第27話 現在 縁が遠い言葉

「ヨーコ君。ずいぶんごきげんだね」

「そ、そんなことはないですよ」

 大学のサマリナ史研究室は今日も薄暗く、資料に囲まれたアルフ教授以外はヨーコが出入りしているだけだった。

「何か、ロヴィーサたちといいことがあった?」

「えっ、あ、そ、そうですね」

 心を見透かされたようなアルフ教授の鋭い指摘にヨーコは驚いたけれど、『よく考えたらいつもそんな話しかしていなかった』とすぐに思い直した。

 つい、この間、ティルデとロヴィーサに出会ったことを伝えたばかりなのだし、全然鋭い指摘などではなくヨーコと週に何回かでも話す人間なら当然思うことなのだと気がついた。

「いやあ、それがですね。わりと気にいっていただけたみたいで……」

 この間のロヴィーサが言った最後の言葉は愛の告白なのだろうか。

 ちょっとさすがにそれは、勘違いしすぎだと自分でも笑いながらもどう伝えていいかは悩むところだった。

「本格的にずっと一緒にサマリナに来ませんかなんて、誘われてしまいました」

 そうだ。そうなったら、大学も辞めるか休学することになる。

 どれくらい本気かは分からないけれど、これは教授に伝えておかなくてはいけないことなのだと思ってしっかりと報告する。

「本当かい? いい話じゃないか」

 アルフ教授はその話を聞いて喜んでくれたけれど、すぐに少し首をひねりながら冷静になって考えているようだった。

「どういう立場で、何をするのかは分からないけれど……」

 そう言われれば結局、何をしに行くのだろうとヨーコも思う。

 『教官』を一緒に探す人員なのだろうか。それともまさか本当に妄想していたように恋人として連れていきたいのだろうか。

(いやあ、ないない)

 ヨーコは自分でも馬鹿げた恥ずかしい妄想だと思ったのか、大きく頭を振り妄想を振り払った。

「研究者としては、一度行っておくのはいいことだと思うよ。ましてやティルデやロヴィーサの側にいられるのなら」

 ヨーコの変な行動を見て、アルフ教授は何かを察したようだったけれど、優しい声をかけてくれた。

「サマリナ国の研究者って、将来エーリカに戻ってきた時にお仕事ありますかね」

「ああ、うん。なかなか無い……かもね」

 この大学を、この専攻を選ぶ時点で考えることなのだが、何も考えた記憶がないままいつの間にか、この研究室に出入りするようになっていた。

「愛ゆえですから、仕方がないですね」

 ティルデやロヴィーサの話を聞いてからは、もう暴走してしまったのだ。

 自分でも不思議なくらいに何で、いつからこの道を選んだのだったかを思い出せなかった。少し自分の記憶力のなさを疑いながらも、どうせ小さい時に例の映画を見たのだろうと思う。

「まあ、でも何をしてもらいたいのかはちゃんと確認しておきます」

 ちょっとだけ冷静になると、ヨーコは勝手にお茶をいれてパイプ椅子に座って一息ついた。

「アルフ教授は一時期滞在していたことがあるんですよね? サマリナって住みやすいところですか?」

 だらけた机に肘をつきながら、そういえばこの教授の数少ないためになる知識があったと気がついて聞いてみた。

「自然が豊かで綺麗なところだよ」

「住みやすいんですか?」

 どうみてもとぼけてちゃんと答えていないことが伝わってしまったので、強めの口調で聞き直した。

「綺麗なところだよ。つまり清潔。……まあ、でもちょっと不便で……夏はかなり暑いね」

 アルフ教授はちょっと遠い目をしながら、やっと本当のところを話してくれた。

 と言っても結局、以前に聞いた話と同じで夏は暑い以外の印象は残らなかった。

「はっ、薄着のロヴィーサさんたちが見られるなら、それはもう天国なのでは」

「ふふ、ヨーコ君が前向きで何よりだよ」

 アルフ教授は心配して損したと言って笑いながら、コーヒーを飲んでいた。

(うちの教授も結構謎の人だよね……)

 サマリナの首相と知り合いなんだっけと思いながら、アルフ教授の似合っていない口ひげを眺めていた。

 妙に年齢不詳だ。三十代だと聞いたけれど、肌なんかを見れば妙に綺麗だ。腹もでていなくて体の線は細いけれど時々、シャツをめくった時の腕はかなり筋肉質だった。

 やっぱり口ひげだけが似合っていないのではと観察の結果、ヨーコは嘲笑しながらも貴重な生きた情報をもらえてアルフ教授に感謝した。

「よし、ロヴィーサさんの話を改めて聞いてからですけど……休学してサマリナ国に行ってこようと思います」

 ヨーコは拳を握りしめてそう決意を固めていた。

「いいと思うよ。 寂しくなるけど」

 文系の研究室は生徒の出入りも少なく本当に寂しくなりそうだった。

「ロヴィーサさんとの甘い日々を記録した手紙を送りつけてあげますから、元気をだしてください」

 まだ、どうなるかなんて全然分からないけれど、そんな日々を想像していた。

 さすがに気が早すぎると、ヨーコはアルフ教授と二人で顔を見合わせて大笑いした。

「えっ?」

「何だ?」

 そんな大きな笑い声をもかき消すように聞こえたのは、大きな爆発音だった。

 何かの事故だろうかと、二人して窓から身を乗り出して爆発音のした方向を見た。

「伏せて!」

 大きな黒煙が見えた。

 しかし、次の瞬間には別の爆発音が連続で鳴り響いた。

 さっきよりかなり近いところでの爆発だった。

 アルフ教授は、ヨーコの頭を抱えて窓から離れて伏せさせた。

 幸いなことに、かなりの衝撃だったのにも関わらず窓ガラスは割れなかった。

 二人は少しだけ安堵しながらも、ヨーコは再び窓の外に視線を移す。

 大きな煙が上がったのは、ロヴィーサたちが滞在しているホテルの方角だった。 

「ロヴィーサさん……」

 爆発ではない不快な音も響いている。ヨーコにはそれが機銃の音だと分かってしまう。

「一体、何が?」

「まるで戦争みたいだね」

 アルフ教授は、まるで懐かしい人に出会ったかのようにそう言った。

「戦争?」

 この平和なエーリカの国には、縁が遠い言葉のはずだった。

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