第7話 恵梨香と春風が熱愛発覚

 ◆◆◆Side―潔葉


 約一ヶ月半ぶりに降り立った東京。

 そして、約一ヶ月半ぶりに春風に送るライン。

『今、羽田空港に着きました。会って話したい事があるの。これから渋谷へ向かいます。あの日、お参りした神社で待ってるね』


 あの神社を待ち合わせ場所に選んだのは、春風と二人で神様に報告をしたかったからだ。あの日お願いした恋愛成就に子宝。思っていた形とは少し違ったけれど、潔葉にとってはこの上ない幸せだった。


 福岡空港までは、父が軽トラックで送ってくれた。母の表情は最後まで晴れ晴れとはしなかったが、『赤ちゃん産む時は帰って来るたいきなさい』と、ぶっきらぼうに言った。


 不安な気持ちはもうない。

 もしも春風が赤ちゃんを産む事に賛成じゃなかったら、一人でも産むつもりだ。その決意はもちろん、両親には言ってない。

 春風が父親である以上、母親として、子の存在を知らせなければならない。そして今後どうするのかを話し合う。それが親になる事への第一歩だろう。


 そのために、潔葉は東京へ来たのだ。


 渋谷へ向かう電車に揺られていると、コートのポケットの中でスマホが短く震えた。取り出し、スクリーンに視線を落とすとネットニュースの通知だった。

 てっきり春風からの返信だと思った。

 いつもなら無視するネットニュースだが、その見出しに、潔葉の心臓は大きく揺さぶられた。


【お騒がせ元グラビアモデル桃井恵梨香・美容師と熱愛発覚。結婚秒読みか!?】


 ――美容師? 熱愛?? 結婚???


 その通知をタップして全文を読んだ。


『渋谷の某美容室のヘアショー配信で、ヘアーモデルとして出演した桃井恵梨香だが、配信切り忘れによって全世界に不倫の事実が広まってしまった。その後、一般男性(美容師)との親密交際が明らかとなった。週刊キャッチによると、同じ男性が桃井のマンションに頻繁に出入りしているという。

 男性は、ヘアショーのステージで、桃井の髪を大胆にカットした美容師である事が判明している。事件後、SNS等で酷いバッシングを受け続けて来た桃井だが、男性は不倫の事実を知った上で桃井を受け入れ、支えとなっているのだろう。バッシング一色だったSNS上には、お祝いコメントが、目立ち始めている。

 芸能界への復帰は絶望的となってしまった桃井だが、女としての幸せを手に入れ、転んでもただでは起きない不屈の精神を見せつけた』


 画面を下にスクロールさせると、その記事通り、二人のツーショット画像が出て来た。

 両手にたくさんの紙袋を持ち、恵梨香の半歩前を歩く男の姿。モザイクなしの後ろ姿は、黒いニットのパーカーにダメージジーンズ。


 これは、紛れもなく春風だ。


 スマホを握っている手が震えて、視界は水中にいるかのように歪みだす。


 今すぐ、送信取り消しをして、踵を返したい気持ちをぐっとこらえた。


 ――親になる覚悟はどこに行った?


 これも踏まえて、ちゃんと話し合わなくては。

 赤ちゃんを産むのだ、という覚悟だけは揺るがないように、潔葉はつり革を持ちながらしっかりと足を踏ん張った。



 駅の改札を抜けて、スマホのナビを頼りに、神社を目指す。目的地までは、徒歩で10分ほど。少し、重くなった足取りでアスファルトを蹴る。


 春風に送ったラインは未読のまま。

 今にも不安に押しつぶされそうになりながら、潔葉は浅い石段を上る。大きなスーツケースを一段一段引き上げながら上る。


 今、すがれるものは神様じゃない。

 春風と一緒に過ごした日々と、赤ちゃんという証だ。

 それは、確かにあるのだ。

 確かにあったあの日の記憶を手繰り寄せるように、一歩一歩上っていく。

 スーツケースが邪魔だ。


 吹きつける風は、重さのある冷気。通り過ぎるたびに、体が疲れを訴える。

 あの日よりも随分遠く感じるのは、春風がいないからだろうか。

 冷たくても温かかったあの夜。

 手放してしまったのは潔葉自身なのだ。


 ようやく一番上の段に到着した。

 これ以上、一歩も歩けそうにない足を折り曲げて、その石段に腰かけた。寒いと思っていたのが嘘のようにうっすらと汗がにじむ。

 陽は傾きかけ、輪郭をくっきりと浮き上がらせた太陽が真正面から潔葉を照らす。

 ――春風に会いたい。せめて気付いてほしい。


 ラインを送った時刻から2時間が経とうとしている。


 何度も通知を確認したせいで、充電は残り10%を切ってしまった。

 ひっきりなしに入る不必要な通知が、無駄に充電を消耗する。モバイルバッテリーぐらい携帯しておけばよかった。

 30分、一時間と容赦なく時間は過ぎて、いつの間にか色を濃くした空がずんと体を冷やし始める。

 段々と、会える気がしなくなってきた。

 春風のマンションに行けば済んだ事だが、恵梨香と春風が寄りを戻しているのなら、みじめな思いをするだけだ。

 しかし、潔葉はとっくにみじめだった。

 現実から目を背けるように、膝を抱え込んで、その上におでこを乗せた。


 目を閉じれば、すぐに眠ってしまいそうだ。


「潔葉!」


――春風!


 すぐに声の方に顔を上げた。

 春風は普段通り、笑っている。


「どうしたの? 急に。びっくりしたよ。昨日連絡しといてくれたら空港まで迎えに行ったのに」

 そう言って、隣に腰かけた。


「遅かったじゃん」

「ごめんごめん。スマホを家に置きっぱなしで、店に行ってたんだよ」

「そっか。お店は順調?」

「うん。すこぶる順調。3月にオープンするんだ」

「そっか」

 二人の間に、ぽっかりと空いた空間がもどかしくて、ぎこちない。


「話って何?」

 少し神妙な顔。


「いっぱいあるんだけどさ。ヘアショーの時の恵梨香さんの髪型って、私と同じだったよね」

「そう?」

「うん。絶対そうだった!」

 とぼける春風の腕を力いっぱい押した。


「うわっ。危ない、やめろって」

 大げさにリアクションした後、ヘラヘラ笑っている。


「あれはね、なんて言うか、潔葉の事をずっと考えてたら、あのスタイル切ってたの。気が付いたらそうしてたんだよ。打ち合わせと全然違った」


「ダメじゃん、それ」


「そうなんだよ」

 そして笑う。


「なんで、全然連絡寄越さなかったの?」


「お前、連絡しろなんて言わなかったじゃん」

「それでも普通はするでしょう!」

「してほしくないのかなって思ってた。して欲しかった? 本当は寂しかった?」

 揶揄うように潔葉の顔を指さす。

「バカ!」

 潔葉はそう言って顔を背けた。

 

「追いかけたら、お前、逃げるだろ。これ以上、距離が出来るの、いやだったんだよ。だから、潔葉から連絡してくるの待ってた」


「それだけ?」

「そうだよ。簡単に会えないのに喧嘩みたいになったりしてもいやだろう」

 春風との距離が縮まるたびに、幸せを感じる反面、いつも怖かった。失った時の痛みを知っているから。幸せごと、拒絶していたのかもしれない。


「そうだ。大事な事言わなきゃ」

 あたかも今思い出したという体裁を取って、潔葉はスーツケースのポケットから薄いポーチを取り出した。一番話したかった事だ。

 中からエコー写真を取り出す。

 春風は理解するだろうか?


「これ」

 そう言って子宮の中を移したほとんど真っ黒の画像を見せた。


「ええ?」


 婦人科で先生に教えてもらった通りの事を春風に伝える。 

「これが、赤ちゃん」

 小さな小さな塊を指さして、そう言った。


「今、10週目に入ったところ。3センチぐらいだって」

 春風は目を丸くしたまま、固まっている。


「私と春風の赤ちゃんだよ」


「マジか~」

 春風は、エコー写真に顔を近づけたり、街灯に透かしてみたりしながら、口を開けたまま、物珍しそうに見入っている。


「でも、気にしないで。報告に来ただけ。私、一人でも産むから。それを伝えに来ただけだから」


 春風の反応と、返事が怖くてまともに顔を見ていられない。


 親としての役目はこれで終わり。


「話は以上。じゃあね」

 そう言って立ち上がると、つられるように春風ものっそりと立ち上がった。


「潔葉……。ごめんな」


 その言葉に両目から堪えていた涙がいっぺんに溢れ出した。ごめんなんて聞きたくなかった。


「なんて言うか……ごめん」


「ばか! 春風のばか! 神様のばか!!!!」


 スーツケースを持ち上げて、石段を降りようとした潔葉の体は、木の葉のようにひっくり返された。


 潔葉の両肩を掴んで、春風が泣いている。バカみたいに両目と鼻から涙を流してハァハァしている。


「潔葉、一人にして悪かった。突然すぎて、上手く言えないけど……」


 そして、ふいに潔葉の体を温もりが包み込む。

 痛いぐらいに抱きしめて、春風はこう言った。


「すっげー嬉しいよ。産むって言ってくれてありがとう。結婚しよう」


 しかし、すんなりイエスとは言えない。

 桃井恵梨香と、熱愛発覚って、なんなのよ!!

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