第13話 素っ気ない公女と推し量る王太子③

「――――絶対零度アブソルートゼロ



 天井に手のひらを向けたルイスは、落ち着いた声で魔法を唱える。手のひらから出た冷気がシャンデリアに放たれて、それは瞬く間に凍った。


「落ちて……こない?」

「ああ、もうこれはシャンデリアではなく、細氷だ」


 シャンデリアはその豪奢な姿を留めておくことができずに、微細な氷の結晶となって、大気中をゆっくり降下した。空気がキラキラと輝いている。


「綺麗……。殿下は氷の魔法が使えるのですね」

「ああ、他にも色々使えるが、一番美しいのは、氷の魔法かもしれないな」

「はい」


 ルイスはゆっくりと立ち上がると、アリシアの方へ手を差し伸べた。アリシアは一度は躊躇ったが、その手を取る。力強くも、優しい腕に引き上げられた。


「本当にありがとうございます」

「靴が折れてしまったな。靴を用意しよう」

「え? いえ、でも……。殿下のお手を煩わせる訳には……」

「……私は構わない」

「それに、靴を取り寄せるにしても、時間がかかります」

「それなら、心配は無用だ。アリシア、貴女はここで待っていてくれ」


 ルイスはそう言うと、アリシアの履いていた靴を持って、どこかへ行ってしまった。


 逃げるタイミングを完全に見失ったアリシアは、また項垂れる。しかし、靴がなければ逃げられないのも事実だった。この場はルイスの好意を受け取ることにしたアリシアは、次のハプニングに備え、身体と心を休めるために壁に寄りかかる。



(靴を受け取りお礼を伝えたら、殿下にハッキリと申し上げなくては……)



 アリシアはもぞもぞと足を動かして、その指先の冷えを誤魔化した。手と足に付いた傷が今頃になってチリチリ痛んでくる。目を閉じて大人しくしていても、身体からだはちっとも休まらなかった。元々、断続的に起こるハプニングで、寝不足だったのもある。ルイスとの再会も、事情を抱えるアリシアには悩みの種で、疲労を重ねる一方だ。


 心労も絶えない。


 それなのに、こんな時でもアリシアのお腹はぐぅと鳴る。朝食を食べていなかったことを思い出し、散々な一日だと笑った。しかし、本音を言えば、悪くはない一日だとも思い始めていたのだ。




「……何か面白いことでもあったのか?」


 アリシアは目を開けると、紅い眼を瞬かせた。体感的には、まだ10分も経っていない。どんな魔法を使い、時間を短縮したのだろうと思いながら、ルイスの方を向いた。


「いいえ? 散々な一日だと笑い飛ばしていただけです」

「そうか。これを見ても散々な一日だと思うか?」

「え?」


 ルイスは氷結魔法で椅子の氷像を作ると、アリシアをそこに座らせた。アリシアはその椅子におそるおそる座ると、冷たく感じない氷の椅子を不思議に思った。首を傾げるアリシアの反応を見ても、ルイスは何も言わずに、用意した靴を彼女の足に履かせる。氷のように透き通った靴には、色とりどりの花が閉じ込められていた。


 アリシアの足元は、ぐっと華ぐ。


「殿下のご厚意に感謝いたしますが、私には少しもったいない気もします」

「貴女によく似合っている」

「……あ、ありがとうございます」

「さて、これでゆっくり話ができるな」

「……え?」

「貴女の用事は、全て終わった。セバスディは書類の手続きを済ませたそうだ。入学金の話も、公爵には伝わっている。念を押しておいたから、すぐにでも金を振り込むだろう」


 絶句するアリシアの横で、ルイスは悠然とした態度で答える。悩みは一つ減ったアリシアだが、その顔は晴れてはいない。むしろ、もう断る口実がないことに焦っていた。


 色々とアリシアに対して配慮してくれているルイスだが、ある一点については、アリシアを気遣う様子が見られない。後日、予定を立てて話し合う日を設ける、という考えはなく、是が非でも今、話がしたいという気持ちが伝わってくる。


「アリシア、一緒に来て欲しい場所がある」


 差し出されたルイスの手を反射的に取ると、アリシアは椅子から立ち上がった。腹を括るしかない。時機を見て逃げ出そうと、アリシアは思い切り息を吸った。


 気付けば、繋がれていた手は形よく納まっている。つまり、アリシアはルイスにエスコートされているのだ。しかも、社交経験がないアリシアに微塵も気を揉ませることなく、さり気なく自然な形へとその手を導いている。アリシアの歩調に合わせて、ルイスは颯爽と隣を歩いていた。



(ああ、神様――)



 ルイスの表情は、相変わらず読みにくい。キリッとした表情は、たまに和らぐこともあるが、大抵は固く口を結んでいる。しかし、アリシアが躓きそうになると、先ほど披露した俊敏さでアリシアを支え、手助けをしてくれた。しかも、ルイスはそんなことが度重なっても、不機嫌になることはなく、行動で優しさを示し続ける。



(ああ、神様――)



 どこまでエスコートされるのか。目的地も分からないまま歩いているアリシアだが、その間もハプニングは起きた。


 清掃係の使用人が置いたと思われるバケツは、通りかかった近衛兵によりひっくり返され、アリシアだけに汚水がかかりそうになった。また、行く先々で花瓶や絵画が落ちたのは、決まってアリシアが傍を通った時だ。その全てにルイスは対処してを最小限に収めたが、アリシアは後ろめたさと申し訳なさでいっぱいになった。


「私の……せいです。そそっかしくて、いつもドジばかり」

「花瓶が割れたのも、絵画が落ちたのも、アリシアのせいではないだろう。自分をそう卑下するな」

「お言葉ですが、2年も経てば、人は成長したり退化したりするのです。私たちのように」


 アリシアはわざと煽るような言い方をしたが、


「……ああ、この場所だ」


 ルイスにそう言われて、その話は終わってしまった。


 案内された場所は、王城内にある室内庭園。


 そこには、鬱々とした気持ちを和ませるような花々が咲き誇っている。中には珍しい植物もあり、年中花を楽しめる工夫がしてあった。耳を澄ませば、心地い水の音と囀りが聞こえてくる。


 その庭園の中央には大きなテーブルがあり、2人分の席とカトラリーが用意されていた。ルイスとアリシアはその席に座ると、控えていた給仕係の女性が料理と飲み物を運んでくる。


「あの、まさかとは思いますが……」

「朝食に付き合ってくれるか?」

「……はい?」

「腹が空いては、公務どころではないからな。貴女も朝食を摂っていないのだろう?」


 そう言うと、ルイスは出された料理を黙々と食べ始めた。


 ルイスの言葉の端々に引っかかりを覚えていたアリシアも、最初は警戒していたが、置かれた料理を目の前にすると食指が動いて、最終的にはフォークを持つ。向かい側に座るルイスと同じように、アリシアも食べ始めた。


「……美味しい」

「そうか、良かった」


 会話はそれだけだったが、2人は最高の景色と自然の音を楽しみながら、美食を堪能した。

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