第4話 愛してる

 ◆◆◆Side―津田拓海


 約束の一ヶ月も三分の一が過ぎた週末。

 12月も中旬に差し掛かろうとしている。


 津田は優斗にねだられ、駅前のショッピングモールに来ていた。目的は巨大なクリスマスツリーを見る事。もちろん瞳も一緒だ。朝ゆっくりと寝ていたせいで、約束の『愛してる』はまだ言えてない。仕事は休みだがハグに休みはない。それもまだ、こなせていなかった。午後からは恵梨香と会う約束だ。複数の手つかずのタスクに追われているようで落ち着かない。


 大きなクリスマスツリーの周りには、幸せそうな家族連れが溢れていて、津田もすっかりそんな家族連れに同化していた。

 スマホのカメラをはしゃぐ優斗に向けて、たくさん写真を撮った。

「今度はボクが撮ってあげるよ」

 優斗は津田からスマホを取り上げると、クリスマスツリーの前に立つよう促した。

「ママも!」

 瞳とのツーショットを撮りたいらしい。

 一瞬にして、気まずい空気が流れる。

「ママはいいわ。パパと優斗撮ってあげようか」

「だめー! ママとパパ!」

「よし、じゃあ撮ってもらおうかな。かっこよく撮れよ」

 津田は、ツリーの横に立った。気おくれしている瞳の背中を優斗が押す。

「ママ、早くー!」

「瞳、早く。人が集まってくるだろう」

 かつてのスキャンダラスな芸能人に気付いた一般人が、ざわつき始めていた。優斗はその状況に気付かない。

 群衆の前で、津田は完璧にいい夫を演じ切る。

 ぎこちなく隣に並んだ瞳に寄り添って、夫の顔でほほ笑み、写真に収まった。


「津田さん、応援してます。復帰楽しみにしてます」

 若い二人連れの女性が興奮気味に声をかけてきた。

「ありがとう」

 そう言って握手を求めてくる手を握り、笑顔を振りまく。

「サイン、もらえませんか?」

「写真お願いします」

「すいません。今、プライベートなんで」

 その様子に、すでにスマホを向けている通行人もいる。全く腹立たしいがそんな態度は微塵も見せず、笑顔で会釈する。


「奥さんきれいですね」

「子どもさんかわいい」


 そんな彼女たちに軽く手をあげ、その場を立ち去った。


「夕飯のお買い物して帰りましょう」

 瞳がそういうと、優斗は不満そうに口を尖らせた。


「お腹すいた」


 時刻は12時半すぎ。そろそろお昼時だった。

「地下のケーキ屋さんでシュークリーム買ってかえりましょう」

 シュークリームは優斗の大好物だが、それでも優斗の顔はほころばない。


「せっかく来たんだ。ランチぐらい食べて帰ろう」

 恵梨香との約束の時間までまだ少しある。

 津田の提案に、優斗はやっと笑顔を取り戻す。

 瞳はほほえんで「そうね」と言った。


「優斗は、何が食べたい?」

「デミグラスソースのオムライス」

「いいね。じゃあ、トマトの樹に行こう」

 モール内にオムライス専門店の【トマトの樹】がある。小学校の入学式の後、そこで3人でランチをしたのを思い出した。

「うん!」

 優斗は津田の腕に飛びつきいそいそと歩き出す。勝手知ったる我が家のように、ショッピングモールのエスカレーターに乗った。


「パパー、ラインのお知らせ」

 優斗は画面が明るくなったスマホを津田に差し出した。写真を撮った後、持たせっぱなしだった。


 ラインは恵梨香からだ。

「ああ、ありがとう。お仕事かな」

 そのセリフは自分でもゾッとするほどにぎこちない。優斗の前だとまるで大根役者のように、わざとらしくなってしまうのはなぜだろう。いつも通りの演技ができない。


 お昼時とあって、30分ほど待たされたが無事店内に入り、メニューを手にした。

 バターやソースのジャンクな匂いが充満している店内。その匂いだけで津田は胃がもたれそうだ。

 瞳と優斗がメニューを見入っている隙に、スマホをチェックした。

 恵梨香からのライン。

『幸せそうでいいわね』

 どこかで見られているのだろうか。津田は慌ててキョロキョロと辺りを見回す。

 それとも、早く来いという催促のメッセージだろうか。


「パパ、どうしたの?」

 不審な挙動に何かを察した様子で、優斗が心配そうに津田を見ている。

 津田はジャケットの内ポケットから財布を取り、その中から一万円札を一枚抜いた。


「優斗、パパは急にお仕事が入ったんだ。これで好きな物を買いなさい。クリスマスプレゼントだ」


 優斗は、しばし一万円札とにらめっこし、こう言った。

「クリスマスはまだ先だよ。サンタさんが持って来てくれるからお金はいらない」

「サンタさんからのプレゼントとは別だ。パパからのプレゼントだ」

 それでも、優斗は首を振って受けとろうとしない。

「じゃあ、ママが預かっておきましょう」

 瞳はそう言って津田の顔を見た。

「そうか。じゃあ頼む」と瞳に差し出した。


「どうぞ、お仕事行ってください」

「悪いな。夕飯までには帰るよ」

 今、ここで『愛してる』というタイミングがあったがやめておいた。

 どうせなら、もっと素敵なシチュエーションがいい。そう思ったのだ。


 途中で去る事に不満なのか、優斗はうつむいたまま津田の方に顔を上げなかった。




 電車を乗り継ぎ、恵梨香のマンションに到着したのは、およそ30分後。

 ショッピングモールで通行人に撮られたと思われる写真が、ツイッターで拡散されていたらしい。幸い、瞳と優斗の顔にはモザイクがかけられていたようだが、津田の顔はそのまま。

「子供の前なんだ。いい父親を演じるのは当たり前だろう」


 窓辺に佇み、不機嫌極まりない恵梨香の背中にそう話しかけながら、津田は上着を脱いだ。恵梨香は細いタバコを手にして、そっぽを向いたまま。


「遅くなったのは悪かったよ。しかたなかったんだ。息子にねだられて」


 恵梨香はこちらを振り返らずに、タバコに火を点ける。

「先週だって、時間作るとか言っておきながら結局会えなかったじゃない」

「悪かったよ。息子とクリスマスツリーの飾り付けをしないといけなかったんだ。子供部屋に電飾したり」


「子供を出汁にするなんて、大した奥さんだわ」

 そんな憎まれ口を言う。

「まぁ、そう言うな。瞳は子供を出汁にするような、そんな女じゃないよ」

 恵梨香はふんっと鼻で笑い、タバコをふかす。


「じゃあ一体、何を企んでるの?」


「息子のための思い出作りだろう。離婚届はもう書いてあるって言ってたよ。年が明けたら区役所に持って行って、予定通り離婚は成立するんだ。それまで優斗のためだと思って堪えてくれよ。子供に罪はない」


 恵梨香は小ぶりなガラスの灰皿に、タバコを押し付けて背を向けたまま腕を組んだ。


 その背中を優しく包み込む。

 10日ぶりに抱きしめた恵梨香からは、タバコと香水の匂いが一層きつく感じる。しかし、瞳からは感じられない若さと生命力がみなぎっている。

 弾力のあるなめらかな体は津田を一気に父親から、ただの男にさせる。

 ふてくされて拗ねている顔は、一層、津田の欲情を煽った。


 すぐに果ててしまうのはもったいない。舌先で氷を解かすようにじっくりと味わい、愛し合った。



「それじゃあ、また連絡するよ」

 服を着終わり、時刻を確認すると夕刻6時。

 今から帰れば夕飯に間に合う。

 陶器のような白い肌を露出したまま、背を向け横たわっている恵梨香。彼女のいら立ちを、気付いていないわけではなかったが、これ以上ここで時間を費やすという選択肢はない。


 後ろ髪を断ち切って、部屋を出た。



 家に帰ると、懐かしい匂いが玄関まで充満している。

「ただいま」と声をかけると、トタトタという足音とパタパタというスリッパの足音が近づいて来る。


「おかえりなさい」

「パパ、おかえりー。今日はカレー! 僕が作ったんだよ」

「そりゃあすごいな。楽しみだ」

 優斗の頭を撫で、瞳を抱きしめた。今日のタスク、【12時までに帰る】、【瞳にハグ】を同時に完了。


 すっかりお昼を食べそこなった胃は、無性に食べ物を欲している。

 スパイシーな匂いが空腹を刺激する。


 テーブルには、鯛のカルパッチョにアボカドのパテ。こんがり焼けたバゲット。洒落たグラスには花が咲いたような野菜スティック。

 そしてヒーターに載っているIH鍋には、優斗が作ったらしいカレールーが湯気を立たせている。


「ごはんがよければ、ごはんもあるわ」

「いや、バゲットがありがたい」

「そう。あなた、ワインをあけてくださるかしら?」

 瞳は、ワインクーラーに漬かっている白のワインを取り出し、したたる水気を布巾で拭った。

「うん。もちろん」

 コルクを抜き、瞳が手にしているロングのワイングラスに注いでやる。

 お返しのように、瞳は瓶を取り津田の持つグラスに注ぐ。

 カチンとグラスを合わせて、一口飲みこむと、空っぽの胃からすぐにアルコールが吸収され、回り始める。


「いつもありがとう、瞳。愛してるよ」


 タスク、完了。

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