第50話 1年を締めくくる王立学院の舞踏会④

 紅薔薇寮の自室に入るまで、アリシアは気丈に振る舞った。



 気を抜けば、「1年を締めくくる特別な舞踏会」という言葉に踊らされてしまいそうになるのだ。一期生の最後くらい作戦はお休みにして、自由に振る舞いたいと欲が出そうになってしまう。その上、ルイスからドレスをプレゼントすると聞かされれば、余計に気持ちはぐらついてしまった。



 アリシアは、ルイスが贈ると言っていたドレスの色が気になって仕方がない。



(青色? 水色? 緑色?)



 考えながら部屋に入り呼び鈴を鳴らすと、隣部屋で寝泊まりしているシャシャがすぐにやって来た。



「……舞踏会の準備をしましょうか?」


「ええ、お願い」



 自前のドレスは深紅のドレスに銀色の大きい装飾品ビジューが付いている古いものだ。社交界に出たことがないアリシアは当然一回も袖を通したことがなく、思い入れの全くないドレスだった。おそらくリーサのドレスをリメイクしたもの。



 しかも、色合いは普段着と変わらない。零性の象徴であるアリシアの容姿と同じ色で、皮肉たっぷりの色だ。こういう嫌がらせはリーサの差し金だろう。



「アリシア様、髪飾りはどれにしましょう?」


「どれでもいいわ。シャシャが選んで」


「かしこまりました」



 その時だった。扉がトントンと上品に叩かれる音を聞いたシャシャは、すぐに扉を開けに行く。すると、たくさんの荷物を抱えた使用人たちが「失礼します」と言って、部屋にその荷物を綺麗に並べ出した。



「これは?」


「ルイス様からのプレゼントです」



 それだけ答えると、使用人たちは引き返していく。



「す、すごいわ。こんなに……?」


「まぁ」



 思っていた以上の量と質に、アリシアもシャシャも感嘆の溜め息が出た。



 アリシアはさっそくドレスの色を確認する。



「なんて素敵な色……」



 真新しいドレスは光り輝いていて、まるでゴールドベージュの海のようだった。波打つようなデザインの中に散りばめられた宝石の一つ一つが、控えめに華を添えている。



「紅でも銀でもない……。私にはもったいないくらい上品な色だわ」


「いいえ、そんなことはありません。アリシア様にお似合いです。ルイス様がアリシア様のためにお選びになった特別なドレスですから」


「ふふ、嬉しい……。でも、今夜着るのは自前のドレスにするわね」


「アリシア様……」



 ゴールドベージュの色を眼に焼き付けたアリシアは、そっと瞼を閉じる。シャシャが髪を結っている間も、ドレスを着せて飾り立てている間も、アリシアは身動き一つせずにゴールドベージュの海を漂っていた。



 だが、手放しで喜ぶことはできない。袖を通せない悲しみを胸の奥に押し込み、悶々とする心に蓋をすることしかできなかった。



 そうして長い沈黙に包まれながら、夜の準備は着々と進んでいく。途中途中で休憩を挟んで時間をかけながらも、やがて舞踏会の準備は完了した。



 ずっと沈黙し続けていたシャシャは、最後の最後で言葉を発する。



「アリシア様、今夜は隣で控えていますから、気軽に私を呼んでくださいね」と。



 話し相手が必要なら呼んでほしい、ということだろう。シャシャなりに気を遣ってくれたのだと思い、アリシアは「ありがとう」と言葉を添えて、部屋を出た。





 この1年を締めくくる舞踏会は、華やかでもっとも想い出に残る行事だ。



 令嬢たちは化粧を施してドレスで着飾り、礼節をわきまえつつもこの学院という鳥籠の中で行われる特別な舞踏会で、禁断の恋にその身を焦がす。また令息たちは家柄や立場を暫し忘れて今夜限りの自由を謳歌し、放蕩に耽る旅人のように過ごすのだ。



 アリシアは一人、少し遅れて会場入りした。エスコートする者を付けずに歩く姿はすぐに陰口の対象となり、賑やかだった会場は波が引くように冷たい空気になった。



 アリシアの孤独は周囲の視線でさらに浮き彫りになる。



(うん、皆も舞台役者になれそうなほど、演技が上手くなったわね……)



 アリシアはふふっと笑った。



 投げ付けられる冷たい視線の中にも、皆の優しさが感じられるのだ。本気で演じてくれていることこそが、その証明だろう。アンナの尖った眼にもカイルのがっかりした顔にも、ファンだと言って慕ってくれるあの子たちの悪口にも、優しさが溢れている。



 アリシアはマリアの位置を確認すると、ルイスに近付いた。



「一曲、踊っていただけますか?」


「いいだろう」



 注目を浴びる中、仮面婚約者と噂に名高いルイスとアリシアのダンスが始まる。曲はワルツだ。



 アリシアにとって生まれて初めてのダンスは最初から最後まで重々しい雰囲気で、ルイスとアリシア以外、誰も踊らない異様な事態となった。



 それでも最後まで丁寧に踊ると、曲は止まりダンスは終わる。アリシアはお辞儀をすると、くるりと身をひるがえしてそのまま退場した。



(ここまで演じ切れば打算的なマリアのこと、気になることがあってもきっと報告しないわ。定期的に送っているメロディアス家への報告書にも、特筆すべきことはないと書くでしょう。あとは3日後を待てば……)



 口元が笑いそうになるのを堪えながら、アリシアは寮へと急ぐ。その途中、背後に何者かの気配を感じたアリシアは何度か振り返るが、そこには誰もいなかった。



「……ま、いいわ」 


 アリシアは先を急ぐ。





 部屋に戻ると、アリシアはすぐにシャシャを呼んだ。



「着替えをお願いできるかしら」


「はい、もちろん」



 アリシアの帰りが早くても、シャシャは悟っているようで何も聞かない。それが嬉しくて、アリシアはついうっかり舞踏会の様子や作戦のこと、果ては本心や願望まで話してしまった。聞き上手のシャシャは相づちを打ちながらも、ドレスを脱がせて服を着せてくれる。



「……こういうの、本音と建前って言うのかしら……って、ええっ!?」



 舞踏会や作戦の話を意気揚々と語ったまではよかったが、段々と本心や願望を話していく内に俯き加減になり、アリシアは大鏡を見ていなかった。ふと顔を上げた拍子に見えた第三者が「自分」であることに気付くまで、数秒はかかってしまう。



「シャシャ、私は部屋着を着せてもらおうと思って呼んだのよ……?」


「あら、私言いましたよ? 『アリシア様、今夜は隣で控えていますから、気軽に私を呼んでくださいね』と」


「それは、部屋着に着替えるのを手伝うため、それから話し相手になるために呼んで、という意味だと思っていたけれど!?」


「まさか……。私の仕事は、アリシア様を陰で支えることです。先ほどアリシア様の本心や願望を聞いていましたから、ルイス様から贈られたドレスが着たいということは分かっていました。貴族の建前と本音、厄介ですね……ぶち壊しましょう」



 シャシャがここまで意見を貫くのは珍しいと思う。今までアリシアの身の回りを支えてくれたシャシャは、賢くて物静かな女性だった。



 しかし、今の彼女は黒幕みたいな存在感がある。



 今日の大一番を終えたアリシアは、まだまだ今日を終われないと現実を受け入れた。



「それでは、ごゆっくり」


「……ははっ」



 アリシアをゴージャスに仕上げたシャシャは、意味深な笑顔で帰って行った。



(……このドレスを着れたのは、確かに嬉しい。嬉しいけれど、見せる相手がいないわ。ルイス様はきっと最後まで会場にいると思うし、私も外には出かけられない……」



 手持ち無沙汰――――。つまり、暇だ。

 


 窓の外を眺めながら、仕方なくアリシアはぼんやりと3日後のことやこの将来さきのことを考える。すると、指先が微かに震え出した。



「あ……れ……? 変なの、指だけじゃなく目の奥もじんじんする……」



 心は保てたつもりでも、身体からだは正直だったのだろう。アリシアの身体は、彼らに対して持ってしまった恐怖を覚えているのだ。作戦の成功を誰より願い、彼らの驚き戦慄く表情を見たいと思っている一方で、自分でも気付かないうちに緊張や不安など、負のイメージを溜め込んでいた。



 小さい頃から一人だけ差別されてきたアリシアは、両親や妹から受けたの些細な悪意の数々を鮮明に覚えている。それは幸せで上書きしても、ふとした拍子に出てくる厄介な芽だ。



(――――あと3日で……)







 空に浮かぶ星の数と流れた星の数を数えて、どのくらいの時間を過ごしただろうか。


 扉がノックされる音で、アリシアは我に返った。



「シャシャなの? 私、そろそろ部屋着に着替えたいのだけれ……ど……」



 アリシアはぎょっとなる。扉が開いて中に入ってきた相手は、シャシャとは似ても似つかない姿だったからだ。



「ルイス様……!!」


「……やはり、素直じゃなかったか」


「えっと……ど、どういう意味でしょう?」



 ルイスは颯爽とアリシアの前まで来ると、



「シャシャは私の使用人でもある……」と言った。



 その言葉で全てを理解したアリシアは、顔面蒼白になる。つまり、シャシャに言った言葉はルイスに筒抜けだということだ。



「愚痴や我が儘、本音は……私にぶちまけてほしかった」


「……言ったところで、どうにもならないですから。大体、秘密主義のルイス様に言われたくありません」



 やや拗ね気味にそう言ったが、ルイスはいやに笑っている。



「そのドレス、似合っている。色々な色のドレスや洋服を毎日贈ろう」


「褒めても何も出ませんし、プレゼント攻撃も嬉しくありません」


「そうか、私はその可愛い怒り顔を見ることができて、嬉しいが……」


「なっ……!」


「それから、3日後のことは大丈夫だ。貴女が気負う必要はない。少々邪魔なが生えてくるだけだが、怖くはない。引っこ抜いてやろう」


「えっと……」


「ああ、それと……。秘密主義と言われると、さすがの私もいい気はしないな」


「うっ……」



 完全にアリシアは押し負けた。笑顔で圧をかけながら言葉でも畳みかけてくるルイスは、知れば知るほど掴み処がない人物だと思い知らされる。



 ルイスは項垂れてしまったアリシアの顔と肩に手を添えて、アリシアの顔を上に向けさせた。

 


「今、私が何を考えているのか伝えようか……」


「えっ……?」


「秘密主義と言われたくないからな」



(……根に持ってる……あ、顔が近っ――――)



 そう思った時には甘い口付けをされていた。唇が触れ合っている状態で、どうやって考えを伝えるのだろうと真剣に考えていたアリシアは、完全に出遅れる。

 


(ずるいわ……キスで本心を伝えようだなんて、ずるい)


 

 蕩けそうになる意識の中でそんなことを考えていたが、素直になるまでそう時間はかからなかった。 

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