第49話 1年を締めくくる王立学院の舞踏会③

 大体の話を終えた所で、アリシアはラズベリーパイを一口食す。



(う~ん、考察後のパイは美味しい……)



 3日後の作戦に全てをかけているアリシアの胃に、そのパイは甘く優しく染み込んだ。思えば長かった、とアリシアは思う。ルイスと出会ってから3年以上は経っているのだ。その間、ちっとも解決できなかったことが、3日後には終止符が打たれようとしている。



 アリシアはパイを食べながら今までのことをぼんやりと思い返していたが、そこでふと気付いた。



(そう言えば、まだあの謎を解いていなかったわ。あのような大事なことを忘れていたなんて……)



 ふと手を止めて、アリシアはルイスにあの日の真実を聞いてみようと思った。



「ルイス様、まだ解決していないことがありました」


「……というと?」


「はい、ハンカチと一緒に送った手紙のこと、覚えていますか?」



 一瞬、ルイスは眼を見開いた後、そんなこともあったと懐かしむような表情をした。



「ああ、覚えている。あのハンカチは、母の形見のハンカチと同じくらい大切に使っている」



 ルイスがポケットから出したのは、2枚のハンカチだ。1枚は初めて出会った日にアリシアの涙を拭った時に使ったもので、もう1枚はアリシアがプレゼントしたものだ。



「ハンカチの礼がハンカチだなんて、生真面目な貴女らしいと思った。初めて刺しゅうをしたのだろう?」


「はい……。やはり、分かってしまいましたか?」


「ああ、だが嬉しかった。私のために初めて刺しゅうをしてくれたと思うと……。ありがとう」



 ルイスはフルーツティーを飲むと、一つ一つの想い出をすくい上げるように話し始める。



「あの頃の私はアリシアの言葉に背中を押されて、逃げるのをやめた。真っ当な王になると誓ったんだ。婚約者が貴女だという話をセバスディから聞いた時には、何の因果かと思ったな。もちろん嬉しさが勝ったが……。それからは逃亡もせずに、毎日勉強に明け暮れる日々を過ごした。苦しくても頑張れたのは、貴女の言葉があったからだ」



 感情を乗せて語るルイスの言葉はとても穏やかだったが、やがてその表情が曇った。

 


「……忙しくて時間が取れなかった私は、セバスディに代筆を頼んだ。本当なら、私が返事を書きたいくらいだったが……」


「……そう、だったのですね」



 そこまで聞いたアリシアは事情を察してしまい、その可能性を考えていなかった自身を恥じた。セバスディが代筆したならば、その手紙は必ずローランドに渡っている。つまり、そういうことなのだ。 



(お父様の仕業……いえ、真実が分かってよかったと思うべきだわ。ルイス様の本心が聴けたのだから……)



 あの頃のアリシアは手紙の返信が来ない理由を知らず、またその機会も呪いのせいで失ってしまったため、勝手な想像をして思い悩んだのだ。



 どうして返事を書かなかったのか。どうして王太子妃教育をするための「登城要請」がなかったのか。どうして親睦を深める茶会の誘いがなかったのか。



 その心の叫びは、今でも鮮明に思い出すことができる。



(知れてよかった……)



 清々しい気持ちで満たされたアリシアはティーカップを口に運び、フルーツティーをゆっくりと味わった。ほどよい甘さと酸味が喉を通ると、そこには爽やかな後味が残る。「美味しい」と思わず言ってしまうほど、その飲み物がとても気に入ってしまった。



 謎が解けた後のフルーツティーということもあり、特別に美味しいと感じたのかもしれない。



「……それはそうと、お父様はどうしてそのような愚かなことをしたのでしょう?」


「……貴女に私への不信感を植え付けるため、だろうな」



 身に覚えがあるアリシアは、ああなるほど……と苦笑いして納得する。



「お父様の思惑がその通りだとしたら、それは効果てき面だったと言えます。けれど、この学院に来てからは毎日が目まぐるしくて、その悩みも忘れかけていました……」



 もうとっくにあの頃の悲しい気持ちは、幸せで上書きされているのだ。



「アリシア、誤解を解くのが遅くなってしまい、こちらこそすまなかった」


「……お気になさらないでください。ルイス様は十分すぎるほどしてくださいましたから……。おかげで私は今、とても幸せです」



 アリシアは花のように愛らしい笑顔で満足げに語ったが、すぐにルイスから訂正が入った。



「アリシア、の幸せで満足してしまっては困るな。原因を取り除いてこそ真の幸せだが……?」


「原因……そうですね。もちろん、忘れてはいませんよ?」



 ふふふ、と禍々しいオーラを発しながら、アリシアは頷く。



「完全なる勝利を手にしてこそ未来は拓けるが、そのためにはどんな悪の芽も摘み取らねばならない。中途半端なままではまた奪われるからな。しかし、摘み取っても摘み取っても、奴らは雑草の如くしぶとい」



 アリシアに対する庇護欲から変なスイッチが入ったのか、ルイスは「幸せ論」について急に熱弁し始めた。それを聞く限り、ルイスには幸せの形にこだわりがあるようだ。政敵が多いルイスならではの持論かもしれないが、時に熱く語り、時に腹黒く笑うルイスの演説はまだ続いている。



「……私は細く長く続く幸せでも嬉しいですが、奪われないようにするのは大事、ですね」



 幸せをあーだこーだと語るルイスを尻目にボソッと呟くと、アリシアも幸せについて考えてみた。



(……私の幸せは、この呪いとは切り離せないものだわ。この呪いのおかげで幸せになれたと言っても過言ではないもの。この呪いは両親や妹の思惑通りにはいかなかった……)



 無限ハプニングを起こす呪いは、であったと結論付けると、アリシアはヴィヴィの悔しがる顔を思い描いて、密かにクスっと笑った。







 その後もアリシアはルイスと色々な話で盛り上がった。レイチェルとグレイの仲に進展があったことや、舞踏会場の近くにあの毒蜂キラー・ビーの巣ができていたこと。また、カミーラ先生の秘密についてなどが話題として上がり、ついつい話し込んでしまった。


 復讐や呪いとは無関係な題材でルイスと盛り上がったことは、久し振りかもしれない。



 思いの外長居してしまったアリシアは、時計をそっと確認してぎょっとなる。


「ルイス様、そろそろ寮へ戻ります。今夜の準備がありますから……」


 席を立とうとすると、言葉よりも先に大きな手がアリシアの腕を引き止めた。



「……ルイス様?」

「あ、すまない……」



 反射的に手が動いたのだろう。ルイス自身も驚いた顔をしているが、手を離す気配はない。



「……まだ何か、話し足りないことでもありましたか?」



 助け舟を出すと、ルイスはこくりと頷いた。



(ルイス様が……急に可愛くなりましたけど?)



 その普段とも先ほどとも違う様子が気になり、アリシアは浮かした腰を元に戻し、ルイスが話をしてくれるまでじっと待つことにする。




「……今夜はその……舞踏会だ」


「ですね」


「一年を締めくくる大事な舞踏会なのに、貴女には我慢を――――」


「ルイス様、これは私が望んだことです。それに、皆は賛同した上で演技をしてくれます。最後の最後まで気を抜かず、マリア嬢の前ではいつも通り仮面婚約者を演じましょう……?」



 さらりと返すと、ルイスは眉根を下げて「せめてドレス一式はプレゼントさせてほしい」と言った。



「ありがたいですが……」


「着る着ないにかかわらず、受け取ってほしい。あとで、紅薔薇寮まで届けよう」


「は、い……」



 アリシアは喉まで出かかった感情をぐっと抑え込み、揺らぎそうになる心を叱咤しながら、ルイスに見送られる形で部屋を出た。

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