第3話 パンツの中身まで見た?!

 ◆◆◆Side―春風


 いつも通りの時間。いつも通りのルートを通り、いつもとは少し違う足取りで、春風はステップを踏むように職場へと向かっていた。

 何もなかったとはいえ、学生の頃から好きだった潔葉と一晩を共にしたのだ。今後はやきもちを妬く権利ぐらいはあるだろう。などと考えるのは浅はかだろうか。


 高層ビルに挟まれた裏通り。洋館のような建物はバブルの面影を残し、確かにそんな時代があったのだと証明するかのように佇んでいる。中身はすっかり世代交代を果たしたはずの美容室シュガームーン。その前には、赤いショート丈のタートルネックに、白いAラインのスカートを履いた潔葉が落ち葉をかき集めていた。

 外の掃除は勤続年数の一番若いスタッフがやるというのがこの店のルールだ。


「おはよう」

 背後から声をかけると、手を止めて振り返った。少し青白い顔をしているのは二日酔いのせいだろうか。

「おはようございます」

 素っ気なく挨拶を返し、作業を再開する。

「風邪ひいてないか?」と優しく訊ねるとキっと睨みつけた。

「なっ、なんだよ」

 その不穏な態度に一歩後ずさる。

 胸元を隠すようにして、まるで変質者でも見るかのような目でこちらを見ている。

「あのねー、濡れた服のまま放置できないだろう。あのままだったらお前死んでたからな!」

「既婚男にパンツの中身まで見られたんですよ!! 死んだ方がマシです」

 顔を真っ赤にしてそういうと、ぷいっと背を向け荒々しく落ち葉をちり取りに掃き込んでいる。

 パンツはさすがに自分で着替えていたが、教えてやらない。見た事にしてやるー!!

「ああ~そうですか。じゃあ今度からお前が真冬に、街の真ん中で裸踊りしてても置いて帰るからな!」

 そう捨て台詞をして中に入った。


「おはよー」

 同時に控え室から顔を出した田中が高速で手招きをしている。いつも呑気な顔をしているのに、今日はなんだか珍しく焦っている様子。

「俺?」と、人さし指を自分の鼻先に向けると、そうだ! と言わんばかりに強くうなづいて手招きをした。

 早足で控え室に向かい、田中に導かれるまま中に入ると、社長が長机の向こう側に座っている。

「おはようございます。昨日はごちそう様でした」

 春風は腰を45度に折って昨夜の振舞いに感謝を示した。いろいろなご馳走にありついたのだ。


 奥菜は椅子の上でしゃんと背を伸ばし、センターで分けている長い前髪を払うように首を振った。

「おはよう」

 グレーのジャケットにタイトなスカート。その裾からはパウダリーな膝小僧が覗いている。社長と言っても、奥菜はまだ33歳で田中より2つ若い。タイトなミニスカートは、ギリギリセーフ。


 美容師として一線で活躍していた先代は、髪が薄くなってきたのを機に鋏を置いた。現在はバンコクに移住し、第二の人生を謳歌している。

 その後を継いだのが、その先代の娘。ペーパー美容師で独身の奥菜百合子である。春風が入社した時は既に奥菜が社長に就任していた。

 奥菜は密かにはがねの巫女と呼ばれており、勤続8年の春風でさえ、浮いた話は一度も聞いた事がない。処女なんじゃないかという噂まで流れている。

 しゅっとした小顔にクールな目元はどちらかというと美人の部類だが、男を寄せ付ける隙という物が皆無なのだ。


 奥菜は机の上に置かれているノートパソコンをこちらに向け、数字の羅列を見せた。

「今年に入って本店の売り上げが急激に落ちてるのよ」

「はぁ」

 そう言われても、春風自身の売り上げは右肩あがりな上、キャパシティオーバーだ。とお言葉を返したいところだが、ぐっと堪えた。もうすぐボーナスなのだ。心象は大事だ。

「どこも不景気ですからね」

 田中が呑気な事を言う。


「ホームページやクーポンサイトだけでの集客には無理があると考えています」

「確かに」

 それには、田中も春風も同意した。そのお陰で単価は落ち、労働は増えるのだ。


「そこで! ヘアショーをやろうと思うの」

「え?!」

「今どき、ヘアショーですか?」

 小ばかにしたように田中が言った。

「ただのヘアショーじゃないわよ。YouTubeのライブ配信よ。SNSでお客さんに拡散してもらう」

「うーん。話題作りにはなるかもしれないですけど、全世界に向けて宣伝する必要ありますか? 効率悪くないですかね?」

 春風はそう言いながら、背中のリュックを下ろして椅子に座った。

 ショーの準備やモデル探しに充てる時間を営業に使った方がマシだろうと思う。

 

「他に何かいい方法ある?」

「SNSでの発信なら既にやってますし……」

「その発信に更に勢いを付けるのよ」

 意志の強そうな奥菜の目は、もうやる事は確定なんだと物語っている。


「スケジュールは?」

 と田中が訊いた。


「それは、みんなで決めてもらっていいけど、仕込みや練習もあるから年明け辺りかしら」

「タイトですねー」と田中が難しい顔をして腕を組む。

 売り上げは下降気味でもそれは単価が落ちているからであって、客数が減っているわけではない。年末に向かって予約表は埋まりつつあるというのに……。


「撮影は? カメラマン手配できますか?」

 春風が訊くと

「私がやるわ」

 と、奥菜が即答した。


「モデルは……、手っ取り早く、姫ちゃん辺りを使いますか」

 田中に振ると、「いいえ」と奥菜が被せて返事をした。


「モデルは、桃井恵梨香よ」

「はぁ?」

「桃井恵梨香をメインのモデルにして、山道ディレクターが切るの」


 ――なんだこの流れ。


 春風は慌てて両手のひらを奥菜に向けた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。なんで俺なんですか? それに、嫁にモデルとか無理ですよ」

 いないからね、そんなものは。


「他に見映えのするスタイリストがいるかしら? あなた、切ってる時だけはかっこいいから」

 社長は複雑な誉め方をした後、パソコンを自分の方へ向けて操作し始めた。

「いやいや、瞬とかどうですか? 見た目はあいつの方が――」

「青木君はまだ技術的に未熟よ。コンテストでの受賞経験もない。メインに持ってくると他店からなめられるわ」


「田中店長は?」

「メイン張るには歳が行き過ぎてるわね」

 春風は、田中からそっと視線を反らした。たちまち曇っていく表情を見ていられなかった。


「ちょっと待ってください! モデルは別な人を探しましょう。急すぎる!」

 と訴えるも、社長は首を縦にはふらない。

 一度、恵梨香でバズったから、味をしめているに違いない。


「急だからこそモデル経験のある恵梨香さんにお願いしたいわ。奥さんでしょう! 協力してもらってちょうだい」

「いやいや~。それに、うちの嫁、もう26ですよ。もっと若い子にしましょう」

「見た目だけじゃないのよ。話題性もあるでしょう。この頃全くメディアにも出て来ない、インフルエンサーもやってない。そんな桃井恵梨香がヘアショーでモデルやるってなったら、みんな見たいと思うじゃない」

「そうですかねー? 桃井恵梨香なんてもう、オワコンでしょう!」

 なんとか回避を試みる。

「いやいや、いい案だと思うよ。やりましょう、恵梨香ちゃんがモデルやったらメディアもきっと取り上げるよ」と田中が身を乗り出した。


 そんな事になったら、大変迷惑なんですけどー。


「では、そういう事。山道ディレクター。よろしくお願いします」

 そう言って、やけに丁寧に頭を下げて、ノートパソコンを閉じた。


 春風は昨夜よりも冷たい水を浴びたかのように、震えていた。

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