第4話 バレた?

 ◆◆◆Side―潔葉


 高校を卒業し、家を出て10年。

 小学校入学と同時に与えられた、自分だけの空間は、当時と何一つ変わらない。ベッドに寝転がり、天井の木目を数える。


 築40年の平屋の実家は、母が一人で営む美容室と併設されている。

 父は実家の米農家を引き継いだ。

 縁側のガラスサッシを空ければ、父の本業とは別の、趣味で作っている畑が広がっている。

 大根も白菜もニンジンもジャガイモも玉葱も、我が家は全て自給自足。365日、明け方から日が暮れてからも、絶え間なく仕事で溢れている。


 居間から続く、襖一枚で隔てられた潔葉の部屋は、書棚にも押し入れにも、無駄に物が多い。


 雑多とするその空間は、やけに居心地がよくもあり、今更ながら本当にこれでよかったんだろうか、と思ったりもしている。


 ベッドに寝転がった状態で、窓を見上げれば満天の星。星ってこんなに大きかったんだと改めてため息が漏れる。

 手の中のスマホが映し出すのは、ハッピーニューイヤーの瞬間を切り取った、春風とのツーショット。夜とは思えないほど明るくて、逆にムードに欠けるその画像を見ながら、頭半分ほど春風の背が高い事に気付く。春風ってこんなに大きかったんだ。


 ――私は一体、春風の何を見てたのだろうか?


 東京から帰郷して丸二日が経った。

 まだ二日しか経っていないというのに、人生で最も濃い時間を過ごしたのは遠い過去のような気がしている。

 クリスマスイブから1月3日までの10日間。

 春風と恋人同士のように過ごした10日間。

 その記憶はまだ生々しく潔葉の体をじんわりと熱くするのに、手のひらからするするとこぼれ落ちる砂のように、儚い。

 一秒は砂の一粒。

 たなごころにわずかに残った砂粒で、生きて行けるほど潔葉は乙女じゃない。


「潔葉ー。入るよー」

 という母の声と同時に、ふすまが開けられる。

 実家とはそういう物だし、母親とはそういう物だ。

 スマホに映し出したツーショット写真を隠すように、あわてて電源ボタンを押した。


「なに?」

 濃いパーマ液の匂いをまき散らしながらずんずん侵入してくる母は、年季の入った千里眼で、潔葉の顔をじっと見据えた。


「あんた、まだ真司さんの事が忘れられんとやろうねわすれられないんだろうね

 決めつけた言い方をする。


「は?」


 真司とは、元夫の事である。そんな物は5億年前に忘れたわ! と言ってやりたい気持ちをぐっとこらえて、苦笑いに変えた。

 幼い頃、学校での些細なトラブルも、初恋も失恋も、潔葉の心の奥までも見透かしてきた千里眼は、そろそろ曇り始めているようだ。

 私は今、この人に恋してるのよ! と春風を見せびらかしてやりたい気持ちにぐっと蓋をする。

 母は、この家で唯一の文明の利器である大画面、文字デカスマホを、慣れた手つきで操作して、写真を見せた。


「この人、どうね?」

「誰、それ?」

「お客さんの息子さんたい息子さんよ。恋人募集中だって!」

 骸骨のようにやせ細った頬はやたら骨ばっていて、口の周りはひげの剃り痕で青い。眉はボサボサ。上半分が黒いハーフリムのメガネがよく似合っている。第一ボタンを外したノーネクタイの白いワイシャツから推測するに……、職業は、市役所勤めかしら?


「まじめそうな人やない?」

 と、潔葉はオブラートに包む。

「そうやろ!」

 何に対してかわからない、マウントを取る母。


「会ってみらんみない?」


「う~ん。とりあえず、生活落ち着いてからね」


「そげん事言いよったら、あんたすぐにおばさんになってしまうばいそんな事いってたらすぐにおばさんになってしまうよ


「もう、その域よ」

 今更だわ。と潔葉は思う。


「二十代はまだよかとまだいいの! 三十代になったらもう、女は下り坂ばい下り坂よ

 久々に聞く博多弁はなかなかパンチ力がある。触れられたくない所を容赦なく抉ってくるのも、母親という物なのだろうか。


「その人、いくつ?」

「40歳。初婚」

 母は【初婚】を強調したかったようだが、潔葉の青筋はぴきっと反応する。男はいつから下り坂なんだよ! と言いたい気持ちをかみ殺す。


「他にはないの?」


 母は待ってましたとばかりに、スマホをスライドさせて、立て続けに3人の冴えない男たちをお披露目した。


「写真じゃわからんばってん、会ってみらんとわからないから 会ってみないと


 確実に焦りを見せているのは、潔葉より母だ。

 最初の結婚には随分反対された。一人娘を嫁がせるなど美影家では許されない。今度の結婚相手は、絶対婿養子に入ってくれる男を! というのが両親の切なる願いなのだ。


「わかったから。どれにするかゆっくり見てから考える。じゃないと相手にも失礼やろ」

「そうやね。わかった」


「お母さーん、潔葉ー。ご飯できたばい」

 居間から父の声がした。

 我が家では、家事は出来る人がする。自営業で、毎日朝から晩まで母がお客さんに手を取られる一方、日が暮れたら帰宅する父。

 そんな父が夕飯の支度をすると言うのは、我が家では当たり前の光景だ。


 襖から侵入する炊きたてのご飯の匂いは、昔ながらのガス窯で炊いたご飯だ。少し焦げた匂いが懐かしい。

 今日の夕飯は水炊きだ。潔葉も少し手伝った。


 時刻はちょうど7時になろうかとしている。


「ごめん。私ちょっと7時から観たい動画があるの。先に食べて」


「なんね? 動画って」


「後で説明するよ。もう始まるけん」

 これだけはアーカイブではなく、リアタイで見なければ。コメントにスパチャ。準備は万端なのだ。


「そうね」

 怪訝そうに去っていく母。

 襖が閉まるのを見届けて、ベッドにうつ伏せになり、YouTubeアプリを開いた。

 YouTubeのアカウントも作った。ハンドルネームは【キヨハ】。春風は気付いてくれるだろうか。


 ベルのマークに通知の赤いマークが付いた。

 それをタップして、予めチャンネル登録しておいた、シュガームーンのチャンネルを開く。

 ワイヤレスイヤホンを両耳に突っ込んで、画面をワイドに切り替えた。

 ベース音が効いたアップテンポのハードテクノに乗って、モノクロの背景にシュガームーンのロゴが現れ、点滅しながらフェイドアウトする。

 背景にうごめくのは、サロンの日常だが、切り取られてモノクロの写真のように現れては消えて行く。

 単なる防犯カメラの映像は、田中渾身のギミックでスタイリッシュな映像となって次々に表情を変える。

「すごい、かっこいい」

 思わず声が漏れる。

 ピューーンと音が消え、次はポップな音楽が流れ始める。

 ショーの始まりだ。


 音楽に乗って早口の前口上が流れる。しゃべっているのは田中だ。

『おまたせ致しました。美容室シュガームーンのヘアショー、ただいまより開演でございます。存分に楽しんで行ってくださいね。それでは、先ずはシュガームーン、未来の担い手たち。若手スタイリストをご紹介いたします。

 ヒヤマサトシ~。マルヤマアンリ~。アオキシュン! でお送り致します。テーマは『オリジナリティ』です』


 先ずは若手のスタイリストが、鋏捌きを披露する。

 軽快な音楽に乗って、三人が同時に切り始めた。

 飛び散る髪がバックの映像に反映して、通常の3割増しぐらい巧く見える。

 1000人程度だった視聴者数はグングン伸びて、5000人に膨れ上がった。

 コメント欄が動き出す。

 :かっこいい~!!

 :瞬君だー! いつも応援してるよ、頑張ってー!

 :いつもかっこよくしてもらってます。応援してます。

 そんなコメントがすごいスピードで流れていく。


 チカチカとひっきりなしに色を変え、点滅する照明のせいなのか、鋏の動きが鮮明に浮き出て、モデルを引き立てる。


 10分ほどで、白いカットクロスが外されて個性的なモデルの全身が露わになった。お姫様のように手を取り立ち上がらせる姿も、みんな、さまになっている。


 潔葉は思わず拍手をした。


 BGMはゆっくりと体を揺らしたくなるような、ラップバラードに変わった。

 まるでリズムに乗るような、田中の口上が映える。


『続きましては、本日のメインイベント。シュガームーンのトップスタイリスト兼ディレクター。みんなの人気者、山道春風の登場です。モデルはあの!!!! 桃井恵梨香~~!! 会場には、なんとマスコミの方々も取材にいらしております。ゴージャスでクオリティの高いステージをどうぞお楽しみください。テーマは『変化』です。ゴージャスなロングヘアーの恵梨香さまの変化を、是非お楽しみください』


 画面が切り替わり、真ん中にはひじ掛けが付いたゴージャスな椅子が置かれている。画面の左端から、春風が恵梨香の手を取り、まるで女王さまのように椅子までエスコートする。

 定点だったカメラは動き出し、恵梨香の顔のアップから360度を映し出した。

 アシスタントは姫香。彼女が差し出すクリップを受け取りながら、春風は無駄のない動きで恵梨香の髪をブロッキングしていく。

 鋏は意志を持っているかのように滑らかに動き、大胆に長さを変えていく。ばさばさと落とされる髪。表面を滑る鋏は細かいディテールを作り出す。

 露わになっていくフォルムに、潔葉は思わず胸が締め付けられ、自分の髪先を握った。

 ――これは。

 曲がりなりにも潔葉だって美容師だ。ベースの形でどんな仕上がりになるのかなどわかる。これは、春風があの日切ってくれた潔葉と同じ髪型だ。


 ――どうして?


 春風の姿から目を反らすようにして、コメント欄に視線を移した。

 さっきにも増してコメントはすごいスピードで流れていく。

 それに乗って潔葉はコメントを書いた。


『春風のバカ!』


 こんな悲しい映像見せられるぐらいなら水炊き食べた方がマシだった。


 ショーは仕上げに入り、春風はカールアイロンで恵梨香の髪にカールを付けていく。仕上がりこそ別物になったが、この女と同じ髪型なんていやだ。


 カットクロスが外されて、恵梨香を立ち上がらせると、恵梨香は自慢のモデルウォークで画面を行ったり来たりする。


 ――ばかばかしい。


 スマホを枕の上に放り投げて、しばし窓から星を眺めていた。

 イヤホンはそのまま。


 田中のアナウンスがショーの終わりを告げた。


 ガサガサ、ガチャガチャと音声機器に何かが接触する音が鼓膜に不快を与える。

「ん?」

 スマホを手繰り寄せるとスクリーンは真っ暗だ。

『お疲れ様ー』というはしゃいだ声が遠くで聞こえる。


 これは、もしや……。切り忘れでは?

 潔葉は当事者でもないのに、背筋に冷たい物を感じた。

 せっかく、みんなの努力で作り上げたショーを、こんな失態で無駄にしてほしくない。カメラ担当は確か、奥菜のはずだ。


 コメント欄には切り忘れに気付いた視聴者のコメントが緩やかに流れている。

 そんな中。


『もしもし』

 という恵梨香の声が聞こえた。


『どういう事? 結婚できないって一体どういう事なの? こんなラインのメッセージで、私たちの6年間を終わらせる気? 冗談じゃないわ。奥さんとは別れるって約束したじゃない』


 どうやら、恵梨香が不倫相手の津田と揉めてるらしい。

 それが、全世界へ流れている。確か、マスコミ数社が取材に来ているとかなんとか、田中が言っていたような……。

 一体、誰のどんなミスでこんな事が起きているのか――。


『今夜この後、一緒にお祝いするはずじゃなかったの? 今日まで我慢してたのよ。結婚発表の記事だってマスコミに書かせたのよ。こんな屈辱ってないわ!』


 頼むから、誰か、早く気付いて欲しい。


 コメント欄は凄まじく荒れ始めた。


 :桃井恵梨香、まだ不倫してたのかよー

 :結婚したんじゃなかったっけ?

 :くそ〇ッチ、〇ね!

 :不倫バレ、最悪

 :不倫バレ、乙

 :業界から抹殺しろ!

 :桃井恵梨香、二度とみたくない

 :応援してたのに残念

 :復帰望んでたけどやっぱむりだわー

 :救いようがねぇな

 :配信きり忘れ、乙


 しかし、忘れてはいけない。

 恵梨香よりやばいのは、未だに職場で既婚者を演じ続けている春風だ。

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