第16話 振り返る王太子と腹心の指南役②
ルイスは天井を仰ぎ見て、時間稼ぎをした。
今日一日だけで色々な出来事が起きたが、それがアリシアの性格によるものなのかは、線引きが難しいところだった。そもそもルイスは、その出来事がアリシアの「そそっかしくて、ドジ」な性格から生じているものだと認めていない。いや、認めたくなかった。
ルイスの理想像に反するという低俗な理由ではない。たとえアリシアが「そそっかしくて、ドジ」でも、可愛いとは思っているのだ。問題は、本人の希望とは全く逆に、退化することなどあり得るのだろうか、ということ。
その問題を紐解かない限り、アリシアの個性を決め付けるのは、時期尚早だと思っていた。
「まず、アリシアは私の目の前で転び、その時に靴のヒール部分が折れた。それらは偶然だと思いたいが、彼女の真上にあるシャンデリアまでもが落ちてきた」
「……ふふ、奇跡的な偶然ですね。備品点検を怠るなと、通達しておきましょう」
「ああ、頼む。絵画や花瓶も、アリシアが近付くだけで落ちた。当たったのかもしれないが、それらは本来、簡単には落ちない代物だ」
「ええ、そうですね。転んだことは彼女の不注意だとしても、それ以外はこちらにも非があるかもしれません。要は調度品の管理不足です」
「……セバスディ、真面目に答えろ。本当にそう思うか?」
「さぁ、それはどうでしょう。答えは、半年後にお確かめください」
セバスディはやはりセバスディだった。『アリシア様、救出作戦』という極秘の打ち合わせと銘打ちながら、立場はあくまで指南役。知っていることでも、それを親切に教える気はない、とセバスディの口許は言っていた。
ルイスはふっと息を吐き出すように笑う。
「ああ、お前の言いたいことは、分かっている。婚約者のことを一人で解決できなくては、誰からも信頼されないと言うのだろう? 貴族や平民の忠誠心は薄れ、いずれは寂しい王になってしまうと」
「そうですね。教えたくても、それはルイス様のためにはなりません。私にできることは、情報の整理に付き合うことと、手助けをすることです」
「ああ、分かっている。ところで、セバスディ。アリシアの件、お前はどこまで核心に近付いている? 本当は全部知っていて、知らぬ振りでもしているのではないか?」
ルイスの両眼が炯々と光り輝くと、セバスディの口から、「く、くく……ッ」と笑いが零れた。隠す気はないようだ。すぐに大声で、腹を抱えて笑い出す。腹の底から飛び出す狂気染みた笑いと、ねっとりとした感情を帯びた視線が、ルイスに向けられた。
「ふ、ふふ……ぁはははぁッ、素晴らしい慧眼をお持ちですね。さすがです」
「……褒められているとは思えないがな」
「いえいえ、ルイス様があまりに面白いことを仰るので、つい笑いが。それより、アリシア様との食事について伺っても?」
セバスディはさらっと話を流すと、今日の出来事の中で最も重要な話を聞きたがった。ルイスは小さく頷くと、再び表情を引き締めて、凛々しい雰囲気を漂わせる。
「ああ、それは……」
ルイスはその少し前の出来事――アリシアに新しい靴を用意するため、彼女と別れて靴を取りに行ったところから、朗々と話し始めた。
王城には色々な会が開かれるため、衣裳予備部屋には頭から爪先までの予備の洋服や装飾品一式が揃っている。サイズや種類も豊富にあった。通りがかった使用人に、その部屋にある靴を持ってきてもらうことにしたルイスは、使用人を待っている間、セバスディに会う。互いに情報を交換し終えると、ルイスは使用人から靴を受け取り、アリシアと合流して室内庭園に足を運んだ。
2人はそこで食事をして、アリシアだけが途中で退席する訳だが、ルイスはその詳細まで丁寧に説明した。
「――という訳だ」
一通り話し終えたルイスは、セバスディの反応を待ったが、珍しくセバスディは考え込んでいる。暫くの間、沈黙が流れた。
「……それで、給仕係はどうなりましたか?」
「減給処分して担当を変更させた。別の給仕係に仕事を引き継いでもらい、彼女には、今後一切今日のことを口にするなと伝えた」
「だいぶアリシア様の意図を汲みましたね」
「仕方ない、彼女は給仕係を庇っていたようだったからな。だが、アリシアを化けモノだと罵ったことは、許しがたい」
「そうですか。では、怪奇現象の原因は、どう考えていますか?」
「食事中、それについてずっと考えていた。もしかしてアリシアは、魔力のコントロールができていないのではないか、とな。もしそうであるなら、そそっかしくなったことも、説明が付く」
「確かにそうした場合、自分にも周りにも影響を及ぼしますね。では、これも含めて半年後にお確かめください」
「ああ……」
「ところで、ルイス様。貴方は、アリシア様との再会から、食事をして彼女が退出するまでの間に、致命的なミスを2つ犯しましたね?」
セバスディはローテーブルの上に置いてある呼び鈴を鳴らすと、ルイスに向けて笑顔を作った。その威圧的な笑顔に、ルイスは怯むことなく淡々と返す。
「私も時間が巻き戻るなら、その愚かな行動を悔い改めたいくらいだ。だからそう責めるな、セバスディ」
「いえ、責めてはいませんよ。王になる以上、人間が持つ未熟さを克服しろとは言いましたが、そういう人間的な部分も、時にはエッセンスとして必要ですからね」
慰めにもならないセバスディの言葉は、ルイスの耳から抜けていく。
ルイスが今となって気にしていることは、アリシアと一緒に食事をしたあの場面のことだ。その時のルイスは、アリシアの言動や彼女を取り巻く環境、怪奇現象のことについて、必死に頭を働かせていた。彼女の方を見向きもしなかったのは、それが原因だ。
しかし、それだけではない。「顔を合わせて話すことを、彼女は望んでいない」と勘違いして、遠慮したのもある。ルイスのそうした気持ちや行動が全部、裏目に出てしまい、アリシアを追いつめた。
悲劇はそうした積み重ねで起こる。
最後の最後で、
『それに、私は気にしています。殿下と一緒にいるということは、自分のはしたない姿を直視し続けるということ。それは、私には耐えがたい苦痛です』
とアリシアに言わせてしまったことは、ルイスにとって衝撃的なことだった。他にも、
『婚約者として、この際はっきりと申し上げますが、結婚するまでは私のことなど放っておいてください。半年後の学院生活も、私とは距離を置いて生活なさってください。どうか、お願いです……』
と、念を押されたことも、ルイスにとっては青天の霹靂。予想をはるかに超える最悪の結末だった。
懇願するアリシアに対して、ルイスは「それでも、まだ挽回はできる」と思っていたが、意志の強さと儚さが入り混じった
武器を持たない者に気圧されたのは、初めてだった。
しかし、今思い返せば、アリシアの行動は全部説明が付くものばかり。ルイスはアリシアに対して慮るばかりで、気持ちを伝える努力を怠った。だから、彼女はそういう行動を選択したのだと――。
『……分かった、今はその言葉を受け入れよう』
ズルい言い方をしてその場はことを収めたが、その時もう一つ、ルイスは過ちを犯していた。退席するアリシアに対して、声をかけることは愚か、何もせずに送り出したのだ。
王国の前例を忘れて。
「いや、違うな。彼女の怪我に気付いた時点で、手当をしていれば良かった。遠慮しないで、見栄を張らないで……」
ボソッと小さな声で呟く。
「ふふ、私が指摘するまでもありませんね。では、ティータイムにしましょう。丁度ほら、ティーセットと茶菓子が届きましたよ」
セバスディがそう言うと、タイミングよく扉が叩かれた。「失礼します」と使用人が入室し、準備に取りかかる。紅茶の中に入っている果実のいい香りが部屋にふわっと漂うと、セバスディはその香りを思い切り吸い込んだ。
「いい香りですね」
「ああ……」
爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
使用人は手際よくティーカップに茶を注ぎ、2人の目の前に置く。ソファーの背もたれに寄りかかり、香りを楽しんでいたルイスは、紅茶が目の前に置かれても、瞼を閉じていた。
切り替えはできている。
ルイスはもう、半年後の学院生活を見据えていた。抜かりない計画と凄まじい覚悟をその胸に抱いだいている。
それからふと目を開けると、ティーカップを手に取った。
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