第9話 届かない入学案内書
今日から約半年後に、アリシアは伝統校であるファウスト王立学院の生徒になる予定だ。その年16歳になる王子王女、上位貴族の令息令嬢は、全寮制の学院に籍を2年間、置かなければいけないと決められている。その入学案内書が近々届くはずだった。
アリシアは、その入学案内書が届くことを楽しみに待っている。
どのような設備があり、どのような学院生活が送ることができるのか。学院に通うメリットは何か。2年間の成績は、将来の役職に影響を与えるか。
それは全部、入学案内書に詳しく綴られている。そこには卒業生の感想や彼らの華々しい今の様子も添えてあり、上位貴族たちがマウントを取る材料になっていたが、アリシアが入学案内書を心待ちにする理由はそんなことではなかった。
入学案内書を見て、将来に対する不安を払拭したかったのだ。零性遺伝子を持っていても、将来は明るいと希望を持ちたかった。魔法は拙くても、学院で知識を身に付け、ローランドのような研究職に運よく身を置くことができれば、何か見えてくるものがあるかもしれないと考えていたのだ。
アリシアには、自身の婚約を破棄される可能性が残っている。両親やヴィヴィが婚約者の座を諦めたとは思えなかった。それに、身の振り方を考えた時、選択肢は多い方がいいのは、世の常だ。
「私宛の手紙はあるかしら? ファウスト王立学院に関する手紙よ」
「1通もございませんが、業務に支障が出るので、これ以上の質問はお控えください」
城館で働くメイドに再々確認まですると、怪訝そうな顔でそう言い返されてしまった。しかし、しつこく聞いた甲斐もあり、メイドは有力な情報を教えてくれる。
「そう言えば、夫人のお部屋で、関係書類を見た気がします。確か、机の上に……」
「本当!? 教えてくれてありがとう。今度、お母様に聞いてみるわね」
「…………」
もちろん、そのつもりは更々ないが、アリシアはそう返事をした。嫌な予感を胸の内に隠し、メイドには爽やかな笑顔を作る。これは、身の程をわきまえた結果、自然と身に付いたアリシアの処世術だ。
「……お母様になんて、聞けないわ。今夜、部屋に忍び込んで、関係書類を見つけ出さないと」
いつものアリシアなら、危ない橋を渡ることはしない。アリシアの行動は、一部の心ない侍女やメイドを通してローランドの耳に入る。危険を冒せばどうなるか、それが分からないほどアリシアは無知ではない。
それでもアリシアが部屋に侵入するのは、上位貴族の義務である「入学手続き」を怠った可能性があると考えたからだ。それを忘れたりやらなかったりすることは、不名誉で恥ずかしいことだが、両親ならその責を自分に擦り付けそうだとアリシアは考えた。
他にも色々可能性を考えたが、いずれにしても、両親はアリシアの将来を諦めている。早急に確認する必要があった。
(それに今は、絶好のチャンスだもの……)
アリシアは意を決するように頷いた。
――5日前、ふとあることに気が付いたのが始まりだった。それは城館が異様なほど静かで、リーサやヴィヴィの話し声は愚か、彼女たちの生活音さえ聞こえないことだ。静かなことはアリシアにとって当たり前の日常だったが、そこに微々たる変化が訪れていたことには、その時初めて認識した。
ローランドが研究所に籠り、強制的に両親の口喧嘩が終わったのは、半年ほど前のこと。それからメロディアス家に静かな日常が訪れたが、いつの間にかその静けさはより深まり、今や無音の静寂が城館を包んでいる。
おかげでアリシアは充実した日々を過ごせたが、いつから城館がこの状態なのかと聞かれたら、アリシアは答えられなかった。
きっかけは、2日前。いくら記憶を辿っても、何も思い出せなかったアリシアは、さり気なくメイドに聞いてみる。
「そう言えば、お母様とヴィヴィの姿を見ていないわ。旅行かしら?」
「……はぁ、気付いていなかったのですか? 半年くらい前から、リーサ様とヴィヴィ様は、別館で暮らしています」
「……ええ、そうだったわね。新しい冗談だから、気を悪くしないで」
あからさまに不機嫌な顔になったメイドに冗談だと伝えると、彼女はバツの悪そうな顔をした。
情報によると、2人は別館に閉じ籠り、研究に没頭しているとのことだった。その研究について、アリシアは何も思う所がない訳ではない。しかし、まだ当分は穏やかな日常が続くという期待感の方が上回り、メイドにこれ以上質問することはしなかった。
こうして情報を手に入れたアリシアは、当然、この絶好の機会を無駄にしない。
◇
完全に陽が落ちるのを見届けてから、アリシアは城館の廊下にそっと足を乗せた。裸足で廊下を歩くのは初めてだ。はしたないと一度は躊躇したが、メイドに気付かれない方法を優先させた。
行く先はもちろんリーサの部屋。鍵がかかっていないことは、昼間に確認済みだ。アリシアは彼女の寝室まで来ると、周りを確認してから、扉をそっと開けた。
(メイドの情報だと確か机に……あったわ)
関係書類は夜目でもすぐに見つかった。割と目立つ所に置かれているが、開けた形跡はない。王家の紋章が付いている封蝋が、窓から射し込む月明かりに妖しく光っている。アリシアはペーパーナイフを手に取ると、素早く封を切った。
真っ白な書類を抜き取り、両手で握り締める。
「入学手続きどころか、封筒さえ開けていなかったなんて……。公爵家が義務を怠れば、噂が立つ。そんな基本的なこと、お母様が知らないはずがない。本当に、私に興味がないのね」
アリシアは溜め息を吐いた。
記入はアリシアでもできるが、入学金や学費に関してはその権限がない。たとえメロディアス家の家令でも、アリシアのことに関して金を動かすには、ローランドやリーサの許可がいた。
喫緊の課題として、研究機関にいるローランドに、入学金の手続きをお願いする必要がある。人目がある王城でお願いすれば、さすがのローランドも拒めないと、アリシアは必死に頭を巡らしていた。それに、別館に籠り、何をしているか分からないリーサよりも、時間はかかるがローランドの方が確実だとも思ったのだ。
幸い、入学手続きに関する書類の提出は、王城でも受け付けている。馬車を走らせ王城に書類を提出後、そのまま王都をぶらりと見学。帰り際に、音沙汰もない婚約者の顔でも遠くから眺めようかと、アリシアはあれこれ考えていた。
(殿下に会ったのは、あの時だけ。約1年半、連絡は一切なかった。私との婚約が受け入れられなかったのかもしれないわね。けれど、返事くらい……)
考えれば考えるほど、アリシアは気が重たくなった。王城に行けば、入学手続きは全て片付くが、ルイスとアリシアの関係に終止符が打たれる可能性もある。ルイスの反応は探りたいアリシアだが、冷たい言葉を投げかけられるのは、避けたかった。
「……我が儘ね」
自分勝手な想いを自嘲気味に笑っていると、ふと月明かりに煌めく自身の銀髪が目に映る。はたと最悪の可能性に気付いてしまった。
(もしかして、殿下は私が零性遺伝子を持っていることを知って……?)
零性遺伝子を持つ者は皆、アリシアと同じ銀髪、紅玉の瞳とは限らない。メロディアス公爵家の血筋で零性遺伝子を持つ者は、確かに代々そのような姿をしているが、他の家門ではその限りではないとローランドは言っていた。また各家門は、零性遺伝子を持つ者の特徴を他家に知られないように生きている、とも発言していた。
(もし殿下の耳に、この事実が伝わっていたら……。お父様が殿下に、脆弱で短命で、将来何も成せない娘だと伝えていたとしたら……)
「私は、婚約を破棄される……?」
そんな想像の末路を口にすると、アリシアの身体は小さく身震いした。しかし、この後に起こった出来事は、アリシアに身震い以上の恐怖を与える。
『そうよ、お姉様は婚約を破棄されるわ。この呪いによってね』
久しぶりに聞くその声は、甘美かつどこか狂気染みていた。ぞわりと背骨を這うような恐怖が時間差でアリシアを襲う。振り返るだけで精一杯だった。
「な、ど……、ヴィヴィ……!」
「ふふ、動けないでしょう? お母様の部屋には、罠が仕掛けてあったのよ。お姉様の足元にはほら、
「どう……して?」
「それはもちろん、お姉様と王太子殿下の婚約破棄を狙ってのことよ。お姉様は、知っていて? ジュラベルト王国の前例では、欠陥品の婚約者は不釣り合いだとされて、婚約破棄されてしまうのよ」
「…………!」
「呪い持ちのお姉様は、まさにその事例に該当するわね。ああ、あとその呪いは大丈夫よ。私生活には少し支障が出るけど、死ぬ訳ではないし、呪いに慣れれば普通に暮らせるわ。ごめんね、また欲しがっちゃって。ま、せいぜい入学手続き頑張ってね、お姉様」
ひらひらと手を振りながら、ヴィヴィは退出した。好き勝手に言い尽くしたヴィヴィの言葉は、アリシアの耳にこびり付いて離れない。
「呪い……。零性遺伝子を持つ私に、わざわざ呪い?」
入学手続き書を握り締めながら、アリシアはか細く笑った。両目にいっぱいの涙が溜まっていたが、上を向く。こんな泣きたい状況でも、心は意外と冷静だった。
入学書を握り締めながら、しっかりとした足取りで私室へと無事に帰れたのだから。
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