第8話 過去 この国のすべての大人に呪いを
「何の間違いだ!」
教官が文句を言いながら早足で中庭を歩くのを、私は必死で追いかけていた。
「あら? どうかしました?」
教官の目当ての女性は、建物の前でファイルを抱きかかえるようにして待ち構えていた。
つまりさっきからの教官と私たちの挨拶をしっかりと見ていたということなのだろう。
私も名ばかりの校長代理だと思っていたけれど、教官の剣幕にも全く動じない。ただ者ではないのかもしれないと始めて思った。
「あ、あの。教官は……何も聞いていなかったようで……」
「これは何かの手違いなのではないでしょうか」
私の言葉を遮って、教官は何とか感情を押し殺して冷静な声で尋ねていた。
「いえ、何も間違っていませんが」
「僕は、ジュニアハイスクールの女子クラブに教えにきたつもりはありませんが」
まだ、教官は冷静に抗議をしていた。でも、何か仲裁しようと思っても、余計なことをいうとこっちに飛び火しそうなピリピリした空気が漂っていたので、私は何もできずにただおろおろして何かあったら間に入る準備だけをしていた。
「えーと、今はイエンス・ボーアさん……という名前にしたのでしたかしら。民間軍事会社から軍事教官としてこちらには赴任した」
『何か間違っていますか?』と彼女は、にっこりと微笑んで確認した。教官について書かれているらしいファイルをしまうと真っ直ぐにこちらの方をみつめた。その様子は二十代の真面目そうな事務方の女性に見える。でも、わざとらしいくらいに細めた目は、周囲が歪んでいない。この眼鏡は伊達眼鏡だということが分かると、やはり只者ではない匂いがしていた。
「ああ、そうだけど……肩書きなんてどうでもいい、実際には傭兵の仕事だろうし」
何かが気になったのか教官は、一瞬、考え込んだあとでぶっきらぼうにそう言った。
「『今までは』酷い契約でしたのね」
校長代理さんが、再びにっこりと笑って更に細くなった目になんとも言えない大物感を漂わせていた。
教官は全く怯んだりはしていなかったけれど、この人が何者なのかをじっと考えているようだった。
「大丈夫です。安心してください。今回は本当にちゃんと指導教官のお仕事です。安全な後方で、しかもなんと、若い女の子ばかりの指導です」
おすすめの服を押し付ける店員のような彼女の言葉だった。
教官はこの事態は何かの勘違いではなく、罠にはめられたことを悟った。
いや、罠のつもりもないのだろう。こんなケースは想像もしていなかったのだ。仕方がないと肩を落としていた。
「まあ、安全なのは今のうちだけで、来年くらいには、この辺もきな臭くなりそうですけどね」
「色々聞きたいけれど……まず何故、僕に?」
「若くて格好いい人の指導だったら、女の子たちは厳しくても頑張ってくれるものですよ」
それは、私たちを馬鹿にしすぎている。そう思ったけれど、特に口には出さなかった。怒鳴りつけそうなおじさんよりは幸運だと思ってしまったのは確かだということもあった。
「なぜ、女の子ばかりなのです?」
「色々あるみたいですが、さっき見てもらった飛行機。『環境に優しい戦闘機』に乗ってもらうのには、小柄な少女の方が都合がいいということらしいわ」
「『環境に優しい戦闘機』?」
『何を言っているんだ? 変な組み合わせの単語だ』と教官は怪訝な顔をしながら私の方を見た。
「いえ、こっちを見られても困ってしまいます」
なんて説明していいか困っていると、校長代理さんが横からしっかりと説明してくれる。
「この国の特殊な自然環境を守るため、今回の紛争は『特別』な協定を結んだ上での戦争なの。かなり厳しく動植物に影響がでないように戦う協定になっているの」
「放射能がでるような弾を使わないとかそういうことではないのか?」
校長代理さんは無言で首を振っていた。
「そんなものじゃないのよ。毒性のあるものは駄目ね。それから、植物が燃えるような可能性のあるものも武器に限らず全て禁止よ」
教官はその言葉の意味を理解したけれど、完全に固まってしまっていた。
「鉛の弾も禁止、ミサイルも禁止。それから武器だけじゃないわ……油を爆発させて飛ぶようなエンジンの戦闘機などもこの国ほとんどの地域の上空一万メートルを飛ぶことは禁止ね。いかなる状況でも」
思考が中断している教官に向かって、わかりやすく校長代理さんは解説してくれた。私も改めてちゃんとした大人から話を聞くのは初めてな気がして、静かに耳を傾けていた。
「人間の損害より、珍しい動物の方が大事。そういうことか?」
教官は、少し怒気を孕んだ声のような気がして私は後ろでびくりと怯えてしまう。
「まあ、そうね。国際世論とやらが決めたことですけど」
「もう戦争なんてやめたらどう?」
「国際世論は、小国の内乱や小国同士の戦争なんて興味がないことくらい分かっているでしょ」
「……細身の少年でもいいのではないですか?」
色々、諦め始めたみたいだったけれど、教官は最後に当然の疑問を尋ねていた。
男女では、やはり体力が違う。パイロットが操縦桿を傾けただけで、簡単に動かせるわけじゃないということを言っていた。
「男の子たちは、『環境に優しい戦車』に乗っています」
「……おぉ」
教官は、声にならないうめき声をあげていた。心配になって私は、教官に近寄って背中に手を伸ばして支えようとした。
心配するほどのこともなくすぐに真っ直ぐに立って、冷静になったように見えたけれど、真っ直ぐに鋭い視線を誰にというわけではなく空を向けながらぼそりと囁いた。
『この国の大人は全て呪われて地獄に堕ちればいい』という意味のとてもとても汚い言葉をサウザード語で言っていったことが、私にはかろうじて分かった。
少し怖かったけれど、私たちのことを思って本気で怒ってくれているらしいこの教官のことを信用してもいいかなと思いはじめていた。
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