第5話 バレた!!!!

 ◆◆◆Side―春風


「え? なにこれ? どういう事?」

 スタッフのそんな声が耳をかすめたのは、突然の事だった。

 ヘアショーを終えた店内では

「お疲れ様でした」

「お疲れしたー」

 という声が飛び交い、すっかり打ち上げモードに入っていた時だ。


 奥菜はいそいそと缶ビールをスタッフやモデルに配っている。

「素敵だったわよ」

 そう言って、春風に缶ビールを差し出した。

「社長も、カメラマン役、お疲れ様でした」

 満たされた笑顔でうなづく奥菜。


「恵梨香さんはどこだ?」

 ざわめきの中でそんな声が混ざる。

 そう言えば恵梨香の姿が見当たらない。

 ちょうど通り過ぎようとしている姫香を捕まえた。

「恵梨香、どこか知らない?」

 姫香は、VIPルーム指さした。

「あそこで着替えてるはずです。ショー終わってから奥菜社長が案内してましたよ」


「そっか、ありがとう」

 他のモデルは控え室で着替えさせたというのに、恵梨香だけ特別扱いしやがって。面白くない気持ちが春風の表情を曇らせる。


 店内ではふつふつと水からお湯に変わるように

「はぁ? まじか。うっわー」

 という声があちらこちらで沸き上がる。皆一様に、スマホにかじりついている。

 取材をしようと待ち構えていたマスコミの連中も、スマホに釘付けで青ざめていた。


「何? どうした? 何があった?」

 春風は店内を見渡した。


 ポケットの中ではさっきから、ひっきりなしにスマホが着信を知らせている。取り出してみると、スクリーンには『潔葉』の文字。

 急いで通話をタップして、店の外に出た。


「もしもし。お前~、連絡遅いじゃん。どうしてんのかなってずっと思ってたよ」

『春風!! そんな事より、配信!!』

「ああ、見てくれた?」

『バカ!! 切り忘れてる!! 恵梨香サマが不倫相手と揉めてる音声がダダ洩れ!!』


「え? はぁ? なにそれ?」

『電話で津田さんと話してたんだと思う。津田さんに捨てられて、激怒してる音声が――』


 そして、潔葉は恵梨香の音声を再現してくれた。高飛車に煽情的に。


「それが、配信で流れた?」

『そう』


「俺、もしかして、詰んだ?」

 思わずしゃがみ込み、頭を抱えている真ん前を、恵梨香が足早に逃げるように去って行った。


「ちょっと、後でかけ直すわ」

 そう言って、通話を終了し、立ち上がったものの――。


 店に入れば、さっきまでとは違う世界が広がっているのだろう。嘘つきの最低野郎という評価が重くのしかかると同時に、結婚式当日に花嫁を寝取られた情けない男というレッテルが貼られる。

 そう思うと足が凍り付いたように固まって、歩みを進める事ができない。


 そこへ、春風の荷物を持った田中が出て来た。


「今日は一旦このまま帰ろう」

「え?」

「VIPルームでカメラが回りっぱなしだった。俺がパソコンから配信を終了させればよかったんだけど、うっかりしてた。悪かった」


 春風のガチガチに固めてきた既婚者設定は、もはや砂糖菓子のようにボロボロに崩れているはずなのに、田中はさっきまでとなんら変わらない態度と様子の上に、謝ってくれた。それだけで春風は胸が熱くなる。

「けど……」

 戸惑う春風の肩に、田中は手を回した。

「いいからいいから。大丈夫だ」


 田中に促されるままサロンに背を向けた瞬間。


「山道ディレクター! ちょっと待ちなさい」


 奥菜の声が春風の足を止める。

 振り返ると、青ざめた顔で眉間にしわを寄せた奥菜が、こちらに向かってずんずん歩いて来る。


「説明してちょうだい! マスコミの人に聞かされて大恥かいたわ。結婚式当日に破局してたですって!! 恵梨香さんと結婚してなかったってどういう事なの?」


「いや、あの……」


「しかも恵梨香の不倫が続いてたなんて! そうと知ってたら、モデルとして使わなかった! よくも私の顔に泥を塗ってくれたわ! どう責任取ってくれるのよ!」

 悲鳴にも似た金切り声で詰め寄って来る。

 だから、使えないって言ったのに、ごり押ししてきたのは奥菜社長である。


「すいませんでした」


「すいませんじゃ済まないわよ! もう!!」

 ヒステリックにそう叫び、両手で髪をかき上げて、怒りに顔を歪めた。


「しかし……」

 口を開いたのは田中だ。

「ハンディのスイッチを入れっぱなしでVIPルームに置き忘れたのは奥菜社長の失態でしょう。春風を責める前に、ご自分の非を認めるのが先では?」


「店長は黙ってて!」


 その声が合図かのように、サロンの扉が開かれて、ぞろぞろとスタッフが流れ出て来る。


 顔をこわばらせた瞬が、春風の前で立ち止まった。

「俺、辞めさせてもらいます。あなたの本性に幻滅しました」

 続いて、姫香。

「あのぉ。私も、実家を手伝おうと思って。明日から出勤しませんので」

 一見申し訳なさそうに見えるが、その目には軽蔑の色が伺える。


 驚くことに、それらの言葉と態度は間違いなく、春風ではなく、隣に立っている奥菜に向けられている。


 ――これは一体?


 ぞろぞろと流れ出るスタイリストやアシスタントたち。

 何も言わずにこちらに一瞥をくれて、帰って行く者もいれば、辞めるという意思表示をして去って行く者もいる。

 殆どのスタッフが辞める? これは一体どういう事なのか。奥菜ほどではないが、春風もこの光景には動揺が隠せなかった。


「何? 一体どうなってるの?」

 突然、暗闇の崖っぷちに取り残されたかのように、奥菜は狼狽え唇を震わせた。


「教えてあげますよ、奥菜社長」

 田中はスマホを取り出した。


「春風も観てほしい。それを観た上で、今後の身の振り方を考えるといい」


 田中は僅かに震える手で、スマホを操作した。


 スクリーンには、手を加えていない防犯カメラの映像。

 アングルからして、受け付けの上に設置しているカメラだ。

 奥菜を追いかけるようにして、潔葉が店に入って来るところから始まった。

「あ、潔葉」


 ガラス戸にはロールカーテンが降りている。朝一番に出勤したのだと言う事が見て取れる。


『説明してください。彼とはいつからなんですか?』

 潔葉の泣きさけんでいるような声。


『かれこれ10年前かしら。彼がスタイリストデビューした頃ね。お互いに一目ぼれだった。結婚まで考えてたわ』


『どうして結婚しなかったの?』


『できるわけないじゃない。彼は表参道シュシュのオーナー、風間勇亮かざま ゆうすけの息子。父は頭から湯気を出す勢いで怒り狂ったわ。ライバル店の息子と結婚など絶対に許さないってね。6年前、父が海外に移住してようやく自由になれると思っていた時に、あなたが現れたのよ。身を引くしかないでしょ』


『私のツイッターをフォローして、何をしたかったの?』


『見物よ。あなたが現れてからも、私は時々ガラス張りの店内を外から見てた。彼をひと目見れたらそれで満足だった。けど、その姿を彼に気付かれたのよ。それから、時々食事に行ったり、ドライブに連れて行ってくれたりしたわ』


 奥菜はまるで、意地悪な魔女のように、潔葉を見下している。春風はわなわなと肩が震えるのを必死で抑え込んだ。


『座席シートをわざと動かしてたのも、故意に口紅を落としたのも私よ。あなたが壊れていく様をツイッターで眺めるのが、毎日楽しかったわ。いい事教えてあげる。彼は私がどんなに誘っても、一度たりともあなたを裏切らなかった。それなのに日々疑心暗鬼になっていく妻。結婚生活に疲れていたのは彼の方よ』


『あなたに何がわかるのよ。どうして私をこの店にいれたのよ』


『彼をあなたに見せつけるためよ。自分で離婚を選んだんでしょう。その結果を全て受け入れなさい』


『急遽私の歓迎会をさせたのは、私をこの店から追い払うためね。レッスンで遅くまで居残りされたら、真司と会えなくなってしまう。いや、真司に私がこの店にいる事を知られたくなかったのかしら。ツイッターにわざわざ匂わせるような写真をアップして、悪趣味ね』


震えながら、必死で叫ぶ潔葉が痛々しい。


『ご名答! 名探偵になれるわね』


 そして、店内の螺旋階段を上っていく奥菜。


 その背中に向かって潔葉は、涙交じりにこう言った。


『今すぐ辞めさせてもらいます。誘ってもらって嬉しかったのに。精一杯期待にこたえようと頑張ったのに。もうあなたの顔なんて、二度と見たくない』


『勝手にするといいわ。今すぐ出ていきなさい。昨日までの給料は振り込みます』


 動画はここで終わった。


 これは、春風が熱を出したあの日だ!


 足の先から頭のてっぺんまで、血流に乗って怒りが駆け巡り、内側から突き破るほど心臓を叩く。


 潔葉が春風に『店を辞めてほしい』と言ったのは、こういう事だったのかと腑に落ちた。

 と同時に、店内でみんながスマホで見ていたものはこれだったのかと胸をなでおろした。

 

 田中は、奥菜の対面に仁王立ちになりこう言い放った。

「防犯カメラに全て映ってました。スタッフはみんな潔葉ちゃんの味方ですよ。彼女は優秀なスタッフだった。シュガームーンには必要な存在だった。そんな彼女をあなたはここまでズタズタにして追い込んだ。この動画は先ほどスタッフ全員に共有しました。もうあなたを信頼して、尊敬して、着いて来るスタッフなんて誰もいません」


 崖っぷちで風に吹かれながら悪事を暴かれる罪人のように、奥菜は発狂寸前の面持ちで、ずさずさと後ずさる。

 そんな彼女にとどめを刺すのは春風だ。


「奥菜社長。一連の責任を取ってやめさせて頂きます。明日から毎日30人越えの予約で埋まってますが、対応よろしくお願いします。今日のヘアショーで、また商売繁盛ですね。では、長らくお世話になりました」


 春風は深々とお辞儀をして、奥菜に背を向けた。

 奥菜はペーパー美容師。国家資格取得依頼、まともにハサミを握った事もない。スタッフが全員やめてしまったという事は、奥菜百合子の破滅を意味していた。


「ま、待ちなさい! 待ちなさいよー、ちょっとーーー」


 サロンの電気が煌々と夜道を照らしている。中ではマスコミ関係者とやらが、奥菜が戻るのを手ぐすね引いて待っている事だろう。結婚報道以前に、不倫という事実が全世界に発信されたのだ。この後、奥菜が責任を問われる事は間違いない。


 後片づけに、明日からの予約客の対応。全て一人でやるがいい。


 後ろからついてきた田中が隣に並んだ。


「安心しろ。配信中の動画を観てたのはマスコミ関係者だけで、スタッフは誰も見てない。アーカイブも残さない。お前の秘密は誰にもバレてないぞ。奥菜さん以外にはな」


「え? 店長は知ってたんですか?」


「あったりめーだろー! さて、飲み行くか!」

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