第36話 公女の呪い~図書館に行こう~②

 アリシアはこくんと頷いた。



「一時期、私はヴィヴィの呪いに加えて、ローズからも呪いを受けたわ。だから、複数人から呪われることは、状況的にあり得ると思う……」



 幸の薄そうな笑顔を浮かべてそう言うと、その笑顔があまりに不憫だったのか、グレイには心配そうに見つめられ、レイチェルには「災難だったわね」と同情を寄せられる。



「チッ、あの噂は本当だったのか……。ローズ嬢が禁呪指定の呪いをかけたという噂は……」

「でも、あの噂は割とすぐに消えたわよ。まるでどこかから圧力がかかったみたいに……」



 レイチェルはチラッとルイスを見ると、ルイスはさらりと言う。



「あの噂は、真実だったからな。悪用されることも考え、私が圧力をかけた。……ああ、話が逸れてしまったな。アリシア、話の続きを……」


「はい、ええっと……。1つの呪いを複数人で行う場合、呪いは強力なものとなり、簡単には解けなくなると書いてあります。解呪する方法としては、内側と外側から同時に強力な魔法をかけることですが、この本には具体的な記載がありません。おそらく、魔法学の書物にやり方が書いてあると思います、が……」



 アリシアは目の前にいるルイスを見遣る。ルイスはアリシアの視線に気付くと、



「ああ、確かに魔法学の書物には、内なる魔法と外からの同時魔法で、特殊な効果等を消し去る方法が載っていた。きっとそのことだろう」と付け足した。



 淡々と話すルイスの表情からは、何も読み取れない。アリシアは先ほどルイスが話したことを思い出しながら、そっと目を伏せる。



(……さらりと流されてしまったけれど、ルイス様が噂に圧力をかけたなんて、知らなかったわ)



 目の前にいるルイスは、アリシアの話を付け足したりして、グレイとレイチェルに説明している。



 その声に耳を澄ましていると、アリシアは自分が足を引っ張っているように感じて、申し訳ない気持ちになった。ルイスは表でも裏でも、こうしたフォローをしてくれているのだろう。そのために抱えた秘密は多く、敵対貴族の弱みとならないよう常に気を張っているのだとしたら、その努力は計り知れない。



 考えれば考えるほど、アリシアはルイスに感服し、その一方で、卑屈になりそうな自分を否定した。



「……ルイス様。内なる魔法とは、おそらく私の身体の中にある魔法の源……つまり、魔法遺伝子のことです。その力を解き放ち、かつ外側からも魔法を加えれば、呪いは消滅するかもしれません。そのために、私は苦手な魔法学の特訓をしたいと思います」



 脆弱で、早死にしやすく、将来何も成せないと言われている零性遺伝子持ちのアリシアだったが、少しでも愛する人の負担を減らしたいと思い、そうきっぱりと宣言した。



「アリシア……」



 ルイスはすぐには返事をしなかったが、ただ驚いたような顔をして、アリシアを見つめてくる。



「ル、ルイス様……?」



 アリシアが不思議そうにルイスの顔を見ると、あっけなくルイスに視線をからめ取られてしまった。碧眼から放たれる眼力めぢからが矢のように突き刺さり、逸らせない。



(な、何か仰りたいことでもあるのかしら……?)



 頭から湯気が出そうなほど頭をフル回転させていると、グレイはルイスの肩を気軽にポンッと叩いて、注意を引いてくれた。



「なるほどな……。確かにこの文章を読む限りでは、そういう解釈であっているだろう。アリシアが特訓するなら、俺もその手伝いがしたい。殿下、もちろん許可してくれるだろう?」


「……グレイ、この学院の生徒である間は、名前で呼んでくれ。それとアリシア、くれぐれも無理はしないように」


「良かったな、アリシア。ルイス様は(お前には特に)、お優しい」

「グレイ・ドワース、そんな(当たり前の)ことは一々口にしなくていい」



 アリシアの目の前で、ルイスとグレイが絡み出した。その様子を見て「意外と2人は気が合いそう」だと楽観するアリシアに、隣に座っているレイチェルが優しく声をかけてくる。



「ねぇ、アリシア。その特訓、わたくしにも手伝わせて。趣味のサロンが開かれる日は無理だけれど、それ以外なら大丈夫だから」


「レイチェル、ありがとう」

「いいのよ。むしろ、アリシアのお手伝いができることが嬉しいのだから。それに……」



 レイチェルの視線が一瞬動く。線の細い彼女の笑顔が花のように咲いたが、どこか儚げで消え入りそうだ。しかし、その表情はすぐに切り替わる。



「さて、ルイス様、グレイ。そういうことですので、わたくしたちは先に魔法闘技場に行って、特訓してきますわ。おふたりはゆっくり親睦を深めてから、来てくださいね」


「……分かった」「ああ、約束な。後から絶対行くから、先に帰るなよ」



 溜め息混じりの短い返事をしたのは、ルイス。グレイは念を押すと、ルイスとは対照的に楽しそうな笑みを浮かべて、アリシアとレイチェルに手を振った。レイチェルは丁寧に退出の挨拶をした後、グレイの方を見て「また後で……」と手を振ると、逃げるように行ってしまった。



(……レイチェル?)



 アリシアも続いて挨拶を済ませると、レイチェルの後を追うように退出した。





 闘技場に着くや否やレイチェルは、



「……ルイス様と何かあったのかしら?」と唐突に聞いてきた。

「ルイス様……と……?」



 直後、心臓が飛び跳ねる。レイチェルはあの場面を見ていたのだろう、アリシアはそれに気付いて、包み隠さず答えることにした。



「グレイとレイチェルが私たちに声をかける前、私が泣きそうな顔をしていたことかしら……? レイチェルの想像通りよ。ルイス様のことが好きだと気付いて、泣きたくなってしまったのよ……」



 おかしいでしょう? と言葉を添えると、レイチェルは首を振る。



「そんなことだろうと思った。わたくし、今とても嬉しいわ……。貴女は呪われているけれど、婚約者には恵まれていると再確信したからよ」


「さ、再確信……? 私の家族が妨害しようとしているのに? 私はルイス様の弱点にしかならないわ。王国の前例もあるし、貴族の中には反対する人も当然いるでしょう。好きになっても、どうにもならないこともあると思うと、心が千切れてしまいそうで……」



 アリシアは婚約破棄の可能性があることを強調して不安を吐露したが、レイチェルの表情は変わらなかった。



「そうかしら……? ルイス様はきっと、反対派の人間を黙らせる策を打っているはずよ。わたくしやグレイと同じ匂いがするもの。腹黒くて執念深くて計算高い、そんな同類の匂いがね」


「ルイス様が……いえ、皆が腹黒くて同類……?」 



 そんな風には見えないと最初は首を傾げたアリシアだが、自信満々に答えるレイチェルの言葉は説得力がある。レイチェルの言う通り、腹黒くて執念深くて計算高い3人の姿を想像してみると、意外にしっくりきた。



 思わず、笑みが零れる。



「……レイチェル、ありがとう」



 小声で礼を言うと、レイチェルは風で靡く髪を押さえながら、アリシアに近付いた。



「アリシアに足りないのは、自信ね。恋をすればその自信はさらになくなり、心も脆くなるわ。だから、わたくしは何度でも言う。貴女はルイス様に愛されているって。だから、怖がる必要もなければ、不安になる必要もない。堂々と愛されていていいのよ」


「愛されて……いい……? 私に呪いをかけたのが、妹のヴィヴィと……、血の繋がった両親だとしても?」


「まさか、メロディアス公爵と公爵夫人が? いえ、ヴィヴィのことを甘やかしているくらいだから、あり得るわね」


「ええ……、呪いについて書かれている本を読んで、両親とヴィヴィのことが真っ先に思い浮かんだわ。きっと3人が協力して呪いを生み出したのよ」



 レイチェルは悲しみに染まるアリシアの手を、そっと優しく包み込む。しかし、アリシアの言葉は止まらなかった。 



「……レイチェル、私は思った以上に、怖がりだった。ルイス様の婚約者に選ばれてから、最悪の結末がいつも頭にチラついて、頭から離れないのよ。保身にばかり、走りたくないのに」


「……それを言うなら、私もよ。辛い時に支えてあげられなくて、本当にごめんなさい。けれど、これからは違うわ……。メロディアス家を断罪するために、魔法学を克服して自信を付けましょ、アリシア」


「断罪、するために自信を付ける?」


「ええ。それから、ルイス様とお話をしましょう。貴女が望めば、ルイス様の攻略なんて、刺しゅうよりも簡単なのよ」



 レイチェルの助言は淑女らしくないが、頼もしい。とても美しい所作をするような人が発する言葉ではないが、それがとてもアリシアには嬉しかった。今まで考えていた諸々のことを全部を吹き飛ばされたような気がして、心と頭の靄が晴れてスッキリしたのだ。



「……ありがとう。何だか俄然、やる気が出たわ。今なら、自信を持って断罪計画でも愛の詩でも、作れそうよ。ところで、レイチェル。貴女にも好きな人がいたのね」



 アリシアが満面の笑みを浮かべると、今度はレイチェルが余裕を失ったような顔をする。



「えッ……!? ど……どどどどうしてそれを……!?!?」

「相手はグレイでしょう……?」



 目を丸くしたレイチェルの姿は、紅く染まった月のように綺麗だ。



「ア、アリシアったら……! 自分のことは疎い癖に、それ以外のことは鋭いのね」

「そうかしら? 私たち、離れている時間は長かったけれど、グレイとレイチェルのことは、何となく理解わかるのよ」



 アリシアが得意げにそう言うのは、グレイを見つめるレイチェルの横顔が、本当にキラキラしていたからだ。もちろん、その横顔はいつも見ることができる訳ではない。茶会の時や図書館にいる時の、尻目に見たほんの一瞬にしか見えない、レアな姿だった。



「とにかく、私はレイチェルを応援するわ」

「ありがとう。けれど、アリシア……今は自分のことに集中して。上位貴族の令息令嬢は今、ルイス様と貴女に注目しているわ。毎日のように、わたくしに貴女たちのことを聞きに来るのよ。今日も図書館に行く前に、聞かれたわ」


「何を聞かれたの……?」


「ルイス様と貴女の関係がどこまで進んでいるか、よ。行動や様子についても聞かれたわ。貴女のファンだと言って、それは詳しく聞きたがったわね。私も嬉しくて、つい話し込んでしまったけれど」



(……また、ファン)



 今日だけでその言葉を2回聞いたアリシアは、さすがに胸がむず痒くなった。



 この学園生活において重要なことは、いかに反対勢力に負けない仲間を作るかだ。その仲間は、アリシアの将来を照らす大きな力になる。アリシアはその重要性を理解して社交に力を入れたがったが、数日経たずしてもうファンがいる。



 最初は信じられなかったが、段々とこの事実ことに嬉しさを隠し切れなくなっていた。



「興味を持たれている今がチャンスね。色々な人と話をしてみたいわ。茶会にサロン、勉強会も開きたい。仲間を作り、もう二度と壊されない関係を気付いて、未来を――――」



 掴んでやると言わんばかりに拳を握ると、アリシアの紅玉眼ルビーアイに気力が戻り、微かに光った。

 




『……んじゃあ、そろそろ特訓するか。話も終わったようだしな』



 タイミングよくグレイの声が夕闇に響く。横を向くと、少し離れた所にルイスとグレイがいた。



(い、いつからいたのかしら……。もしかして、話を聞いて……?)



 アリシアとレイチェルの顔色は薄暗くても分かるほどに蒼くなったが、ルイスとグレイはそれ以上何も言わなかった。



 その後、特訓は始まり、アリシアはルイスの言う通りに動く。気まずさゆえに、終始ぎこちない動作になったが、途中途中で起こるハプニングに気を紛らわせながらも、何とかやり遂げた。



 星が瞬く頃まで特訓を頑張れたのは、ルイスのおかげだ。ルイスは笑顔でハプニングに対処し、同じく笑顔で特訓に付き合ってくれた。叱ることは一切なく、ただただ甘く優しい声で、褒め続けたのだ。



 特訓が終わるころには気まずさよりも、恥ずかしさの方が勝っていた。



 そんなアリシアの特訓を見ていたのは、レイチェルとグレイ。特訓に付き合うとは言っていたレイチェルだったが、先ほどのことが影響しているのか、グレイを見る度に動きが止まり、ずっと調子が悪そうだ。



 そしてグレイは、意外にもルイスとアリシアを一歩外で見守るような形で、特訓に付き合った。図書館にいた時のグレイとは、雰囲気がどことなく違っている。濃くなるベールによって変化した金の双眸ひとみを危うげに彷徨わせて、まるでアリシアと一緒に特訓を受けているかのように、ルイスの教えを聞いていた。

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