第58話 幸せの階段から見下ろす日⑤

(来た……)



 会場中のほとんどがその「音」に気付き、穴の開いた壁の方を見る。



 ブン、ブン、ブン。ブン、ブン、ブン。



 ジュラベルト王国の貴族たちならば、段々と大きくなる羽音を聞けばその正体を悟り鳥肌を立て、逃げる準備をする。しかし、会場の左側にはもうその力もない者たちがほとんどだ。彼らは穴の開いた壁の原因を作った公爵夫妻とアリシアに感情の捌け口として敵意が向けるが、公爵夫妻にはそれを静めるすべも余力もなく下を向いている。



 よってその敵意は次第に、アリシア一人に向けられるようになった。



「あ……」



 対立する壮年貴族は遅れてアリシアの顔を見たが、そのまま絶句する。



 アリシアはわざと分かりやすい笑みを湛えていたが、もっと分かりやすくするために「これは想定外ではなく想定内のことよ」と付け足した。それはつまり、羽音までが演出だということ。



――――悪魔だ。



 しかし、その壮年貴族の囁き声はアリシアの耳には届かない。



毒蜂キラー・ビーだ、逃げろ!」



 という群衆の中から上がった声に、綺麗にかき消されてしまったからだ。その直後、壁から無数の毒蜂キラー・ビーが入り込み、会場内は一部混乱状態に陥る。



 この光景は緻密な計算か、オースソーワケ草の効果か、はたまた事故か。ハプニングの始まりを舐めるようにして見ていたアリシアは、昔のことを思い浮かべながら考える。



「……ルイス様はこの光景をどう見ますか?」



 毒蜂キラー・ビーが数百数千の群れを成し、会場内にいる人間に牙を向いている様子を前にして、アリシアは平然と聞いた。



「……もちろん楽しいハプニング、だろう?」


「ふふ、そうですね」

 


 腹黒い笑顔を向けてアリシアの隣まで階段を下りてくるルイスに対して、アリシアもまた妖しい笑みを浮かべる。



 階段下では新二期生が打ち合わせ通り、新一期生や一部の家族・仲間を守るために、結界シールド魔法を展開していた。打ち合わせでは毒蜂キラー・ビーが襲いかかってくるなどの具体的なことは話し合われていないが、何らかのハプニングが起こると助言を受けていたおかげで、生徒たちは慌てることなく対処している。



 その新二期生の中には、グレイやレイチェルのように家族を見放した者も少なからずいた。今までのやり取りを見聞きして、この毒蜂キラー・ビーの襲撃も「仕返し」として利用した者が多々いるのだ。



 アリシアとは形は違うが、それぞれがそれぞれの形で何らかの「清算」をし、次のステップへと進めるための準備をしている。そう言う意味では、この「会」は本当に「特別な会」だった。アリシアだけでなく、それ以外の者にも仕返しの機会を与える場となったのだから。



「うわあぁぁ! 痛って」


「痛いわ、顔はやめてぇ」



 研究機関に所属する貴族やその家族たち――つまりは見放された側だが、今まさに毒蜂キラー・ビーの脅威にさらされている。刺された尻を押さえながら逃げ惑う青年貴族や、両瞼を腫らした熟年夫人。あちこちで酷い見目にされてしまった貴族たちが痛みと悲しみに打ちひしがれている。



 毒針で刺されても死ぬことはないが、毒が抜けて元通りの姿に戻るのには1年もかかると言われているのだ。そのため、わが身可愛さに同志を盾として身を守り出す老貴族もいた。その姿は、ボンボンに腫れあがった容姿よりもさらに醜い姿としてアリシアの眼に映る。少しでも貴族の誇りを片鱗でも見せる者がいたならば、すぐにでも手を引こうとさえ思っていたというのに。



 落ちぶれた姿に溜め息を吐きながら、アリシアは奥の出入り口扉まで視線を移動させた。その扉から2人ほど無傷の生徒が逃げ出していく姿が見える。



(あれは一期生……?)



 気分が悪くなった生徒かもしれないと思ったが、それにしては軽快な動きだったため、アリシアは今に集中しようと思い気を引き締める。会場内の状況が芳しくなってきた頃合いを見計らい、アリシアは隣にいるルイスに目配せした。



 ルイスはアリシアと一緒に階段下の中央に移動すると、



「さて、このくらいでいいだろう」と宣言する。



 ルイスの一声でセバスディは動いた。毒蜂キラー・ビーの群れを一匹残らず外に追い出し、続いてアレクとノイドが公爵夫妻とヴィヴィの身柄を拘束した。3人も周りの貴族同様、毒針で派手に刺され顔がボンボンに膨れ上がっている。特にリーサとヴィヴィは肌の露出が多い分、目に見えて腫れ具合が分かった。



「お父様、お母様、それからヴィヴィ――」



 今生の別れとして言葉をかけたが、アリシアの声はあまりに小さく当事者3人にしか聞こえない。タイミングよく塔の大鐘ベルが鳴ったのだ。会場の閉会時間は残り1時間だと知らせるその大鐘ベルは、王国から派遣されたドラコ騎士団の登場と時を同じくした。身柄を拘束される貴族の数が多いため、予め王国側に救援要請をして密かに待機させていたのだ。



「くっ……我々の処罰は……」



 項垂れたまま拘束されたローランドは、今夜最後となる質問をする。



「私は陛下から裁量を任されているが、報告はしなければいけないだろうな。その報告は後日改めてするが、その時に直接、陛下から罪状とその処罰の内容を言い渡されるだろう」



 その言葉を聞いて顔を曇らせた貴族は多い。今日のようなやり取りをまたしなくてはいけないと、煩雑な手続きにも詳しい王城勤務の貴族たちは、はぁと溜め息を漏らす。王城の玉座の間で延々と責め苦を受け、その上救いもない処罰が待ち受けているとあれば、もう溜め息しか出てこないのだ。



「今のうちに理由でも考えておくことだ。まぁ情状酌量願いの書類を出そうが、無駄だと思うが」 



 ルイスはそう言うと、ドラコ騎士団に撤退の指示を与えた。剣と魔法の使い手たちで成り立っている王国随一のドラコ騎士団は、厳つく漢気あふれる者ばかりで、貴族らしい繊細さと美しさを持つ者は珍しく一人もいない。例えるなら全員がアレクのようなのだ。



 そんな騎士たちに、体力も気力もなくなってしまった貴族たちが次々と担がれていく。セバスディが床に魔法陣を描き転移魔法の装置を作ると、騎士団はその円の中に貴族らをポイポイ放り込んで王国に送り出した。彼らの一連の行動は手荒ではあったが効率はよく、対立していた貴族たちはあっという間に一人残らずこの場から消え去ってしまう。



 すっきりした会場内を見渡して、アリシアは満面の笑みを浮かべて喜んだ。



(駆除作業がやっと終わった……。もうこれで心置きなく学院生活が楽しめるわね)



 ハプニングもいいけれど、今度はゆっくりのんびり学院生らしく過ごしたいと、アリシアは密かな夢を見ているのだ。それがやっと叶うと思うと、思わず頬が緩んでしまう。




「ルイス様、私も王国に帰ります。後始末がありますので」


「ああ、頼む。父王にもよろしく伝えてくれ、セバスディ」


「かしこまりました。アリシア様もお元気で……。今日はとても素敵でしたよ」


「そう言ってもらえると嬉しいわ。ありがとう」



 誰よりも事情を知るセバスディに褒められると、アリシアの瞳は簡単に潤んでしまった。



「あ、そうだわ。紅薔薇寮にあてがわれた部屋を少しだけ燃やしてしまったの。大丈夫……よね?」


「も、燃やしたのですか……?」


「ええ、マリア嬢対策として……その、ハプニングを起こそうと……」



 その直後、アリシアの目の前にいたセバスディがいつものセバスディではなくなった。張り付けていた笑顔を瞬時に切り落として、怜悧さと尊さが表情に刻まれた顔を取り付けると、熱弁を始めたのだ。その姿はまさに指南役――。



「よろしいですか、アリシア様。あの紅薔薇寮は確かに古い建物ですが、決して燃やしていいものではありません。この王国の歴史に登場する建築様式は7種類ありますが、その中でも実は歴史的価値の高いサマネルダール建築で建てられた特別な寮なのです。神々をお招きする神殿のような神秘さと美しさをイメージして、柱の太さは……」



 怒涛の勢いでアリシアに蘊蓄うんちくを傾けるセバスディだったが、



「マ、マリア嬢に取り立ててみてはどうでしょう……? ついでに舞踏会場の壁の修理費も。彼女も原因の一端を担っていると思うので」



 とアリシアが助言すると、目の色を変えてすっ飛んでいった。ホッと一息付くアリシアは、マリアの指や首から宝石が取り上げられる日も遠くないと、心を弾ませる。目的を定めたセバスディなら、転移魔法で王国に帰った後すぐに仕事に取りかかることは明白だと。



 セバスディが去り、再び静けさを取り戻した会場でルイスは皆に意見を求めた。



「さて遅くなってしまったが、残ったメンバーで舞踏会を開催しようと思う。どうだろうか?」



 ルイスが一期生や二期生に意見を求めると、「賛成ー!」という声が上がった。主役級に活躍した彼らからは、精神的にも肉体的にも疲れを微塵も感じない。特に一期生は入学日に特別会と舞踏会が開かれるという異常事態に、興奮を抑え切れていない。元気な「キャー」という声があちこちから打ち上がった。



 壁で控えていた使用人たちは大忙しで準備に取りかかると、程なくして曲が流れた。アリシアの目の前にルイスの手が差し出される。



「アリシア、私と一曲踊ってほしい」


「はい、喜んで」



 アリシアにとって「まとも」な舞踏会はこれが初めてだ。厳密に言えば、特別会後の舞踏会ということもあり「まとも」とは言えないが、それでもアリシアの心に残る舞踏会にはなった。



 キュッと鳴る床には、ぺんぺん草一本さえ生えていないのだから。







 こうして特別会――後に「血の粛清」と呼ばれる断罪は幕を閉じた。



 この会で一際有名になった者が二人いる。一人はヴィヴィ・メロディアスで、入学日に学院から追放されるという学院史上、最悪な記録を残した公女である。ファウスト王立学院に通うことは貴族の義務だが、たった1日で追放されるという記録を打ち立てた悪女として、その名を知らしめてしまった。


 

 不名誉の烙印を押されたヴィヴィとメロディアス家だが、もう一人の公女は将来有望で歴史に名を残す王太子妃になるだろうと期待が寄せられている。同じ公女として生まれ同じ両親の下で育ったのにもかかわらず、その行いにより明暗を分けてしまったことは、この学院の教訓として後世に伝えるべき事項として刻まれたのである。




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