第24話 攻めの王太子と守りの公女⑥
「ローズ、お前はアリシアに呪いをかけたな。私の魔力の回復が遅いのは、呪いがかかっているアリシアの近くにいたせいだ」
「……何のことだか、分かりませんわ」
「発現した呪いは全て、水魔法と氷結魔法だった。呪いは、呪いを与えた者と同じ特性を持つ。ローズ、お前が得意とする魔法は、水魔法と氷結魔法だと調査で知っている。氷結魔法まで覚えている人間は、この学院内には数人しかいない。私と私の従者や親友を除けば、お前だけだ」
「……ッ!」
「お前の愚策は、私とアリシアが今までのように距離を置いた関係でなければ、成功しない。いや、たとえ距離を置いていたとしても、失敗していただろうな。なぜだか分かるか?」
追い詰められているのはローズだが、アリシアもまた追いつめられていた。呪いという言葉に過敏に反応してしまうのは、ルイスの言葉一つ一つが全てを見透かしているように思え、突き刺さるからだ。まるで、次は自分の番だと言われているような気さえした。
前を見ると、ローズはお前のせいだと言わんばかりの恨めしそうな顔でアリシアを睨んでいる。いやいや、それは逆恨みだと、アリシアも同じような顔で睨み返した。入学してからまだみ月ほどしか経っていないのだが、ローズのせいで努力が泡となりそうなのだ。
(……確かに彼女のおかげで、ルイス様の人となりが少し分かったわ。寂しくなかった、いえ、楽しかったもの。けれど、彼女のせいで、私の秘密が知られてしまったのだとしたら、私は……)
焦り、緊張、動揺、不安。
……ああ、この場から逃げ去りたい。
しかし、話はまだ終わっていない。ルイスはローズの名前を呼び、アリシアに向いている彼女の視線を自身へと向けさせた。攻めの手を緩める気はなさそうだ。
「お前から相談を受けた時、雨が降った」
「ええ。感情が不安定になり、コントロールできませんでしたわ。よくあることだと……」
それでもまだローズは、毅然とした態度で答えた。
「……あの時、私が貸したハンカチを手に持ちながら、魔法を使ったな」
「アリシア様に虐げられていた私は、不本意ながらもルイス様の前で、大泣きしてしまいましたわ。その時に、ルイス様はハンカチを貸してくださいました。感情が不安定になると、自分の意志とは無関係に魔法が暴走することは、新入生にはよくあることですわね。そのために、雨が降ることも。魔法を使いたくて使ったのでは……」
「ああ、大事なのはそこじゃない。問題はその後だ。白虹を見た後に返してもらったハンカチには、魔力の痕跡が残っていた。それは、この砕けた氷の槍から感じる魔力痕跡と同じものだ」
ふ、と、アリシアは顔を上げると、心底驚いているローズとルイスの姿が目に入った。
相談を受けた日のことを詳細に話すルイスの姿は、身の危険を感じるほどの怖さがある。セバスディにもそういう部分はあるが、彼の方が茶目っ気を感じる所がある分、まだマシかもしれない。抜け目がなく、先を読む才に長けている王太子の本気は凄まじく、圧だけで人を殺す威力がありそうだとアリシアは今更ながらに肩を震わした。
(ルイス様のお言葉を聞いていると、処刑台に上がり、罪状を事細かく述べられているような気分になるわ……。だって、ルイス様は最初から彼女を疑っていたということだもの)
ずっとルイスの手のひらで踊っていたのかと考えれば考えるほど、アリシアは眩暈がした。
「まさか、その時から私は疑いの目を持たれていたというの? ハンカチを洗って返すと言ったのに、構わないと仰った理由がそれだったのですか?」
ルイスは口の端に笑みを乗せながらも黙っていたが、ローズは悔しさを顔に滲ませて唇を噛んだ。
「……そ。う、嘘よ! そんなの嘘だわ!」
「真実だ。私はローズに配慮したのではなく、マインベルク伯爵に配慮して優しく接したまでだ。彼は優秀で失いたくない人物だからな。たとえ、その娘が愚かな令嬢だとしても、それを表立って口にしてしまえば、失って欲しくない人材まで失いかねない」
「……あ、ああ。どうして、どうして私の企みに気付いたのよ。ずっとお2人は距離を置いていたわよねぇ。ルイス様もアリシア様も、互いに“情”はない関係だとばかり……。それなのに、いつまで経っても婚約を破棄しないなんて! ねぇ、アリシア様。婚約者としてルイス様にそのような振る舞いをするなら、私にその座をくれたって良いじゃない。今更、睦み合っても、ねぇ……?」
ローズの悲痛な叫びを聞いたアリシアは、苦渋の表情を浮かべた。ズキズキと胸が痛むのだ。
アリシアも、ルイスに対する自身の行いが時に失礼極まりなく、はしたなく、不敬な行いだと骨身に沁みていた。それでも隠し通さなければと嘘を上塗りし、恥を晒しながら生きてきた。だから、こうして言葉で指摘されるのは、何より心が痛い。
何も言い返さずに、俯くしかなかった。
「はぁ」
ルイスの溜め息が一つ。アリシアに背を向けて前に立つと、ローズに厳しい言葉を放つ。
「ローズ、非難できる立場じゃないだろう? 禁呪指定されている呪いをアリシアにかけたんだ。お前を許すことはできない」
「それならどうぞ、私を呪えばいいですわ。私に向けるその憎悪さえ、ルイス様が私に関心がある証拠です。それに、呪いをかけられたアリシア様は、どう考えても婚約者の資格はない。だって『欠陥品』なのよ?」
「アリシアをこれ以上、愚弄するのはやめろ」
「ルイス様のお願いでも、それは難しいわ。だって、この国には前例があるんですもの! 王太子たる者に欠陥品は相応しくないという前例が!」
「黙れ! アリシアは欠陥品じゃない。私は確かにアリシアには近付かなかったが、遠くから見守っていた。だからあの日、お前から相談を聞いて吐き気がした。アリシアは誰かを虐げる人間じゃないと知っていたからな!」
感情を乗せて声を荒げるルイスを見たのは、アリシアには初めてのことだった。王太子らしい振る舞いを心がけ、礼節を重んじる柔和な人物として学園では人気者だが、王城にいた頃は、何を考えているのか分からない側面もあった。そんなルイスが人目も憚らず、怒号を上げている。
(ルイス様が私のことを考えてくださっていたなんて……。自分のことばかり考えていた自分自身がすごく恥ずかしいわ)
ルイスの背に隠れるようして立っていたアリシアは、2人の顔が見える位置まで移動した。丁度、3人の立つ位置が綺麗な三角形を作っている。
諦めの悪そうな表情はそのままで、肩を小さく震わせているローズと、全面に出していた諸々の感情をスッとその身に隠して真顔になるルイスの姿がよく見えた。
ルイスが淡々と言葉を紡ぐ。
「相談を受けた『あの日』のことをどう思っていたのか、話してやろう。私の許可なく隣に座ったことも、私の隣は婚約者であるアリシアだけの場所だと知りながら、座ったことも。アリシアに配慮しないその行いも。全部、虫唾が走った」
それが全てだとルイスが言い放つと、ローズの顔が初めて強張り、長い沈黙が訪れる。
(ああ、これが噂の元になった真実なのね……)
アリシアには、『あの日』の光景が目に浮かぶようだった。
それは、入学日よりみ月も経った日のこと。個別授業が終わり、紅薔薇寮へ帰る途中で、アリシアはとある「噂」を耳にした。
「ねぇ、先ほど
「そうそう、さめざめと泣くローズ嬢とルイス様のお姿は、まるで結ばれない恋をしている男女のよう。完璧なシチュエーションだったわ」
「もしかして、アリシア様は婚約破棄をされるのでは?」
「まぁ、それってまるで、今
現場を見た令嬢たちは一通り妄想に耽ると、今度は好き勝手に囀る小鳥のように、他の令嬢たちにも話を伝えていく。こうして噂は広がるのだと思いながらも、アリシアはその噂が怖くなった。
ヴィヴィや両親が手を下すのでもなく、アリシア自身に落ち度がある訳でもない。その両者どれでもない可能性をアリシアは考えていなかった。第3者のローズとルイスが結ばれることにより、婚約を破棄される可能性を――――。
その日は、噂のことで悶々としていたが、次の日の朝には、それもたかが「噂」だと思えるようになった。獅子の咆哮の封蝋を見て、また「噂」を思い出す前までは。
(まぁでも、あの時は思い出しはしたけれど、まさかねと流してしまったわね。手紙が届いたことの方が強烈で……)
『あの日』の概要がくっきりと見えてきたアリシアは、回想をやめた。
先ほどのルイスの発言は、その「噂」を伝えた令嬢たちの妄想までもを否定しているということになる。ローズもそれに気付いているのか、アリシアとは対照的な顔色で、半ば放心状態だ。
震え戦慄いている彼女の唇だけは辛うじて動いていたが、罪を認めざるを得ないと白旗を振っているようにも見えた。
(これで、ローズとの問題は全て終わったわ。そして、ここからが本当の……)
アリシアはぐっとお腹に力を入れて、次の言葉を待った。
「ローズ・マインベルク伯爵令嬢、お前をこの学院から追放して、牢獄行きを命じる。捕らえろ!」
沈黙を破り、ルイスは声高らかにローズの処遇を言い渡した。その一声で、側近の2人が瞬時にルイスの両隣に控える。ローズはその者らの魔法により、身柄を拘束された。
「罪を償ってこい。時間をかけて、その罪に向き合え」
「…………」
その様子を見ていたアリシアは、最後の最後でローズと目が合う。彼女は言い渡された処遇に対して何も言わなかったが、アリシアに向けるその視線は、言葉以上に語っていた。去り際にもゆっくり頭を下げて、ルイスに何かを呟いている。
最後の悪あがきなのか、彼女の小振りなその唇は、もう小刻みに震えていない。
一抹の不安を感じながら、アリシアは次は自分の番だと腹を括った。
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