第11話 もしも妻が浮気したら・・・
◆◆◆Side-潔葉
「いいから答えて!」
潔葉は、対面に座る春風の顔をじっと見据えた。
巻き戻す事30分前。
『――あのお部屋の中は一体どんな事になってたんでしょうか?』
という、潔葉の問いに春風は、納得できるような答えは何も出さないまま、腕を組み、足を組み、どさっと背中を背もたれに預けると、視線を下に向け物思いにふけった。
目線は時々泳ぎ、口元は、声なくもごもごと何やら動いている。
自分だけの世界に浸りきっているかのような様はまるでナルシスト。潔葉は姫香と抱き合い、震え、悲鳴を上げた。
『『キモーーーーい!! 』』
テーブルには豪華で上質な肉料理が並び、注文するたび、テンポよく運ばれるアルコールは潔葉を別世界へと誘う。
飲めば飲むほどアルコールの苦みは甘美な刺激となり、体が、脳が、その刺激を欲しがる。
『山道ディレクター、食べないんですか? なくなっちゃいますよ』
『うーん』と唸り声を上げただけで、様子は変わらない。
瞳の事は気になったが、何か重大な秘密があるんだとしたら、それは、やはり春風の言うように、こんな所で話す事ではないのだろう。
或いは、潔葉が知る必要のない事なのかもしれない。
『潔葉さん、飲み物頼みますか?』
空になったジョッキを掲げて、瞬が訊いてきた。
『お願い!』
次はホットウィスキーにしよう。
冷たいアルコールばかりを体に入れたせいで、温かい物が欲しい。それにトイレが近い。
次の飲み物が届く前にお手洗いに行こうと立ち上がった。
『ちょっと、お手洗い行ってくるねー。ホットウィスキー注文しといてもらっていい?』
と姫香を拝んで背を向けた。
ロールカーテンを押して端から外に出る。
ちょうど時を同じくして出て来た、向かい側の席の女性と目が合った。
しっかりとカールが形成されている髪は、照明に反射してゴールドの輝きを見せている。真っ赤なミニ丈のワンピースという派手な出で立ちは嫌でも目を引く。
どこかで見た事がある。知り合いだったかしら? と潔葉は思った。
しかし、一般人とは思えないオーラにすぐ思い直す。
――あんな知り合い、いない。
そしてお手洗いに向かうも、行く先は同じで、潔葉は彼女の後について歩くような状況になる。
先に扉の向こうへ消えた彼女を追うようにトイレに入った。彼女はすぐに洗面台の鏡の前に立ち、小ぶりのポーチから口紅を取り出し、丁寧に塗り込んでいる。
鏡越しに見た顔には、やはり見覚えがあった。
――あれは、確か、あのグラビアモデル! そう! 春風の奥さんだ!
そうは思ったが、春風の奥さんは今日、法事で実家に帰ってると言っていた。
なぜこんな所に? もしかして浮気?
用を足すのも忘れて、潔葉は個室の扉からじっと彼女を観察した。
真っ赤なワンピースの背中は大きく開いていて、とても法事の帰りとも思えない。
――怪しすぎる!
お化粧直しを終え、ドアを出て行く彼女の後を追い、ロールカーテンが開くのを見届けた。
『ひゃっ』やはり対面には男!
思わず声が漏れて、口をふさいだ。
席に戻り、春風の顔を覗き込む。真実を知らせるべきか否か――。
姫香と瞬は、ほろ酔いで若い頃の武勇伝を語る田中の話に、肉をかみ切りながら相槌を打っている。
とんでもない秘密を知ってしまった。
『あの! 店長! 聞きたい事があるんですけど』
『ん? なに?』
振り返った田中の耳に口を寄せた。
『もしも、奥さんが浮気してたとしたら、知りたいですか? 知りたくないですか?』
田中はうーんと少し苦しそうな表情を見せてこう言った。
『そうだなぁ、知りたくはないけど、騙され続けるのも嫌だな。早めに知って対処はしたいと思うよ。うちはそういうのは無縁だけど』
『なるほど。ご意見、ありがとうございました』
ふんふんとうなづき、田中はまた先ほどの続きを話し始めた。
やはり知らせよう! 早めの対処。今ならまだ間に合うかもしれない。未遂という事もあり得る。
テーブルをトントンと指先で叩き、『春風、春風』と名を呼んでみた。
反応は、なし。
『あのさ、聞きたい事があるの』
『うーん、そうだね』と見当違いな返事が返ってくる。
『ねぇ!! ねぇってば!!!』
バン!!!!!!!
とテーブルを叩いた。
『聞いてんの?』
ようやく、目を見開き
『もしも、奥さんが、浮気してたら、どうしますか?』
『な、なんだよ、急に』
「いいから答えて!」←今ココ。
「そ、そりゃあ、相手の男をぶっ殺しに行くだろう」
「そうだよね」
そして、潔葉は立ち上がる。春風の座る席に移動し、ロールカーテンの紐をシュシュシュっと引っ張り、隣の席を指さす。
「あれ、奥さんだよね?」
今まさに、【妻が、金持ちそうなイケメンに連れさらわれようとしています!】とタイトルを付けたくなるような画を見せた。男の顔はサングラスとマスクで隠されているため、よくわからないが、あの雰囲気は、一介の美容師などとても敵いそうにないイケメンのジェントルマンだ。
男は春風の妻の肩にキャメル色のトレンチをかけてやっている所で、これから場所を移動するようだ。場所はラブホテルに違いない。これからめくるめく夜が始まる!! に違いない。
春風は目玉が飛び出すのではないかと思うほど目を見開き、奥さんと潔葉を交互に見た。ジョッキを持つ手は震えていて、すっかり泡が消えていた生ビールは再び泡を吹き返している。
二人は、ここに彼女の夫がいる事に気づいていない。男は彼女の背中にそっと手を添え優雅に歩いて行く。
「早くいかなきゃ、いなくなっちゃうよ。奥さん取られちゃうよ!」
「何、何?」
と他3名がこちらの様子に興味を示して、文字通り首を突っ込んだ。
春風は、ジョッキをドン! とテーブルに置き、潔葉の手から紐をひったくると、シュっとカーテンを下ろした。
そして、こう言ったのだ。
「人違いだ」
「え? 人違い?」
「そう! そっくりさんだ。俺も入口で遭遇した時は驚いた」
「なんだ~。既に遭遇してたのか」
しかし、春風は明らかに動揺していた。
そっくりさんとはいえ、妻に似た女性が、男といる場面を見たでけできょどってしまうとは、よほど奥さんを愛しているらしい。
それほどに愛されていて、そりゃあ浮気なんてするわけないか。
心配して損しちゃった。
気を取り直した潔葉は、耐熱のガラスカップから湯気を上げるホットウィスキーを両手で包み込み、一口すすった。
愛妻家……か。
焼けるような喉の刺激に眉根を寄せた。
たった一口のホットウィスキーは、胃までの道のりを、知らしめるかのようにジリジリ焦がしながら通過する。
ガラスカップに視線を落とすと、まるで水中から眺めてるみたに丸い縁がゆがんだ。
ぽとんと涙が一粒落ちて、琥珀色の表面に小さな波を立てた。
「潔葉? どうした?」
落ち込んでる時や悲しんでる時、一番最初に気付いてくれるのはいつも春風だった。
見当違いの優しさでも、嬉しかったな。
「なんでもない。ちょっと酔っぱらい過ぎちゃったかも」
そう言って、中指を目元に沿わせた。
「外の空気吸ってくる」
そう言って立ち上がると、春風も立ち上がった。
「一緒に行くよ」
そんな春風に背を向ける。
「けっこうです。そういうのは奥さんとどうぞ」
ロールカーテンを押して通路に出ると、入口に向かって小走りした。これ以上涙が溢れる前に――。
第一章【完】
第二章に続く
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