第5話 現在 エース

 ロヴィーサ・ストランベリはティルデの側まできたところで、ヨーコが見知らぬ客人だということに気がついてバツが悪そうにして謝って通り過ぎようとした。

「あら? ごめんなさい。取材?」

「い、いえ。テレビとか新聞ではありません。学校……いえ、個人で押しかけているだけですので」

 ヨーコは、じっとその女性の顔を見つめたまま慌てて立ち上がって思わず敬礼した。

 紺色のスーツ姿は、素材は高級そうではあるけれど一見すると地味な姿だった。彼女以外が着ていれば、ティルデたちよりはすらりと背が高いだけに護衛の人だと思われているかもしれない。

 しかし、凛とした表情は明らかに只者ではない光を放っていた。ヨーコは信じられないほどの美貌に目が眩みながら声をかける。

「あ、あの。もしかして、ロヴィーサさんですか?」

「え? あ、はい。そうですけれど……」

 ロヴィーサは、困惑していた。まさか、自分のことをこんなにもすぐに分かる人がいるとは想像していなかった。しかし、嘘をついてごまかしたくもない彼女は、逃げ腰ながらも向かい合って返事をしていた。

「やっぱり! 写真で見るよりもさらに美人です! ずっとファンでした」

 困惑しているロヴィーサの態度なんて気にせずに、何年もの憧れの存在に突進して距離を詰めるヨーコだった。美少女と評されることの多いロヴィーサもさすがにこうも面と向かって美人だと褒められることは少ないので、ちょっと照れたようにしながらティルデに視線を送って助けを求めていた。

「んー。なんか、私よりロヴィーサに出会えた方が嬉しそうねえ」

 ティルデの方は自分が主役じゃなくなってすっかりふくれっ面だった。

「めんどくさいわねぇ」

 ロヴィーサは長い間コンビを組んでいるティルデに向かって深くため息をついた。もちろん、ティルデの性格は知っている上での態度なので顔は穏やかだった。

「あ、あの。ロヴィーサさんには会えるとは思っていなかったので、つ、つい舞い上がってしまっただけで……申し訳ありません」

「ティルデはふざけているだけよ。いつもこんな感じなの。気にしないで」

 それだけを言うとロヴィーサは去ろうとした。しかし、いつの間にかヨーコは正面に回り込むと手をとって顔がふれあいそうな距離にまで接近していた。

「サインをもらってもよろしいでしょうか?」

「いや」

 ロヴィーサはつい、いつもの条件反射で拒否してしまったけれど、目の前の色紙を持った少女のあまりにも真っ直ぐな瞳が悲しくなるのを見て、なんとも言えない罪悪感に襲われてしまった。

「……今回だけよ」

 仕方なくあまり書いたことがないサインに応じるロヴィーサだった。ティルデは、楽しそうにそんなロヴィーサの様子を見ていた。

「本当に嫉妬しちゃうわね。……それにしても、ヨーコちゃん。よくロヴィーサだってひと目見て分かったわね。写真もほとんど残っていないはずだし、この旅もこっそり私に付いてきているのに」

「第三〇七飛行隊の集合写真は、二十八枚全部見ています」

「え? 全部? で、でもあれで分かるの?」

 何、この娘。怖い。とティルデもロヴィーサもちょっと引いていた。もう五年前の写真だ。大体が整備兵も含めて二十人くらいが一枚の写真に収まっていて、みんな同じような髪型で同じ軍服かパイロットスーツを着ていて、他の人にはなかなか区別するのも難しい。

「何と言っても、一番の美少女と評判でしたから。それに、あとはブリットさんが撮った写真ですね」

 ロヴィーサは、よく映画などの登場人物の説明で美少女とは書かれていた。それでさえむず痒く思っていたのに、さすがに面と向かって美少女とか連呼されると、いつものポーカーフェイスを崩してちょっと顔が赤くなってしまう。

「あの写真って、後ろからの横顔でしょう?」

「十分です」

 何が十分なのだろうかと、戦慄するティルデとロヴィーサだった。

「あとは、ブリットさんが描いた似顔絵ですね。あの絵はそっくりで、映画の『エリーロの空を駆ける』の女優さんのイメージにも使われたと聞いていましたし」

 にっこりと笑うヨーコを見て、二人はやっぱり、この娘ってすごい。すごいというか怖いという結論になってお互い目を見合わせていた。

「私、あの映画は何度も見ました。教官にお姫様抱っこで、救護室に運ばれるところとか、教官に失恋したあとのお別れのシーンとか何度も見ました」

「はあ、あ、ありがとうございます」

 確かに、比較的事実に作られてはいるけれど、映画の中の女優さんと私を同一にされても困ってしまう。ロヴィーサはそう思い、今度こそこの場所から立ち去ろうとした。

「ああ、ついでだからロヴィーサも話をしてあげなよ」

「えっ、いいんですか。ありがとうございます!」

 ティルデの提案に瞳を輝かせるヨーコ。ロヴィーサは『余計なことを』と内心では怒りながらも、いつものポーカーフェイスに戻っていた。

「いえ、私は取材とかお断りしていますので」

 これ以上、甘い顔を見せるといつまでもティルデにこき使われてしまいそうなので、ロヴィーサはきっぱりと断ろうと決意した。

「私たちの取材じゃなくてね。教官のことを知って世に広めたいんだそうよ」

 もう数歩先に進んでいた歩みがピタリと止まって、くるりと綺麗なターンで振り返った。

「それなら仕方がないわね。あ、シルベストク。私にも紅茶をください」

 ティルデの横に椅子を持ってきて座るロヴィーサだった。

 お付きの軍人から紅茶を受け取っている姿は、あまりにも優雅でヨーコは見惚れてしまう。

「ロヴィーサも世間で広まっている教官のイメージを許せないのよ。ねー」

 ティルデは、うまく話に乗ってくれたロヴィーサの姿を見て勝ち誇っていた。ヨーコは頭では座ってくれた意味を理解していたけれど、お話の中の登場人物でしかないと思っていた二人が並んで自分に話をしてくれるのはどこか夢の中の光景みたいだとポカンと口を開けていた。

「言っておきますけれど、私は失恋なんてしていませんから」

「え?」

「まだ言っているのロヴィーサは……」

 ティーカップを口につけながら厳しい口調で言うロヴィーサに、ティルデは呆れかえっていた。ヨーコは先ほどの自分の発言に抗議をしているのだと理解するのにしばらくの時間がかかった。

「映画みたいに振られたわけじゃないわ。教官は事情があって去っていっただけよ」

 映画の中では、告白したロヴィーサの制止を振り払って、敵軍の中で孤立した別の教え子を助けるために出撃する。彼女のために命を掛けて、捨てたはずの名前も明らかにして飛び立つシーンは、映画の中のクライマックスシーンだった。

「告白したのは事実でしょ?」

「まあ、それは事実だけれど」

「そのままお返事もないままに、国に戻ってしまったのでしょう?」

「だから、それは事情があったのよ! きっと……」

 もう、何回も行われたやりとりのはずだった。でも、まるで今回初めて話し合われたことのような熱さで二人は語りあうので、ヨーコは目を丸くしていた。

「教官は、去っただけなんですね?」

「え? ええ、そうね。少なくとも教官はあの出撃では死んでいないわ」

 ヨーコの疑問に、ティルデはちょっと戸惑いながら答えていた。どの映画でも伝説の名パイロット、レイ・クレイバードは教え子を助けに行き、彼女を救いだしたけれど、基地に上手く不時着できずに亡くなったことになっていた。

「戦死したのは、国に戻った後って聞いているわ。映画では、そんな尺がないから感動の別れのシーンにしたのでしょうね」

「教官が死ぬわけないでしょ」

 ティルデの説明の後に、ボソッとロヴィーサは呟いていた。

「本当に諦めが悪いわね……」

 ティルデは呆れていた。

「でも、私も色々調べましたけれど、レイ・クレイバードは生きていると思うんです」

「え?」

 その答えに、ロヴィーサは一瞬驚いた。でも、すぐに無表情で知られる彼女には珍しい満面の笑顔で、ヨーコの手を取っていた。

「そうよね。そう思うわよね」

「はい。はっきりとした証拠はありませんけど、そう思いました。よければこのマップをご覧ください」

 小さなバッグから、マップを取り出して机に広げ始めた。

 マップには何やらいろいろな記号が書き込まれている。

 おそらく教官の足取りを追ったマップだとティルデには分かる。

「うんうん。そうよね。やっぱりイムルケン攻略作戦のこれは、教官が参加していた可能性が高いわよね」

 すっかり意気投合した二人を、ティルデは深く息を吐きながら眺めていた。

「面倒くさいマニアが増えたわね……」

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