第14話 素っ気ない公女と推し量る王太子④
しかし、それを楽しむ時間には当然、
給仕係が置いた皿は、ふと目を離した隙にカタカタと動いて、テーブルの端に移動した。放っておけば、いずれは真っ逆さまに落ちて、せっかくの料理を無駄にする可能性があるのだ。しかし、食事中に皿を触るのは、
それ以外にも、
そのようなことを対処しつつルイスの顔色も気にしながら、アリシアは食事をした。最初は美味しいと感じた食事も、それが原因で段々と喉を通らなくなる。
(どうして殿下は、この状況に何も仰らないのかしら……。私を見ようともしない)
沈黙に耐えられなかったアリシアは、そっとナイフとフォークを置き、視線を庭園に向けた。ハプニングに振り回されているのは、給仕係も同じ。それに気付いたアリシアは、それを利用することにしたのだ。
給仕係は音がカチャカチャ鳴る度に、無作法だとでも言わんばかりの表情を添えて、アリシアに視線を向けてきた。しかし、今の彼女はもう気付いている。そう断言できるのは、アリシアの手の動きと音に何の関係もないと知った時の顔が、本当に分かりやすかったからだ。
しかし、アリシアの周りで食具がカタカタ鳴っていることに気付いても、どうしてそんなことが起きているのかまでは、理解できないのだろう。彼女は手で口を押さながら、思わず口に出してしまいそうな諸々の言葉を必死に塞いでいるように見えた。
それでもまだ、バレバレの平然を装い続けているのだから、大したものだ。
しかし、ギリギリ耐えている彼女の糸を断ち切るように、アリシアはわざと何もしなかった。
怪奇現象の恐怖から逃げ出さず、懸命に役目を全うしようとしていた彼女は、置いた皿が勝手に移動し、終いには落ちる決定的な
「ひぃッ、ば、化けモノ――!」
ずっと口を噤んでいた彼女だが、とうとう声を上げて、アリシアへの形容しがたい恐怖を言葉に表した。
(ごめんなさい、貴女の恐怖を利用して……)
庭園へと向けていた視線を給仕係に移したアリシアは、割れた皿や料理よりも、彼女のことを心配する。
耐え切れなかったのは、アリシアも同じだった。給仕係の言動を利用して、この場から逃げようとしたアリシアは、わざと動く皿を放置した。あとは、気分も料理も台なしになったと告げて、早々に立ち去ればいいだけだ。
雰囲気が良かったのは、最初だけ。それ以外は何も言わず、アリシアの方を見ていないルイスのことだ。きっと今のこの状況も静観する、とアリシアは思っていた。
しかし、アリシアの予想は外れた。ルイスは今、射殺すような眼で給仕係を見ている。今までカチャカチャと音が鳴ろうと、一切気にする素振りを見せなかったルイスが、鳥肌が立つほどの殺気を放っているのだ。
その威圧感に、給仕係の唇が小刻みに震え出した。
アリシアの周りで起こる怪奇現象への恐怖。
口汚い発言をしたことを罰せられる恐怖。
慈悲がない顔でルイスから蔑まれる恐怖。
給仕係はきっとその全てに唇を震わせて、顔を青々とさせている。
(ああ、本当にごめんなさい。巻き込んでしまって――)
アリシアは未使用の銀スプーンを手に取ると、さり気なくテーブルの上から落とした。
「あら、ごめんなさい。本当にそそっかしいドジに成長したみたい。化け物並みのテーブルマナーで、給仕係もさぞ驚いたことでしょう。これ以上、恥を晒すことは不本意ですので、私は逃亡します。殿下はもう少しここで、ゆっくりされていってください」
「今のは……! いや、私は気にしてなどいない」
「そうでしょうか。殿下の今のお顔は、とても酷い有り様ですよ。それに、私は気にしています。殿下と一緒にいるということは、自分のはしたない姿を直視し続けるということ。それは、私には耐えがたい苦痛です」
「――――ッ!」
「婚約者として、この際はっきりと申し上げますが、結婚するまでは私のことなど放っておいてください。半年後の学院生活も、私とは距離を置いて生活なさってください」
「…………」
「殿下、どうかお願いです」
「くッ、分かった……。今はその言葉を受け入れよう」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
ルイスは不本意だと言いたげだったが、アリシアに遠慮する形でこの場を収めた。
この結果に満足したアリシアは席を立ち、ルイスに深々とお辞儀をしてから、そのまま庭園を出る。暫くの間は堂々と歩いていたが、室内庭園からぐっと距離が離れると急に力が抜けてしまい、アリシアは壁に寄りかかった。
力が抜けた手で、そっと拳を握る。
(うん、大丈夫)
『無限ハプニングを起こす呪い』のことは、おそらく気付かれていない。立ち去る時、今までの粗相は、そそっかしくてドジなアリシアのせいだと印象付けたからだ。おまけに、自身の無作法で、最悪の朝食だったというメッセージも強く刻み付けた。
ルイスと距離を置くことに成功したと言えるだろう。
これで心置きなく学院生活を将来のために費やせる。呪いのことも、アリシアの落ち度で秘密が洩れることはなさそうだ。心配はたった今、消え去った。
アリシアはこの喜びを身体で表現したかったが、さすがにどっと疲れが出る。倒れそうだった。
(確か、この先に中庭があったはず……)
壁伝いで中庭まで歩いて行くと、少し風に当たることにした。木陰で涼んでいると、紅いドレスと長い髪がふわりと風に踊り、飛んできた葉や花がそれに絡み付く。これもお馴染みのハプニングだが、アリシアは無心で葉や花を取った。
(それにしても、殿下はなぜあのような顔を……?)
目を瞑れば、別れ際に見たルイスの顔がちらつく。2年間もほったらかしにした人間とは思えないほど、ルイスの顔には色々な感情が表れていた。
一緒に食事をする前は感情を上手く隠していたのか、表情が読みづらい部分もあった。しかし、退席する前に見たルイスの表情は、まるで違う。色々な感情を含み過ぎて、形が崩れてしまったことが顔中に刻まれているような顔だった。その顔がアリシアの胸をチクチクと刺す。
それだけではなかった。まるでアリシアの事情を知っているかのような言動も、ルイスには多々あったのだ。
考えれば考えるほどルイスのことが分からなくなるが、それは「熟考の悪魔」の思う壺かもしれないと、アリシアはふと思う。自由奔放に振る舞っても、ルイスからは侮蔑の眼差しを向けられなかったのだ。その上、アリシアは布石を打つことに成功したのだから、今は素直に結果を喜ぶべきだろう。
悪魔の誘いに乗って熟考する必要などなく、むしろ何も考えない方が幸運な結果をもたらすと、アリシアは無理やり納得した。
すっきりしたところで、アリシアは再び歩き出す。中庭通路を通り、城門の玄関口へと向った。そこは、セバスディと別れた場所でもある。先客がいた。
「アリシア様、お待ちしておりました。ルイス様とはお会いできたようですね?」
「ええ……」
「こちらの手続きは滞りなく、全て終わりました。残るは、アリシア様の治療だけですね」
「手続きの件、本当に感謝します。が、治療とは何のことでしょう……?」
平然と
「…………」
手の皮が剥けたことや足が靴擦れしたことは、セバスディは知らないはずだ。しかし、アリシアはセバスディにその疑問をぶつけることはしなかった。底をつきかけている余力を使い、その疑問を口にしても、セバスディは持ち前の飄々さで誤魔化すだろうと思ったからだ。
その代わりに、アリシアは微笑を送る。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「いえいえ、ルイス様の婚約者に何かあっては一大事ですから。あと、これは私のお節介ですが、学院の先生方には貴女の事情を全てお話済みです。これで少しは、学院生活が楽しめると思いますよ」
セバスディはそう言って笑ったが、同時にアリシアの微笑は凍り付いてしまい、最大限まで警戒を高めることになった。
セバスディのことなど知りもしないアリシアだが、凡眼ではない。
見立てで物を言うならば、セバスディの悪い所は、ルイスよりも達観しているということだ。物事を見通す目を持ちながらも、それを易々と教えることはしない。教え導き、時には試練を与えるような助言や行動も、その掴み処のない性格と胡散臭さのせいで全て怪しく見えてしまうが、それこそがセバスディ・アルベルトなのだろう。さすが、王太子付きの指南役に選ばれた器の持ち主だけある。
紅玉眼を鋭くさせて、思わずアリシアは訊ねた。
「セバスディ、それはどういう意味ですか?」
「ふふ、答えは半年後のお楽しみに取っておきましょう。ちなみに、ルイス様はこの事情を知りません。ご安心ください」
「セバスディ、貴方は一体何を……」
ふと見上げた視線の先で、セバスディと目が合ったアリシアは、得体の知れない恐怖でぞくりと背中に悪寒が走る。
(もしかしたら、一番敵に回したくない人物は、殿下よりもセバスディかもしれない……)
黙ってしまったアリシアを見て、セバスディは目を細めて満面の笑みを浮かべていた。
「……さて、世間話は終わりにして、そろそろ帰りましょうか。メロディアス領の山岳地にある城館、
「……はい」
か細い返事を返すと、セバスディの転移魔法で一瞬にして帰城した。
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