第15話 振り返る王太子と腹心の指南役①
「まだ食事中でしたか?」
セバスディは興奮を隠しきれない様子で、ルイスに尋ねた。すると、ルイスはムッとした表情を浮かべて、侮蔑の視線を送る。セバスディの質問が、「食事中かどうか」を問う単純な質問ではないと判断したからだ。
「……食後の茶を飲んでいただけだ。アリシアの見送りは済んだのか?」
「はい、滞りなく。私は今日一日で、これ以上ない働きをしましたが、ルイス様はどうですか?」
「別に……普通だ」
「それにしては、ずいぶんゆっくりしているように思います。さしずめ、アリシア様に素っ気なくされて、いじけていたのですか?」
「……そうだと言ったら、お前は喜ぶのだろうな」
「はい、もちろん♡」
このようなのやり取りは、いつものことだ。
探り合いを繰り返すことで、ルイスは会話のスキルをセバスディから学んできた。ここまで成長できたのは、優秀な指南役、セバスディのおかげ。一時期は鬱陶しく思っていた存在も、今では数少ない腹心の一人だ。
「あれから2年、寝る間も惜しんで努力した結果、私は王となる器を完成させた。あとは2年間、ファウスト王立学院で学び、成人を迎えれば条件は満たす。だが、アリシアの問題には、手が届きそうで届かない」
「確かに、アリシア様の問題は厄介です。私が持っている情報全てを教えてあげられるといいのですが」
「その気もないのに言うな、セバスディ。それに、今時点においてそのやり方は、悪手だ。一番いい方法は、アリシア自身が私に話してくれることだが、私たちはまだその段階どころかスタートラインにも立っていない」
「では、半年後の学院生活で距離が縮められるといいですね」
セバスディはそう気軽に言うが、ルイスには余裕がなかった。出会いから今日までの2年の間、アリシアに何があったのか。その空白を今からでも埋められるものなのか。現実的にそれを考えた時、ルイスの心から恐怖という怪物が顔をのぞかせるのだ。
(諦めることはしたくないが、アリシアに冷たい態度を取られ続けるのは、寂しいものだな)
ルイスはティーカップに口を付けて、最後の一口を飲み干すと、「だが、どんな過程にも楽しみはある」と自身を鼓舞した。
朝食を終えると、ルイスは会議を開くためにセバスディを伴って執務室へと移動する。それぞれ向き合う形でソファに座ると、互いに顔を見合わせてニヤッと笑った。
「私、こういうの好きなんですよ。童心に返るといいますか……。名前も良い響きです。『アリシア様、救出作戦』という極秘の打ち合わせは、本当にそそられます」
「……セバスディ、誰がそんな子供っぽい名前を付けろと言った?」
「お言葉ですが、ルイス様。貴方も計画を立てていましたよね? 確か『アリシアの幸せ計画』という可愛らしい計画書を作って。いやぁ、ルイス様は
「お、おま……! 何で知っている? それは2年前のことだ。忘れろ」
「ふふ、ルイス様も私も目的は同じですから、こうして時間を作って作戦会議をしています。これは難題ですので。大体、そのために2年も努力したのでしょう? 純粋な気持ちを持ち続けられることは、とても立派です。私としても嬉しいですよ」
「ぬかせ……」
「まぁ、そろそろ本題に入りましょうか」
冗談を言い終えると、ルイスは急に真顔になり、姿勢を正した。今日起きた出来事の中で、気付いたことや不自然で引っかかることを順番に話していく。
「まず一つ目だが、アリシアは『
「なるほど、
「まぁ、そうだろうな」
「それにしても、ルイス様を遠い存在と表現しましたか。気持ちまで離れていないといいですね」
「2年も会っていなかったら、そう嫌味も言いたくなるかもしれないな」
ルイスの碧い瞳に暗い影が落ちた。セバスディは「2年なんてあっという間に、取り戻せますよ」と簡単に言ってのけたが、気休めにもならない。黙り込んでしまうルイスを尻目に、「意外と繊細ですね」と追い打ちをかけてくるセバスディだが、ギロリと一睨みすると指南役らしい顔付きに戻り、襟を正した。
「失礼しました。ですが、手紙は送りましたよね? 2年間、会ってはいませんが、私が代筆した手紙は公爵に渡っているはずです。その手紙だけでは、アリシア様は納得されなかったのでしょうかねぇ」
「――手紙!? そう言えば、アリシアは私から返事がないと言っていた」
それを聞いたセバスディは、磨かれたように美しい翡翠色の眼を大きく見開いた。口角を上げ、白磁のような肌を紅潮させ、高揚感をペロリと食べてしまったような顔をしている。セバスディは昔からこういう話が大好きなのだ。
「……セバスディ、その下品な顔を引っ込めろ」
「申し訳ありません、ルイス様。しかし、私は確かに公爵様にお渡ししましたよ」
「そうか。それなら、公爵が彼女に渡さなかったのだな。憶測だが、アリシアは家族から虐げられているかもしれない」
「どうしてそう思うのですか?」
「手紙のこともそうだが、アリシアは足のサイズに合わない靴を履いていた。洋服は公女らしい服だったが、靴だけは違った。自分の足を傷付けてまで履いていたな」
「お気に入りの靴だった可能性は?」
セバスディの言葉に、ルイスは顔を顰めて反応した。
「だが、新しい靴を履いた時の彼女は、嬉しそうだった。微かだが、目尻を和らげて笑っていた」
「本当に? そう思いたいだけでなく?」
「…………」
そう言われると、ルイスは途端に自信がなくなった。
人間とは、見たいように見てしまう生き物で、都合のいい部分だけを見て、それ以外は切り落としてしまう自分勝手な存在である。目の前の男からそう学んだ時、ルイスは確かにその通りだと思った。
まさしく今、アリシアを自身の望む通りの姿に見ているのではないか。そんな疑問が頭を掠めると、記憶の中のアリシアから笑顔が消えていく。
ルイスは頭を抱えて溜め息を吐いたが、時間をかけて持ち直した後、前髪をかき上げて表情を整えた。セバスディは、そのルイスの姿に「60点」と厳しい点数を付ける。「これでは、ルイス様の弱点がアリシア様だとすぐに分かってしまいますよ」と、動揺を見せたルイスを窘めた。
「分かっている……」
髪色よりやや薄色の長い睫毛が、ルイスの目元に影を落とす。黙ってしまったルイスの代わりに、セバスディが言葉を紡いだ。
「……少し意地悪が過ぎましたね。ルイス様、私からもよろしいですか?」
ルイスが首を縦に振ると、セバスディは自身の見解を述べた。
「アリシア様は、上位貴族の間では病弱・短命と噂される深窓の公女様です。彼らが主催の夜会や茶会には、それを理由に全く顔を出していません。しかし、おかしいですね。王城・王宮で開かれる社交会や会合では、そのような噂は聞いたことがない。それに、彼女は2年前、
「……貴族の集まりには病弱・短命を理由に断り、国王の呼び出しには応じる……か。アリシアは、王城や王宮主催の会には、出席していたか?」
「いいえ、いつも都合よく風邪を引いておられるので、欠席しています」
「病弱・短命だから、風邪も引きやすい……。いや、違うな。病弱・短命なら、何日もかかけて馬車に乗り、王城へ行ったりはしない」
セバスディは静かに頷いた。
「そうです。アリシア様は、病弱・短命ではありません」
「待て、どういうことだ……!? 2年前、確かにアリシアは自身を病弱・短命だと言っていたが……」
「刷り込み教育、あるいは洗脳で、彼女の考える力を奪っているのでしょう。虐げられている可能性があります」
「なるほど……。段々、見えてきたな」
「はい。メロディアス公爵家には、アリシア様を病弱・短命にしておきたい理由があります。彼女を社交場へ行かせなかったのも、そのためでしょう。しかし、それを表立ってやると、王家から調査が入る可能性がありますので」
「公爵家の娘なら、必ず婚約者候補に選ばれるからな。噂があれば、調査対象に上がる。上位貴族には、緘口令を敷いて噂を操ったか」
「そうですね、その辺りはまだ何かありそうな気がしますが……。王城・王宮主催の会で、彼女の噂を聞かなかったということは、そういうことでしょうね」
ルイスは目を閉じて、心の中で考察した。瞼の裏には、アリシアの泣き姿が焼き付いている。2年経った今でも、その小さな彼女は笑わない。紅い瞳に涙を浮かべて、じっとルイスを見上げているのだ。手を伸ばしても、彼女はすり抜けて遠くへ行ってしまう。
すぐに助けてあげられない己の非力さを痛感しながら、ルイスは2年もの日々を過ごしてきた。しかし、もう耐えなくていい。やっと今、彼女を助ける糸口を掴んだのだ。
「虐げられている可能性が高くなったな」
「はい、公爵家は黒でしょう。嘘を吐いています」
「それなら――」
「いえ、残念ながら、それだけの情報ではまだ足らないのです」
セバスディの助けもあり、考察はずいぶん捗ったはずだった。指南役という立場で発言した言葉の端々に、確信めいたものを感じていたルイスだが、その情報だけでは公爵家を揺さ振るにはまだ早いと、目の前に座る男の眼は訴えている。
相手は公爵家。しかも、原性遺伝子を特別視し、第二王子を支持している代表家だ。懐柔するつもりで生易しく接すれば、いつの間にか取り込まれて、気付けば身を滅ぼす一歩手前、なんて可能性もある。
今まで習った上位貴族の情報を踏まえると、結論は出せなかった。ルイスはこの問題をひとまず置いておくことにして、次の話題へと移る。
「……では次だ。内容はアリシアの様子についてだが、彼女曰く、2年も経てば退化するそうだ。そそっかしくドジになったと本人は言い張るが、どういう意味だろうか?」
「……たとえば、どのようにですか?」
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