第11話 素っ気ない公女と推し量る王太子①

「……ふぅ、大切な物が次から次へと壊れていく。悲しいわ」


 飛び散った破片に気を付けながら、アリシアはそっとベッドから足を下ろす。使用人を呼ぶベルを鳴らすと、間もなく侍女とメイドたちが部屋に到着した。


「このアンティークドールを修理に出してくれるかしら? それ以外は片付けて」

「かしこまりました」


 メイドたちに部屋を片付けてもらっている間、アリシアは名ばかりの侍女に身なりの支度をお願いする。髪が乱暴に梳かれるのは、いつものことだ。コルセットの紐が締められるのも、通常通り。アリシアはその度に侍女に頭を下げ、「お願い」をして、コルセットをきつく締め直してもらった。


 アリシアは姿見を見て、確認する。暗い紅の布地に、銀紐がアクセントのワンピースは、だ。アリシアのために両親が誂えた服やドレスは、これ見よがしにアリシアの特徴と似ている。


 いつもなら気分が落ち込むが、今日のアリシアは少し違っていた。周りが些か騒がしいのだ。


 アリシアの支度中、度々起こるハプニングに驚いたメイドたちは、「怪奇現象」だと騒ぎ立てていた。彼女たちは早々に仕事を終わらせて、部屋を出て行く。


「あ、待って。侍女の貴女はここに残って」

「え……? お、お話は廊下で伺います。その、この部屋は不気味ですので」

「用件はすぐに終わるわ。近々、王城へ行くから、その準備をお願い」

「入学手続き書を出しに行くのですね?」

「ええ」

「かしこまりました。そのように準備いたします」


 侍女が部屋を出た後、クスクスと笑い声が聞こえてきた。どこの上位家門の令息令嬢も、入学手続き書を出すためだけに、遥々王城へは出向かない。そういうことは、主に使用人の仕事だ。そのことを知っている侍女やメイドたちは、密かにアリシアを嘲笑した。


「……でも、あと半年の辛抱だから」


 そっと目を伏せるアリシアの近くで、新しい花瓶がまた割れる。廊下で陰口を叩いていた侍女やメイドたちの声がピタリと止まった。


 しかし、それは一瞬だけで、彼女たちはすぐまた別の話題でお喋りを始める。それも大きな声で。話の内容は今の音についてだが、腹を立てたアリシアが花瓶を割ったというメイドもいれば、怪奇現象のせいだというメイドもいた。


 話題を振りまくように、綺麗に片付いた部屋は、再び音と共に散らかっていく。


 アリシアは怪我をしないよう気を付けながら、破片を拾った。廊下で話し込んでいるメイドたちには、もう部屋の片付けは頼めない。誤魔化しが利かないと思ったからだ。


 彼女たちは下位貴族令嬢として、この城館に仕えている。口は堅い。仕事上で得た秘密は口外しない、という誓約書を書かされているのだ。その秘密を破れば、男爵家・子爵家の令嬢である彼女たちは、没落させられる可能性がある。


 リーサやヴィヴィの指示でアリシアにあたりが強い彼女たちも、公爵家で起きたことを周りに話すようなことは、さすがにしない。そもそも、下位貴族は総じて魔法や呪いの知識もなければ、使うこともできないのだ。


 しかし、メイドや侍女たちの態度を見たアリシアは、念には念を入れた。煙のないところでも立つのが、噂。この奇妙な現象ばかりを見続けていたら、侍女やメイドたちもうっかり口を滑らすかもしれない。アリシアは脳裏にそんな不安が過ぎり、自ら破片を拾うことにした。


 黙々と拾っていると、部屋の外が急に騒がしくなった。侍女やメイドたちの慌ただしい靴音と声が廊下を走り去っていく。


(やっと真面目に仕事をする気になったのかしら)


 そんなことを考えていると、去ったはずの靴音がまたドタドタと近付いてきた。勢いよく扉が叩かれる。


「ア、アリシア様。王城からの使者、セバスディ・アルベルト様がお見えになっています」

「セバスディ……様……?」


 思わず力が入り、アリシアは破片で手を切った。指の腹から血がぷくりと出たが、気にもならない。それよりも、心臓の高鳴りを静めるのに精一杯だった。入学手続き書を握り締めたアリシアは、汚れた部屋を後にして大階段を下り、玄関ホールにいるセバスディの元へ駆け寄った。


「これはこれは、アリシア様。おはようございます。そんなに慌てなくても、大丈夫ですよ。あれから1年半経ちますが、よりお美しくなられましたね」

「セバスディ・アルベルト様、おはようございます」

「お元気そう……、ではないですね。私は王太子付き指南役と補佐官を兼ねている身ですので、どうかセバスディと気軽にお呼びください」

「セバスディ……」

「はい、よくできました。それと今日は、アリシア様の入学手続き書が届いていないと小耳に挟んだので、転移魔法でお邪魔した次第です。入学手続き書は持っていますね? さぁ、では出発しましょう」

「え、今からですか? でも、まだ記入も……。ひゃあ!」


 セバスディはアリシアをそっと抱き寄せると、転移魔法を発動させた。侍女やメイドたちが見守る中、2人は円中の光に包まれてそっと姿を消した。



「はい、到着です」

「…………」

「ふふ、驚かせてしまいましたね。転移魔法は、王家と王家付きの一部の者にしか許されていない特殊魔法ですので、珍しかったのではないでしょうか」

「ええ、まぁ」

「さて、私はアリシア様の入学手続きをしてまいります。その間、王城探検でもしていてください。もしかしたら、ルイス様にお会いできるかもしれませんよ」

「あの、私は……」

「ああ、忘れてました。お帰りの際の集合場所は、この場所、王城の玄関口でお願いします。どうぞゆっくり、王城探検を……」


 笑顔のセバスディを前にすると、アリシアは何も言いたいことを言えなかった。セバスディはアリシアの手から入学手続き書を優しく引き抜くと、何とも形容しがたい笑みを湛えて、早々に立ち去ってしまう。


(入学金のこともあるから、私がお父様に直接お願いするべきだわ。でも……)


 アリシアはどこかホッとしていた。「無限ハプニングを起こす呪い」のことで頭がいっぱいだったのだ。もうじきハプニングが起こる時間。次のハプニングが起こるまで少し「」があることは、今まで起きたことで学んだことだった。しかも、その「間」に規則性はなく、短い時もあれば長い時もあり、厄介だ。


 ハプニングが起こる「前触れ」さえ読めれば対処はできるが、たまに「前触れ」がないハプニングもあり、感覚頼りなところがある。


 先ほど、セバスディが城館を訪れたのは、ハプニングとハプニングの「間」の時。結果、アリシアはセバスディに秘密を知られずに済んだが、もしずっとアリシアとセバスディが一緒に行動していたら、呪いの存在はあっという間にバレたかもしれない。


(ここは人目に付く。どこかに隠れないと……。ルイス王太子殿下だけには、会う訳にはいかないわ)


 もしこの呪いがなかったら、アリシアはルイスに会い、じっくり腰を据えて話をしてみたかった。その機会が今までなかったために、アリシアは勝手な想像をして、悩んだのだ。想い出に浸り、今の状況との格差に不安を溜め込んだ。


 どうして返事を書かなかったのか。どうして王太子妃教育をするための「登城要請」がなかったのか。どうして親睦を深める茶会の誘いがなかったのか。


 聞きたいことはたくさんあったが、アリシアの状況は変わってしまった。今は秘密を守るために、誰よりもルイスに会いたくないのだ。そのための誓いも、今朝立てた。「『婚約者の座を妹に譲りたくない』がために、ルイス王太子殿下を拒絶し、呪いの存在を知られないようにする」という、何ともへんてこな誓いだが。


 難儀な道を行くと決めたアリシアは、安全な場所を探すべく、王城内を彷徨い始めた。 


(立ち入り禁止区域内は、殿下と遭遇率100%だわ。殿下は関係者だから、立ち入りが許されている。それ以外の場所で、人気ひとけがない場所は……)




「ああ……ッたい……」


 アリシアは、何もない平坦な場所で、無様に転んだ。すぐに立ち上がると、周りを見渡して人がいないことを確認する。


「はぁ、これも呪い……? 物が落ちてくるだけが呪いとは、思わない方がいいみたい」


 アリシアの両手には、痛々しい痕跡が残っている。手の皮がずるんと剝けていた。


 普段のアリシアは、手先は少しばかり不器用だが、ドジではない。性格も、そそっかしくはなかった。しかし、このハプニングのせいでアリシアが持つ本来の個性は、壊れつつある。ルイスと出会った日から約2年が経ち、外見も内面もより淑女らしく変化したが、今やそれも呪いのせいで退化したと言ってもいい。


 アリシアはこの不幸体質と言わんばかりのこの状態に、少しばかり項垂れた。





「…………アリシア?」




(ああ、神様――――)


 アリシアは自身の腹部の前で両手を軽く握り、祈るようなポーズを取る。


 懐かしい声であり、懐かしくない。アリシアは耳を塞ぎたくなった。後ろを振り向かなくても、それが誰の声なのかが分かってしまうのだ。2年前よりも少し声は低いが、この王城でアリシアを呼び止めるのは、セバスディを除いて1人しかいない。


 アリシアは、最も会いたくない人物と会ってしまった。 

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