第25話 現在 二人の脱出

 黒イルカと呼ばれたその飛行機は訓練によく使用されていたが、武装もあり立派な戦闘機だった。

 もちろん制限の多かったサマリナの戦争で使われただけで、強国が持つような最新鋭の戦闘機とは比べ物にならない性能だった。

 古のレシプロエンジンの飛行機に毛が生えた程度にしか見えないというのは、よく言われていることだった。

 小型で軽量とはいえ、そのれっきとした戦闘機は、ヘリ用の着艦するポートに潜り込むように降りてこようとしている。

 船から見上げる人たちは、その光景を固唾を呑んで見守っていた。ヨーコも船員の中に混ざり、緊張しながら見上げていた。

 黒イルカは一度、大きくバウンドしたように見えたが、おそらくそれもちゃんとした滑走路がないこの輸送船に止めるためにわざとしたことだ。

 見事にヘリポートから少しだけはみ出ただけで止まった。

「すごい」

「なんて無茶な」

 飛行機に関わったことのある軍人からは思わず感嘆の声が、そうではないただの船員たちからは危険な着陸に怒号が飛んでいた。

 マイロ大佐はもちろんだが、船員のみなさんももしかしたら大惨事かもしれないという状況に怒り詰め寄る。

 そんな中パイロットはまるで気にしていないように小さな戦闘機から飛び降りてきて、ヘルメットを脱いだ。ヘルメットから、解き放たれた黒い髪が海風で揺れて綺麗に光り輝いていた。流れる髪の美しさよりも更に眩しい姿に、男ばかりのこの船の乗員たちの目は釘付けになった。

「おお……女性?」

「美人だ……」

 あまりにも神秘的な雰囲気さえある若い美人だったので、殴りかかろうかという勢いは一気に削られてしまって振り上げた拳を隠しながら少し距離をとりながら取り囲む男たちという奇妙な図になっていた。

「ち、ちょっと、何をしてんだ。お嬢さん!」

 先頭にいる船員のそんな中途半端な文句は、ロヴィーサの耳には全く入らないようだった。

 ロヴィーサは周囲を見回して、ヨーコの姿を見て少しほっとしたような笑みを浮かべたが、すぐのヨーコの後ろに厳しい視線を向けた。

「シルベストク! これは、どういうことなの?」

 綺麗な人形のような整った顔で、少し儚げな雰囲気さえ醸し出している美しい女性から、鋭い言葉が飛んだ。

(美人が怒ると怖いですね)

 助けてもらう側であるヨーコでさえ、そう思いながら見ていた。ロヴィーサはそんなヨーコの横をすり抜けて、シルベストクの胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄っていった。

 体つきだけは立派な船員たちも、気圧されて自ら道を空けていく。女主人の叱責に怯える従業員たちのようだった。

「私は元々、サウザード共和国から来ている人間です。本国からの依頼とあれば、耳を貸さないわけにはいかないのです」

 シルベストクは、ロヴィーサのこんな調子にも慣れているのか、動じることなく大きな体で直立不動のまま受け答えていた。 

「今はサマリナの所属でしょ。勝手なことをされては困るわ。ましてや外国の民間人を誘拐など許されることではないわ」

「誘拐ではありません。お話を聞かせていただくため、同行していただいただけです」

 わがままなお嬢様に対する執事のように、冷静に受け答えていた。

(ほんと?)

 ロヴィーサは、ヨーコの方をちらりと見てその話が本当かどうかを確認しようとしているようだった。

「え、あ、そうですね。乱暴なことはされていません……よ」

 ヨーコは、もちろんロヴィーサの信奉者なのだが、嘘もつきたくないし、シルベストクを変に困らせたくもないので困りながら返事をしていた。

「だからと言って、こんな船まで連れてくることはないでしょう……」

 ロヴィーサはそう言ったあとで、シルベストクたちがこの船に連れてきた理由を考えているようだった。

「いやいや、これはかの有名な美少女エースパイロットであるロヴィーサさんに出会えると感激です」

 一連の流れにあっけにとられていたマイロ大佐も、やっと混乱から解き放たれたように一歩前へと出た。

「ですが、さすがにやりすぎでは? 我がサウザード所属の船に勝手に乗り込むなどとは……しかも、サマリナ国ならともかく、ここは外国ですよ」

 呆れたようにマイロ大佐は、わがままな小娘を諭すような態度で近づいてきた。

(それは……確かにそう……)

 ヨーコもロヴィーサの行動には、大丈夫なのだろうかと心配になる。あとで国際問題になったりしないだろうかと、不安な顔でマイロ大佐とロヴィーサのやり取りを見ていた。

「エーリカ国に、空を自由に飛んでいい許可はもらっているわ」

 ロヴィーサはなにやら許可証らしいものを指に挟んでちらつかせながら、そう言った。

「それにしても、限度があるでしょう」

 マイロ大佐は呆れた顔をした。

 船員たちだけでなく、ヨーコも内心ではうなずいていた。空港の周りで自由に飛ばれたら大惨事になりかねなかった。

(でも、うちの馬鹿政府だと本当に自由に飛んでいい許可をだしてそう……)

 ヨーコはそんな可能性もあると思って引きつった表情になる。特に近年、観光業がさかんなので、とにかく有名人は甘い傾向があるとはよく言われていることだった。

「エーリカ国の一市民を誘拐して、輸送船を装ったドッグに怪しいものを積んでいる揚陸艦に閉じ込める。これが、エーリカ国に、そしてサウザード軍の上層部に知られてもいいのでしたら、どうぞ外交ルートで抗議でもなんでもなさってください」

 ロヴィーサのこの言葉に、マイロ大佐は余裕の笑みを浮かべている演技をしてはいたけれど何も言い返さなかった。

 ヨーコにまで、これはかなり独断専行というか上には秘密でやっていることなのだろうなと思わせてしまった。

「まあ、もっとも今の私はサマリナ国の軍人でも高官でもない、ただの一市民ですけれどね」

 ロヴィーサは、そう言いながら優しそうな笑みを浮かべてヨーコの方を向いた。

(ずいぶん、影響力の強い一市民だなあ……)

 ヨーコは、自分を助けに来てくれたロヴィーサの天使のような笑みを受けて満足しながらも、ちょっと強引さに引きつった笑みを浮かべていた。

「さあ、それじゃ、帰りましょうか」

 ロヴィーサは、ヨーコの腕を素早くつかむとスタスタと飛行機――黒イルカ――に向かって歩き出した。

「え? あの?」

「はい。いいから早く乗り込みなさい」

 簡易タラップはなくても、黒イルカは小さいのでよじ登ることができるくらいの高さだった。困惑するヨーコのお尻を下から押し上げて後部座席へと放り込んだ。

「何をする気だ? 空母じゃないんだぞ!」

 マイロ大佐が怒鳴っていた。シルベストクも『無茶です。普通に港にお送りしますので』と常識的に制止しようとしたが、ロヴィーサは軽快に黒イルカに乗り込むとマイロをはじめ船員たちに笑顔で手を振りながら黒イルカを起動させていた。

(おお、ロヴィーサさんのファンサービス)

 ヨーコからすれば、そんな愛想がいいロヴィーサの話を聞いたことがなくてこれは貴重な出来事なのだと思っていた。

(あっち側に回りたい)

 キャノピーの外を眺め本気で船員たちを羨ましいと思いながら、すぐ前のロヴィーサのいたずらずきで楽しそうな空気を感じ取っていた。

「ちゃんとベルトを締めた?」

「え、あ、はい」

 珍しく楽しそうな声のロヴィーサに、ヨーコは少し怯えながら答えた。

「こ、ここから離陸するんですか?」

 ヨーコは世界で一番黒イルカに詳しい一般人で、短距離で離陸できることもよく知っている。

 それにしても甲板から海がすぐ見える。

 動き出した黒イルカは、海に飛び込んでいくようにしか見えなかった。

「ひいい」

 甲板から飛び出し激しく揺れる機体の中で、落ちていく感覚にヨーコは悲鳴を上げていた。

「もう、大丈夫よ」

 数秒後、ロヴィーサからの優しい声でヨーコは涙目になりながらも我に返った。

 キャノピーの外を見れば、海の上をかなりの低空飛行で飛んでいた。見慣れた港の風景を海の上から眺める景色は少し不思議な感覚だった。

「でも、やっぱり二人乗っていると重いわね。ちょっと焦っちゃった」

 機体は高度を少しだけ上げていく。

 ヨーコからは全然そんな風には見えなかったけれど、ロヴィーサはかなりのピンチから抜け出してほっと胸をなでおろしているらしかった。

「わ、私が重いからですか」

「え、そんなことはないと思うわ。私が白イルカの感覚だったから、戸惑っちゃっただけで」

 二人の間に、余裕のある笑いが起きていた。

「もう少し空のデートを楽しみましょうか」

 ロヴィーサはそう言って、操縦桿を傾けて回り道するように機体を飛ばせた。教官とティルデともう一人の先輩以外には心を開かなかった話ばかりを聞いていただけに、ヨーコからすればこれは嬉しい悲鳴とともに、『なんで私なんかにそんなに?』とも思って困惑もしてしまう。


 二人を乗せた黒イルカは、つい先日使用した町の郊外に作った簡易滑走路に着陸した。

 ちゃんと許可はとっていたようで、なにやら無線でやり取りをしつつちゃんと誘導されながら着陸したのでヨーコもほっとしていた。

 前回と同様に立派な車も迎えに来ていた。ティルデも乗り込んでいるらしく助手席から手を振っていたので、ヨーコも慣れたように車に歩み寄ろうとした。

「今日は申し訳なかったわ」

 車に向かおうとしたヨーコに対して、ロヴィーサは頭を下げて謝っていた。迎えに来た車なんて待たせておけばいいのよと言いたいようにそのまま一歩近寄るとヨーコの手を両手で握りしめていた。

「大丈夫、今後は私はヨーコを守るわ」

「え?」

 まるでプロポーズのようなその言葉と眼差しにヨーコは一瞬舞い上がったが、すぐに我に返った。

「あ、あのマイロとかいう人たちが帰国するまで監視しているってことですよね。あ、はは」

「そうね。でも、一生いていいなら、側にいるわよ」

 それはさすがにロヴィーサも冗談めかしてウィンクしながら、顔を少しだけ近づけてそう言った。

「えっ、あ、ああもうお願いします」

 ヨーコの思考回路はもう完全にパンクしていて、なんて返事をしたのかも思い出せなかった。

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