第13話 現在 明日の約束

 夢のような時間だった。

 もちろん、ヨーコとしても親しく話ができればいいと願いながらこのホテルに来たのだけれど、さすがにそんなに打ち解けて話すことはできないだろうと思っていた。

 何と言っても、相手は有名人で世界中を飛び回っている人だ。そして母国では、紛れもなく英雄だ。冗談ではなく、国では道を歩けば民衆に拝まれてしまう存在だった。

 しかも、今日は運良くそんな存在が二人もいたのだ。

 ヨーコは自分自身も固くなって、つまらない質問をいくつかして終わりなのではと心配していた。

「いやー。今日は楽しかったわ」

 予定の時刻を一時間はオーバーしていた。本当に楽しそうだったティルデは、名残惜しそうにヨーコを抱擁してきた。ヨーコの背中をバンバンと叩くと痛いくらいに抱きしめる。

「は、はい。私も楽しかったです。今日のことは一生忘れません!」

 学生の研究という名目で来たのだからもっと知的な感謝の言葉を色々考えていたはずなのに、ヨーコも素直に『楽しかった』という言葉しかでてこなかった。

「ロヴィーサさんも……今日は、予定外の……私なんかのために時間を割いていただきありがとうございます」

 ティルデに抱きつかれたまま、横で静かに立っているロヴィーサに目を向けた。

「いえ、どうせ大した事のない用しかなかったし、問題ないです。……それで、あの……ヨーコさん」

「はい」

「よろしければですが、明日か近いうちにまた会うことはできませんか?」

「……え?」

 何かの社交辞令を言われているのだろうかと、ヨーコは何回かロヴィーサの言葉を頭の中で繰り返してみたけれどその通りの意味にしか聞こえなかった。

「学生さんにも色々と予定があると思いますが……」

「いえっ! 全然! 明日でもいつでも! 講義なんて受けなくても問題ありませんし!」

「そ、それは駄目なのでは……」

 あまりに勢いがありすぎて、ロヴィーサには引かれてしまていた。でも、この数時間の会話で何度目だろうという流れなので、もう誰も深く気にしておらず周囲のボディーガードの人も含めてみんな和やかな雰囲気だった。

「じゃあ、明日の放課後ね。もっと楽しい経験をさせてあげるわ」

 ティルデは、ヨーコの肩をつかんでウィンクすると、強引に明日の予定を決めてしまった。

「お、お、お。もしかして、三人でデートですね」

「本当に面白い子ね」

 両手を掲げて勝利の雄叫びをあげそうなヨーコの姿を見て、ティルデはロヴィーサと笑っていた。




「ああ、ヨーコ君。昨日は一緒に行けなくてすまなかったね」

 ヨーコがドアを開けた時、大学の研究室にはアルフ・ポーア教授が一人座っているだけだった。つまりいつもの光景だった。

 アルフ教授は三十歳くらいらしいが、いつも温和で優しそうだった。変な口髭をたくわえていなければもっと若そうに見えるのにとヨーコは常々思っている。

 眼鏡をかけてぼさぼさの髪で、何故か実験をするわけでもないのに白衣をまとっているわけでもない姿は理系の院生という感じだった。

 実は筋骨隆々で体型を隠すために白衣をまとっているという噂もあるけれど、ずっと見ているヨーコはそれはないなと鼻で笑っていた。

 コの字に並べられた机の中で周囲には資料や本が山積みになっている。これでも整理整頓したのだとアルフ教授は言い張っているが大学の中でも狭くて煩雑な研究室だった。

「無事、話を聞くことは……できたみたいだね。よかった」

 小躍りしながら研究室に入ってきた学生ヨーコの姿を見て、アルフ教授は安堵した笑顔を向けていた。

「できました!」

 小躍りやスキップどころか、この狭い研究室の中でバレリーナの様に爪先立ちで回転を始めそうだったのでアルフ教授としても慌ててちょっと身を乗り出して止めようかという姿勢になっていた。

「ありがとうございます! はじめて教授が役に立ったと思いました」

「えー。それは酷くないかい……」

 いつも通りの酷い扱いに、アルフ教授はしおれて見せた。ただ、ヨーコもそんな教授の姿を見て笑顔なのも、いつもの光景だった。この国では、大学でも文系の研究室なんてサークル活動以下の存在でしかない。特にマイナーな国の研究なんて、研究室に通ってくれる学生の方が希少で有り難い存在だった。

「そう言えば! アルフ教授って、サマリナ国の首相とお知り合いなんですか?」

 ヨーコは勝手にコーヒーを入れて自分用にしている小さな丸テーブル横の椅子に腰掛けた。コーヒーを飲もうとしたところで、昨日驚いたことを思い出して教授の机に向き直った。

「うん、まだ彼がどこかの村長だった頃に、仲良くなってね」

「ええ!」

 こんな頼りなさそうな教授が、すごいコネクションがあることにヨーコは本気で驚いていた。

「まあ、今も彼は大した権力は無いし……」

「そんなことは……」

 そんなことは無いでしょうと言いたかったけれど、ヨーコは昨日ティルデにひざまずいて仕えている偉い軍人さんたちの姿を思い出して、案外そんなものなのかもしれないと納得していた。

「というかアルフ教授は、サマリナ国に行ったことがあるんですね」

「酷いな。そりゃ、あるよ」

「ここの本だけが、資料の全てなんだと思ってました」

 いつもの教授をからかった軽いやりとりを続けていたが、ヨーコからするとどこかちょっと違和感も感じていた。

「ん? ……いつ、何回行ったんです?」

「三年前にしばらく滞在していたよ」

「三年前ってまだ戦争している最中じゃないんですか?」

「もう彼のいた地方は、平和だったからそこで戦争も含めて調査させてもらっていたよ」

「へえ。でもまだ戦争中なのにわざわざ行って滞在していたんですね」

 ヨーコは少し落ち着いてコーヒーを飲んでいた。この教授にそんな危険な国に行く勇気があったことが意外だった。

(実はティルデさんたちにも会ったことがあるのかな?)

 自分だけがティルデに会ってきたことを、あまり残念がらないのでつまらないと感じていた。

「それで? 何か新しい話は聞けたかい?」

「そう。そうなんですけど、今日もこれからデートに行ってきます!」

「へ?」

「今日の分もまとめて、後でお話ししますね」

 目を丸くしているアルフ教授を残して、コーヒーを飲み終わったヨーコは手を振りながら入ってきた時と同じ様に小躍りしながら研究室を出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る