第19話 攻めの王太子と守りの公女①

 ひっそりと佇む紅薔薇寮にも、早朝にはけたたましく鳴く凶鳥の声が届く。



 散らかった部屋を目の端に入れながら、アリシアは使用人に髪の毛を梳かしてもらっていた。欠伸を押し殺しても、ふあぁと出てしまう口を手で押えながら、爽やかとは言えない朝を寛ぐ。



 余裕のある朝を迎えられるのは、ハプニングによる「騒音」を気にしなくていいからだった。



 白薔薇と呼ばれる女子寮の裏側に、紅薔薇と呼ばれる旧寮がある。アリシアの部屋は、そこの一室があてがわれていた。そのため、アリシアの周りで何が起ころうとも、紅薔薇寮の外まで音が響くことはない。凶鳥が侵入して、腹の底から鳴き叫ばない限りはだが。



 寮内の生徒には、身の回りの世話をする使用人が一人付いた。アリシアの使用人は王国側が選任した人物で、名前はシャシャという。



 彼女はアリシアの事情を王国側から聞いていても、それ以上の詮索をしない人物だった。今は平民だが元上位貴族の令嬢で、ハプニングが起きようとも動じない精神力を持っている。没落しても、シャシャの魔法知識や素質は健在だ。口は堅く、礼儀作法はお手のもの。



 その上、仕事に関して言えば、好奇心を押し殺してしまうほどには誠実だった。



 シャシャに手伝ってもらいながら朝の身支度をしていると、扉下の隙間に手紙が置いてあることに気が付いた。誰とも接点を持つことなく生活しているアリシアにとって、その手紙は鳥肌を立たせるくらいには恐怖心を煽る。



「……ねぇ、シャシャ。あの手紙は貴女がこの部屋に来た時から、置いてあったものかしら?」

「いいえ、存じません」

「そう……。あの手紙を持ってきてくれる?」

「はい、アリシア様」



 シャシャは櫛を置くと手紙を取りに行き、素早くアリシアに手渡した。



「ありがとう。封蝋は獅子の……咆哮……? そんな……!」



 封蝋には王家の紋章が入っている。敵に襲いかかろうとする勇ましい獅子の咆哮姿の封蝋に、アリシアはたじろいだ。 



 入学日から、もうみ月も経っている。その間、ルイスと言葉を交わしたこともなければ、視線を合わせたこともない。



(それなのに、どうして今更……。もしかして、婚約を破棄される? まさか、ね……)



 震える手でペーパーナイフを取ると、アリシアはその一段刃で封を開けた。おそるおそる手紙の内容を確認する。何度も何度も読み返しても、文字からは何の感情も読み取れない。



「まるで脅迫状だわ……」



 その手紙は、アリシアを薔薇庭園ガーデンへ呼び出すための手紙だったが、身に覚えのないアリシアには不可解極まりない手紙だ。何のための呼び出しかも書いておらず、断る隙さえ与えない最低限の要件しか書かれていない手紙だった。





 その日、授業が終わるとアリシアは、約束の場所である薔薇庭園ガーデンまで走って行った。遠くに、ベンチに腰かけて待っているルイスの姿が見える。



(あっ……)



 ルイスの視線はアリシアに向いている。その碧眼がアリシアを捉えたのは、学院生活の中で初めてのこと。



 が、その数秒後、銀髪を靡かせてひたむきに走るアリシアの印象は、跡形もなく崩れ落ちた。盛大に転んだのだ。落ち着いて見える外見からは想像も付かないほど、無様に顔面が地面に付いた。


 

(痛っ……。受け身を取らないと、こんなにも痛いのね。けれど、殿下が半年前のことをお忘れだというなら、思い出してもらわないと……。このドジっぷりや虚弱っぷりを晒してでも)



 アリシアはきゅっと唇を噛む。こんなことはもう日常茶飯事ルーティンだ。



 すぐに立ち上がると、痛みに顔を歪めながらも、周りに心配をかけないようにっこり笑い、制服の汚れを手で払った。キラキラした紅い瞳がじわっと涙で滲んだが、「騒がしくして、ごめんなさい」と周りを配慮した言葉を添え、涙を落とすことはしなかった。



 それからアリシアは、傷付いた顔を両手で隠しながら、ルイスの前へやって来る。



「……アリシア、なぜ顔を手で隠す?」

「恥ずかしくて、殿下……いえ、ルイス様に合わせる顔がないからです」

「……ではそのままでいい。話をする前に医務室へ行こう」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろう。もし傷跡が残るようなことになれば、だ。回復魔法でさっさと治した方が傷跡が残りにくい」



 ルイスの言葉を聞いたアリシアは、王国の前例となった話を思い出した。



 その話とは、とある貴族がならず者に命じて、王太子の婚約者を「狡猾に」傷付け、婚約破棄を企んだ話だ。「目立つ傷跡がある欠陥品は、王となる者に不釣り合いです」とその貴族は白々しく言い放ち、婚約を破棄するよう進言した。



 一方、真実を知らない王や王太子はそれを承諾してしまい、婚約破棄は成立。そればかりか、王を唆した恥ずべき貴族は「自分の娘こそ、王太子妃に相応しい」と言い、王や王太子、またその周りの者を甘言で釣った。



 しかし、暫くしてことが明るみに出ても、その一族が裁かれることはない。証拠は疾うに隠滅されていて、因果関係は認められなかったのだ。



 小さな傷でも命取り。



 将来、王太子妃となるアリシアにも、傷跡が残れば、婚約が取り下げられる可能性がある。婚約者になる条件としてそれなりの容姿が求められるが、裏を返せば、目立つところに傷一つでも付けば、婚約を破棄する材料になるのだ。



(ヴィヴィはこの前例を拡大解釈をして、私を呪い持ちという欠陥品にした。この呪いのせいで生傷も絶えないし、「無限ハプニングを起こす呪い」は王国の前例と相性が悪い。それにしても、ルイス様の反応が半年前とは違うような……?)



 医務室へ行くことを提案されたアリシアは、不本意ではあるが頷いた。できれば1人で行きたいところだが、呼び出された以上そうもいかない。いざとなれば、半年前と同じことを言って逃げようと思いながら、アリシアはルイスの隣を歩いた。



 移動中、アリシアはまだ顔を隠している。



「派手に転んで、恥ずかしい」という理由もあるが、顔を隠す理由は、それだけではない。地面と顔が擦れ、出血までしている怪我は、どうしたって注目を浴びる。婚約者という理由で普段から関心を向けられることが多いアリシアは、もう誰の関心も引きたくなかったのだ。



 序列に厳しい伝統のある学院と言われているが、その裏では噂や悪口が階級を超えて飛び交っている。自身の一挙一動に対しても、さらには息をしているだけでも何かしら言われる立場にあることは、ただでさえ不安を抱えているアリシアには、耐えられないことだった。



(ああ、人目のない森の中へ逃げてしまいたい……。孤独でも我慢するから)



 思うことは色々あるが、アリシアは口を噤む。手のひらの隙間から前を見つつ、頭の中では半年前の出来事を思い返していた。






「誰もいないとは……」



 がらんとした医務室の椅子に座るよう、アリシアはルイスに指示された。椅子に座りふと見上げると、目の前に立つルイスはため息を吐いている。



 専属の医務官が不在では、回復魔法による怪我の手当てはルイスが行うことになるだろう。アリシアにはそれが使えないからだ。しかし、ルイスは頭を抱えながら、それを使うことを躊躇う素振りを見せていた。




 暫くその状態が続いた後、


「はぁ……。回復魔法は苦手だが、仕方ない……」


とルイスは顔を顰めながら、呪文を詠唱する。



 魔法は、それを使う者の本質に似ると言われている。受け継がれる魔法遺伝子の型は3種類あり、それぞれ零性遺伝子、中世遺伝子、原性遺伝子に分けられるが、それは大まかな枠組みにしか過ぎない。細かい部分は、その人間の持つ本質が影響する。



 その本質が影響を及ぼした魔法は、時に暴走するのだ。



(ルイス様のお顔、すごく険しいわ。回復魔法を使いたくないのかしら……?)



 負の感情を含んだような表情をしているルイスは、王族が持つ光の煌めきで、半ば強引に回復魔法を詠唱したように見えた。



 結果、アリシアの傷は治ったが、攻撃魔法のような荒々しい回復魔法が発動したせいで、部屋の中は嵐が過ぎ去った後のように物が散乱する。



「すみません、ルイス様のお手を煩わせてしまい……」

「気にするな。将来二人で手を取り合い、国を導いていくんだ。婚約者の面倒を見るのは、当たり前のことだろう」

「……はい」

「あとでもう一度、医務官に診てもらった方がいい。私がやると、この有り様だからな」



 ルイスは淡々と話した。



 そこには、他の生徒たちに見せる温厚で優しいルイスの姿はない。冷たくあしらう感じでもなかったが、どこかぎこちない。



 しかし、考えるだけ時間の無駄だった。今はルイスのことよりも、自身のことを考えなければいけない。襤褸ぼろが出ない内に、いかに上手くこの場から逃げ出すかを考えなければ、ヴィヴィの思惑通りにことが進んでしまうのだ。



「……あの、ルイス様。手当をしてくださり、あ、あり……あっ!」



 お礼を伝え、話をスムーズに進めようと話しかけていると、またハプニングは起きてしまう。棚から幾つかの薬瓶が不自然な動きを見せたかと思うと、それらは一斉に倒れて、棚から落ちた。



「危ない!」



 寸前――アリシアは自分の近くにいたルイスを押し出して、事故に巻き込まないよう遠ざける。



 押し出されたルイスは受け身を取ると、形容しがたい表情を滲ませたが、またすぐ真顔に戻った。それから、薬瓶が床に落下する前に詠唱なしで、素早く風魔法を使う。



 間一髪、薬瓶は床に直撃する手前で、宙に浮いた。魔法が間に合わなければ、アリシアは飛び散った破片でまた怪我をしたかもしれない。



「ルイス様、ありがとうございます。ですが、私には近付かない方が良いかと」

「アリシアはいつも私から離れようとするが、一度だってその理由を話してくれたことはない。だから私は、どういう態度で貴女に接するべきかいつも迷っている」

「いつかきっと話します。ただ、今は言いたくありません」

「そうか。……そういえば、ローズから話を聞いた。貴女がローズに対し、魔法で悪戯をしていると」

「そ、それは、分かりません。そそっかしいので、巻き込んでしまったのかも……。感情が不安定になると、魔法のコントロールができなくなる場合もありますから。今しがた落ちてきた薬瓶のように、周りに影響を及ぼして……」



 アリシアは魔法学の授業で教わったことを良い訳に使った。ドジなアリシアなら、魔法のコントロールができなくても、何ら不思議ではないと思いながら。



「……それなら暫くの間、私と一緒に行動しよう。ローズとアリシアの間で何か問題が起きているのなら、直接、確かめた方が早いからな」



(……え、嘘でしょう? どうしてそうなるのかしら?)



 アリシアはあからさまに困った顔をしたが、ルイスは珍しく譲らなかった。

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