第24話 現在 軍船の中で

「ヨーコ様ですね」

「えっ、あ、はい」

 大学からの帰り道で呼びかけられて思わず返事してしまったことをヨーコは後悔した。

(ひええ)

 振り返れば黒いスーツ姿の明らかに只者ではなさそうな男が数人立っていた。

(ロヴィーサさんが、ひょっとしたらあなたに迷惑をかけてしまうかもと言っていたっけ)

 ヨーコは体力や脚力には少々の自信があったが、目の前の男性が動くたびにみせる足の運びを見てこれは手強いと察していた。

(アパートの部屋まで逃げられるだろうか……それとも大学に戻った方が……) 

 いくつかの可能性をシミュレートしてみたが、どれも厳しいという結論になっていた。

「怪しいものではありません。少し我々に同行していただきたい」

(それで怪しくないと言ってもらえるとでも思っているのかな……)

 ヨーコは身構えつつ、わずかに後ろに下がっていた。

 ただ、男たちの中に見たことのある顔がいたので足と視線が止まった。

「あなたは……? ティルデさんのところにいた……」

「はい。シルベストクと申します」

 そう名乗ったのは、まるでティルデやロヴィーサの執事のように紅茶を入れていた男だった。

  身長も肩幅も大きな体を折り曲げて、ヨーコに挨拶をした。あっさり特定されたのは、予想外だったのか予定通りだったのかは表情からは読み取ることができなかった。

「まあ、警察ではないなと思ったけれど……軍人さんですか……。でも、シルベストクさん以外は、サマリナの人ではないですよね? サウザード訛りに聞こえます」

「すごいですね。さすがは……」

 シルベストクの隣にいた男は、何かを言いかけてやめた。余計なことを言わないために、交渉はシルベストクに任せて他の男たちは後ろに下がっていた。

「見ていただきたいものがあるのです」

 シルベストクの真剣な眼差しは、ヨーコの警戒を少しだけ解いて距離が近くなっていた。

「私に? なぜでしょう?」

「私にとってレイ・クレイバードは友人でした」

 急にずっと追い求めている人の名前を出されて、ヨーコは驚いてしまう。

 それと同時にあの映画での出来事は遠い日ではないのだということを実感していた。

「私が勝手に思っていただけかもしれませんが」

 自嘲気味に、シルベストクは笑いながら言った。

(ああ、そうか。ロヴィーサさんたちと同じで、この人もある日、突然においていかれたのか……)

 ヨーコは、少し同情の目で見てしまう。

「私は、まだあの人の足跡を探しているのです」

「それは……私と同じですね!」

 ヨーコはつい同じ人を推している同士なのだいう軽い気持ちで、つい応援してしまった。しかし、すぐにただのファンである自分なんかと同じような立場だと思われても迷惑だろうと後退りしたけれど、シルベストクは嬉しそうな、でもどこか寂しそうな目で応じてくれた。

「ついて来ていただけますか?」

「は、はい」

 なんで私なのか、何の用なのかは結局のところ分からないままだったが、ヨーコは思わず了承してしまった。



 シルベストクに先導されて、ヨーコはあとに続いてひたすら歩いた。

「港?」

 あまり社会常識を知らなそうな軍人たちであっても、囲んで若い娘を車に乗せるのはさすがに好奇の目で見られてしまうのだと思ったようで、かなりの時間を歩いて港へと出た。

「どうぞ、こちらに」

 シルベストクが案内した先に見えたのは、港に停泊している船だった。

(結局、船に乗せられるのなら、怪しさは変わらない気がする……)

 屈強な男たちに囲まれて船に乗る自分は、借金のかたに外国に売られる娘に見えるのではないだろうかとヨーコは思ってしまう。二十年前くらいなら、この港でもよくあった光景なのだと聞いたことがあるので、複雑な表情でボートに乗り込んだ。

 もう日はかなり傾き、夕日が波を揺らしてオレンジ色に染めていた。

(一見すると貨物船だけれど、どうも普通の船じゃないですね)

 こんな大きな船に乗るのは初めてでキョロキョロと周囲を見回してしまったが、甲板にはヘリコプターくらいは着艦できそうなスペースが空いていて、上からははっきりとは見えなかったが艦尾の形も大きな扉がついていて、かなり大きな車であっても降ろせるようになっているのだと推測した。

「ただの輸送艦です。ただのね」

 サウザード訛りの軍人が、ヨーコの耳元で囁いた。

「そ、そうですね。でも、珍しくて。あはは」

 あまり余計なことを探るなという忠告なのだと受け止めて、ヨーコは背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いて着いていった。

(でも、軍船ってことよね……)

 そのことはヨーコにも隠すつもりもないようで、あっさり認めていた。

 そんなことを聞けば、普通の女子大生であれば萎縮してしまいそうなものだったが、ヨーコは自分でも驚くほど堂々と軍船の中を確認しつつ歩いていた。

「こんな大きなエレベーターがあるんですね」

 見たこともない大きさのエレベーターに驚いていた。トラックでも余裕で運べそうなそこ大きなエレベーターに数人だけが乗り込むのは不思議な気がした。

 明らかに民間人だけれど、全く動じることのない姿を見て、まるで視察をしている女性と護衛の男たちのようだと周囲の船員たちも噂しあっているのがヨーコの耳にも聞こえてきた。

「ようこそ。お待ちしておりました」

 エレベーターを降りた船内で出迎えてくれたのは三十代くらいの男性で、にこやかにヨーコに握手を求めてきた。もっと強面の悪巧みをしている老人のような人たちが待っているのではと想像していただけに少し意外だった。

「マイロと申します。この船の……責任者のようなものです。はは、大丈夫ですか、こいつらが無礼なことをしませんでしたか?」

 戸惑いながら握手を交わすと、ずいぶんと軽いノリで話しかけてくる。

 鍛えられた体と日焼けした肌と無理に白い歯を見せているような笑顔なのでかなり実際よりも若く見えていそうだった。

「はじめましてヨーコです。ええ、皆さんとても紳士的に連れてきていただきました」

 にこやかな笑顔で返した。ただ、余計に胡散臭い人だという思いは強くしてしまう。

(もし、私が拒否して、抵抗していたらどうしたんでしょうか……)

 ラフなジャケット姿で輸送船の船長のような格好をしているマイロだったけれど、ジャケットは明らかにサウザード軍のものだとヨーコは観察していた。そして、ヨーコを無事に連れてくることができてほっとしている男たちの様子からみて、この人はかなり偉い人なのだろう。

「ご推察の通り、我々はサウザード軍のものです」

(隠す気はないのね……)

 ちらちらとジャケットを見ていただけでそう打ち明けられてしまう。

 いったい世界一の大国が、この小国に、そして私に何の用があるのだろうとヨーコは訝しんでしまう。

「我々はとある人を探しています。いや……人たちかな」

「人?」 

「ちょっと見ていただきたいものがあるのです」

 マイロと名乗った佐官は、全く軍人らしくないそのへんの漁師の船長のような振る舞いでヨーコの疑問に答えることなく奥へと歩いていってしまった。

「えっ、あの?」

 ヨーコは、なんで自分が追いかけないといけないのかと思いながら、後を追った。

 格納庫の更に奥に大きな空間があった。

「これは……?」

 その中に何か不気味な物体があった。

「戦車? ロボット?」 

 暗闇の中に隠されている極秘の兵器という演出なのかと思っていたら、わざわざ、マイロはライトを点けて見やすくしてくれた。

 ヨーコの目前に格納庫に収められた巨大な兵器があった。

 顔っぽい場所があり、腕がある。ただ、二本足で走ったりすることはない。下半身は戦車のようだが、タイヤも走行用ベルトもない。おそらくホバーで浮き上がって移動する兵器だった。 

「イプシロン……?」

 ふとヨーコの頭の中にその名前が浮かんできて、ぼそりとつぶやいた。

「ほう。ヨーコさんは、この機動兵器のことをご存知。……なのですね」

 狙い通りとでも言いたそうな顔つきでマイロは口角をあげて、ヨーコに近づいた。

「い、いえいえ。こんな巨大なロボットなんて見たこともないですよ。ただ、そこに……五番って書いてあるので」

 我に返ったヨーコは、大慌てで否定した。

(なんだ、今の言葉は)

(私のこの平凡な人生で出会ったことがあるわけがない)

(え、でも、この戦車のようなロボットって……)

「もしかして、これはサマリナとイムルケンの戦争の時に活躍したっていう兵器……?」

「おっ、すごい。よく知っているね」

 軽い調子でマイロは手を打って喜んだ。

 それはヨーコも噂でしか聞いたことがなかった。

 調べても調べても、はっきりとした写真も証言も残っていなかった。

 ただ、それまでイムルケンに侵略されてからずっと圧倒的に不利だったサマリナが、ほんの数機で不利だった戦局をひっくり返したという伝説だけが残ってはいた。

「え? まさか?」

「本物だよ。そして我々はそのパイロットを探している」

 それまでそのへんの漁船の船長なのではというくらいに軽い調子だったマイロが、鋭い視線になりヨーコの顔を覗き込んできたので思わずヨーコも答えてしまった。

「それが……レイ・クレイバード」

「そう。まあ、我々は『彼』でなくても一族の誰かであればいいのだけれど、一番、足取りが掴めそうなのが彼だったからね」

「彼……一族……」

 少し単語に引っかかりながらも、ヨーコは段々と納得していた。

「それで私を連れてきたんですか? 一応、研究者の端くれではありますけれど、レイ・クレイバードと教え子のお嬢さんたちとの関係が尊いと思っているただのファンですよ」

 ヨーコは少し自虐的にそう言った。うちの教授をはじめもっとちゃんとした研究者に聞いてみてはと思ったけれど、そもそもレイ教官が生き延びていると思っている人が少数派なのかもしれないと思った。

「まあ、いいので乗ってみていただけませんか?」

 『尊い』とかの意味が分からないのかマイロは首を捻ったままだったが、

「乗る? あれに?」

 この前、ロヴィーサと乗った黒イルカよりも大きい。大型戦車の中でも大型なのではと詳しくないヨーコでも思う。

 ご冗談ですよねと横を向いたけれど、マイロの目は本気だった。

「そ、操縦なんてできませんよ」

「操縦はしなくていいです。動かせることが確認できれば。……もちろん、操縦できるならしていただいても構いませんが」

 妙な笑みを浮かべながら強力な圧力でヨーコに迫っていた。

(ひい)

 気がつけば、後ろは屈強な軍人たちが立ちふさがっていて、逃げ場はなかった。どのみち、ここは海上の船の中なのだ。泳いで港までたどり着けない距離ではないけれど、逃げるのは現実的ではない気がした。

(ばかばか、私。なんで、こんなところまで着いてきた)

『教官』の話が聞けるかもしれないという興味に勝てなかった自分を罵っていた。

「動かせる……とは? スイッチを入れれば動くのではないですか?」

 ロヴィーサさんたちの話には戦車は出て来ないので知らないんだよねと思いながら、恐る恐る聞いてみた。

「そう。まずはスイッチを入れていただきたい」

「……どういう意味?」

 『スイッチを入れればいいじゃない。力がいるなら私なんて』とヨーコが言う前に金属板のようなものが差し出された。

「まずはテストです。ここに手を載せてみてもらえますか?」

「え?」

 ヨーコは胡散臭いとたじろいだ。

(でも、まさかいきなり感電とかもしない……よね)

 周囲の圧迫に耐えかねて、恐る恐る手を伸ばして金属板に人差し指から触れていった。いいことも悪いことも何も起こらなかった。ただの銅板のように思ったのでそのまま手のひらをぺたりと載せた。

「おおっ」

 隣のマイロ大佐から歓喜の声が起きるのと、金属板が光りはじめるのがほぼ同時だった。

 よかったとヨーコが思った次の瞬間には警報が船内に鳴り響いて、怯えてしまった。

(ええっ、何か大変なことが?)

 そう思ったけれど、板が光った以外はロボットにも船にも何の変化もなかった。

 後ろから大慌てで駆け寄ってくる船員の姿が見えたのでヨーコは動きを止めて成り行きを見守っていた。

「大佐!」

「どうした?」

「それが……」

 船員はヨーコに聞かれてもいいだろうかと一瞬、視線を送り悩んだ結果、マイロの耳元でこそこそと話を続けた。

「断ればいいだろう!」 

「それが、もう飛行機でこちらに向かっているとのこと!」

 マイロ大佐に怒られたらしい船員が少し離れて必死に釈明している姿をヨーコはじっと観察していた。

「飛行機?」

「ここに着艦する気らしいです!」

「着艦って……この船にはヘリのスペースくらいしかないぞ!」

 大慌てでマイロ大佐たちは、エレベーターに乗り込んだ。ヨーコもどさくさ紛れに着いていく。中にいるよりは、甲板にいた方が逃げるチャンスが少しは増えるのではないかというわずかな希望もあった。

(そういえば似たような話を何かで見たような気がするなあ)

 エレベーターが上へと昇る中でヨーコは、ふとそんなことを思い出していた。

 教え子の女の子を助けるために、二人乗りの飛行機で飛んできたどこか無謀な教官の話をまた最近見直した気がする。

「着艦します!」

「無茶な! 消火用意しておけ!」

 エレベーターが一番上まで上がった時には、もう船員たちは大慌てだった。マイロ大佐も頭を抱えて叫んでいた。

(あ、黒イルカ)

 ヨーコだけが、一人冷静に空を見つめてその姿を追っていた。つい、先日乗ったあの機体だった。

 その姿があっという間に大きく見えるようになってくる。白イルカと違って黒イルカの機体は、外からもパイロットの姿がよく見える。

「ロヴィーサさんだ」

 どうやら無謀な教官に助けられた女の子が、教官を真似て同じことをしようとしているらしいとヨーコは気がついて胸が熱くなる。

 果たして、黒イルカは僅かなスペースに着艦した。

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