横に並びながらそう教えてくれた。

「凄腕のエース……?」

 このサマリナの制空権争いは、環境に優しい戦闘機だけで行われている。

 ここ最近で、無理やりできたルールを押し付けられたからなのだが、その結果、今戦っているのはルーキばかりだった。

 別の戦闘機に乗っていたベテランパイロットも当初はいたのだろうけれど、全く違う白イルカみたいな戦闘機に乗り慣れたルーキの方が性能差で上回っているのが現状だった。

「妹か……? いや、大戦の時に戦った奴らか」

 僕は、嫌な予感に襲われて厳しい表情になっていた。

 ルーキばかりの戦場だったとしても半年も戦場にいれば、エースになれる。

 実際、ロヴィーサやティルデがそうなっているのだが、その二人が油断していたとはいえあわや撃墜というところまで追い詰められていた。

「おそらく白イルカみたいな変な機体でも違和感なく操縦できる歴戦のパイロットがいる……つまり普通の人間じゃない……自分みたいな」

「教官!」

 周囲にはシルベストクしかいないと思って話していたけれど、声の方に視線を向けるとパイロットスーツのロヴィーサが走りよってきた。

「ロヴィーサ、無事で何より。でも、まずは医務室で検査なんじゃないの?」

 そのはずなのだけれど、ロヴィーサの様子を見るとおそらく安静にしながら検査をする前に抜け出てきたようだった。

「すいません! 私、報告をしませんでした」

「何を……?」

 涙目に話すロヴィーサに対して、もっと詳しいことを聞き返そうと思ったけれど何のことを言っているのか見当がついてしまい空を見上げた。

「ルミサか」

 まだ帰還できていない愛弟子のことだと気がついた。

「はい。敵のエースが、お姉さまの方に向かっていました」

「大丈夫、落ち着いて。君は無事に帰還するのが精一杯だった。仕方がない」

「ですが……」

 彼女が言いたいことは、伝わってきてしまった。分かっていたのに『わざと』報告しなかったのだ。

「申し訳ありません。悔しさと、教官に対する嫉妬で……」

 嗚咽しながら、続けなくてもいい言葉をロヴィーサは続けていた。

 このまま、ルミサが敵のエースパイロットを撃墜して帰ってきたりしたら、パイロットとしてもだし、僕の可愛がる相手としても負けてしまうかもしれないと思ったのだろう。

 普通なら、敵でも自分でもそんなにいくつもの戦線を移動することはない。

 最新の戦闘機であればありえない話だけれど、環境に優しい機銃が主武器のこのサマリナの空では可能なことだった。

 それでも、連戦する疲労した部隊はむしろ味方たちの的になるのではとロヴィーサは思ったのだろう。

 しかし、敵の脅威はロヴィーサの想像をも上回っていた。

 ティルデの部隊まであっさりと半壊させてまだまだ被害は増えていた。

(相手は、普通の人間じゃない)

 僕は軽くロヴィーサの頭を撫でてあげた。いつまでも子ども扱いしすぎだろうかと思ったけれど、少しだけ落ち着いたようだった。ただ、泣き続けた目や鼻は酷いことになっていた。

「ルミサには、南の方からこちらに帰ってくるように連絡を……」

 僕は時間を稼いでなんとかなるだろうかと考えていたが、想像どおりの相手なら難しいだろうなと思う。

「僕が行く」

 あの空を飛ぶ白い棺桶に乗る決意をした。

「シルベストク。今すぐ出せる白イルカはあるか?」

「はい。任しておいてください」

 シルベストクは大きな腕を見せながら力強く応じた。


「そんな! 一人でなんて無茶だ」

 急遽白イルカに乗り込んで出撃しようとしている僕を、この基地の司令も止めようと無線でも強く制止して許可を出そうとはしなかった。

 基地の他の兵も規則ですと言い、現役のパイロットでない人間がいきなり前線に行くのは無茶だと止めてきた。

 さらには心配してさきほど報告してきたロヴィーサも懇願してきた。

「私が、もう一度お姉さまを助けにいきます」

 包帯を巻かれた頭はまだ血が止まりきっていないのにそんなことを言ってくる。

「教官がいなくなった私……」

 涙を流しながら訴えてくる。出会ってからこの一年ほどでとても綺麗になったと思う。

「私、教官のことを……」

 最後まで言わせなかった。言わせたくなかった。

 僕は、ロヴィーサを一度強く抱きしめたあとで『ごめんね』と小さくささやいて全力で走った。

 白イルカに乗り込もうと思ったところで、基地に元々いるパイロットたちに力付くで止められた。ほとんど羽交い締めにされていた。

「時間がないんだ」

 他の兵隊たちを傷つけないようにと気をつけながらも、僕は本気を出して屈強なベテランパイロットたちを振り回して引き離していく。

「すげえ力だ」

 見た目からは想像もできない力に、基地のパイロットたちも驚いているようでなおさら警戒されてしまった。

「邪魔しないで欲しい」

 これ以上刺激すると銃を突きつけられてしまうかもしれない。何とか冷静にどいてもらおうとした。

「あんちゃん。昔はパイロットだったかもしれないけれど、もう現役じゃないんだろう?」

「そうそう、この機体に慣れてない人間が一人で行っても、あいつのスコアが増えるだけだって」

「あのすごい娘たちが撃墜されるんだ。無茶だって」

 僕に怯えつつも、真面目に説得してくれようとしてくれることは伝わってきた。

 でも、僕は教えるために、白イルカにも何度も乗ってあの娘たち以上に慣れているとか説明している時間はなかった。

「僕は……」

 もう一人の僕が『やめておけ』と言っている。ひたすら最前線で戦い続ける生活から、やっと普通の人間みたいに笑えるようになったというのにと言う。でも、それはルミサのおかげだった。彼女を失いたくないとその決意した。

「クレイバードです」

 言ってしまったその言葉に、目の前に立ちふさがっている男たちは何も言えずにあっけにとられていた。

「レイ・クレイバードです」

 捨てたはずの名前だった。

 でも、愛するルミサを助けるためにもう一度大戦の時に有名になったこの名前を利用することにした。

「えっ」

 再度その名前を聞いて、基地の兵も整備兵もやっと理解したようだった。驚き、平伏しそうな勢いだった。

「大戦の経験者です。心配は無用です。必ず助けてみせます!」

「た、大戦の時のエースパイロット!」

 大戦の後、尾ひれのついた噂話を利用した。

 基地の兵士たちもこんどはまるで中学生のチームが、トッププロで活躍するアスリートと出会った時のような反応で敬礼しながら通してくれた。

 白イルカのコックピットに乗り込むと一瞬真っ暗になり、静寂がやってくる。

 次の瞬間には、いくつかの電子音が発せられた後に、華やかにディスプレイが光りだし周囲の風景がコックピット内全体に映し出される。

「偽者だけれど……きれいだな」

 はじめて体験するわけではないけれど、広い大地の中でまるで外が見えているかのようなディスプレイに見とれてしまう。

「カヌイワン。出撃します」

 僕は即興で管制室とやりとりをする。

 最低限の道さえあけてくれれば十分だった。

 数回のやりとりの後、僕はルミサを助けるために再び戦場の空に舞い上がった。

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