僕は君の瞳を見つめて嘘を吐く

神楽耶 夏輝

第一章 新婚初夜に花嫁を寝取られました

第1話 再会は突然に・・・

 ◆◆◆Side―春風


「この設定は無理があるだろう~」


 朝礼前のスタッフ控室。

 朝一番に山道やまみち春風はるかぜを呼び出した店長の田中は、パイプ椅子にふんぞり返り、朝食のメロンパンをかじりながら、けがれた笑顔でスマホをこちらに向けた。

 短く切りそろえたあご髭に、ゆるくウェーブがかかった茶髪。

 付き合ってはいけない3B男。

 そんなタイトルを付けた【ダメンズ図鑑】の表紙にしたくなるような笑顔だ。


 3Bと言うのは、言わずと知れた、美容師、バーテンダー、バンドマン。


 そういう春風も美容師である。


「なんすかそれ?」


「ウェブ小説」

 内緒話のように声を潜めたのは、なぜだ?


「小説とか読んでんすか! いがーい」

 田中のスマホを覗き込むと、たくさんのカラフルな文字が躍っている。何やら【NTR】やら【巨乳】やら【ハーレム】やら、エロそうなタイトルばかりが並ぶ。エロサイトか?と思いきや、ウェブ小説とやらのサイトのトップページらしい。


「これこれ。結婚して3日目に嫁を寝取られた、だって。いくらなんでも設定に無理があるだろう」

 田中はまるで評論家のようにタイトルを読み上げ、笑った。


 春風は笑えない。


「はは。それ実話っすか?」

「なわけねーだろ! フィクションだよフィクション」

「そうっすよねー」


 ――事実は小説より奇なり。


「成田離婚ってやつだ」

「なりたりこん?」

「新婚旅行で海外行ってよー、女は気づくんだよ。自分の選んだ男の頼りなさとか間抜けさに」

 ふむふむと軽く相槌を打ちながら、春風は興味なさげにシザースの調整をする。


「日本に帰って来て、成田空港で、やっぱり私たち合わないわね。ここで別れましょう。なんていう映画が昔流行ったけどさ~」


「それ、寝取られじゃなくないですか?」


「ばぁか! 女にはちゃっかり男がいるんだよ」


 雷に打たれたような刺激が、びりっと心臓を直撃する。


 間近に迫る田中の顔。

 春風は強張る頬に力を入れて、口角を上げて見せた。


「お前は大丈夫だよな~。愛妻家だもんな」

「え? あはは~。まぁ……」


「そろそろ3年か。毎年、結婚記念日にケーキ買って帰るんだろ? 嫁の誕生日も忘れず毎年ちゃんと祝ってるってみんな噂してるぞ。俺もたまにお前のインスタ見てる」


 そう言って田中はニタリと笑った。


 迷惑な事にクリスマスというイベントも待ち構えている。今年はどこのイルミネーションに行って写真を撮ろうかと苦悩せねばならない。


「ははっ。当たり前ですよ。あれ? 今日って11月24日ですか。やべ、明日嫁の誕生日でした。忘れるとこでした」


 なんとかそれらしく、この危機を乗り切る。


「集合お願いしまーす」

 フロアからスタッフの声が響いた。

「行きましょうか」

「おう」


 田中はシャツにこぼしたパンくずを払いながら立ち上がり、春風は腰に装着しているシザーケースにシザースを収めた。まるで鞘に刀を収める侍のように。


「あ! そうだ。忘れてた。今日から新人入る。美人だぞー」

 田中はそう言って不敵な笑みを浮かべ、春風の背中をポンっと叩いた。


「え? もしかして話ってそれだったんですか?」


「そう」


 いつも肝心な事は忘れている。そんな店長田中にも、春風はもう慣れっこだ。


 暮れも押し迫る11月下旬。こんな時期に新入社員とは珍しい。


 フロアに出ると、12人のスタッフは既に横並びに整列していて、対面するように明らかに別人種のような女性が立っている。同じ日本人である事には変わらないが、なんというか風貌がシンプルで美容業界の人間ぽくない。

 黒いぴったりとした薄手のタートルネックに白いワイドパンツ。足元はしゅっとした黒のショートブーツ。カラフルで奇抜な服装ばかりのスタッフの中で、そのいで立ちはぽっかりと浮いていた。


 その横には、毎日朝礼だけ顔を出す、スーツ姿の奥菜おきな百合子ゆりこ社長。

 

 田中と春風もスタッフに対面するように、新人の後ろに立った。


 凛とした後ろ姿から、ひしひしと染み出す緊張感。濃いアッシュブラウンの長い髪を後ろで一つに結んでいる。結び目から垂れるゆるいウェーブヘアはいかにも柔らかそうである。

 ウエストはきゅっと括れ、スタイル抜群じゃないか! 

 しかも田中は美人だと言っていた。

 ワクワクが止まらない。


「じゃあ、挨拶して」

 奥菜社長は新人の肩にそっと手を置き、小さな声でそう言った。


「初めまして」

 凛と澄んだ声が、開店前のサロンに霧散した。


「今日から試用期間ではありますが、一緒にお仕事させて頂く事になりました。美影みかげ潔葉きよはと言います」


 その名を聞いた春風は、足元に落としていた目線を、はっと彼女に向けた。

 

 ――きよは? なのか?


「天の川ビューティカレッジ出身です。表参道シュシュで3年働き、技術を学びました。デビュー前に、美容の仕事を断念しまして……」


 天の川ビューティカレッジは、春風も通った美容専門学校だ。彼女は同期の美影潔葉で間違いなかった。


「結婚を機に、家庭と仕事の両立は私には難しいと判断して、この世界から身を引きました。なので、5年のブランクがあります。この度……恥ずかしながら、離婚しまして――」


 ――離婚したのか。はぁ~ん。

 春風は密かにほくそ笑む。


 潔葉はまだ春風の存在に気付かない。


「美容の仕事が大好きで、もし機会があったら、そのうちと思ってたところに、ここシュガームーンの奥菜社長とご縁があり、ご厚意で今日から皆さんと一緒にお仕事させて頂く事になりました。1からのスタートになりますが、正式採用されるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します」


 潔葉はそう言って、丁寧に頭を下げた。


 奥菜社長と知り合いだったとは――。


 春風が20歳から8年間勤めているここ美容室シュガームーンは中途採用をしない。8年間で初めての事だった。 

 5年もブランクのあるスタッフの中途採用とは、非常に珍しいケースだ。


 潔葉は美容学校時代、成績も優秀で、国家試験は当然余裕で一発合格。

 早々に都内の有名店である表参道シュシュに採用が決まっていた。


 そして――。


 確か、そこのトップスタイリストと結婚したのだ。


「山道ディレクター!」

 急に奥菜社長に名前を呼ばれ、我に返る。

「は、はい」

 

 その声に、弾かれるように振り返った潔葉と目が合った。

「うちのディレクター。山道春風。しばらく彼のアシスタントして勘を取り戻すといいわ。山道ディレクター、お願いしますね」


 有無を言わせない物言いで圧をかける奥菜社長。


「はぁ、はい」


「春風……」

 驚いた顔で、潔葉が呟いた。


「や、やぁ、久しぶり」


 春風は顔の横で小さく手を上げた。


「あら、知り合いだったの?」と、驚く奥菜社長。


「はい。専門の時の同期です」


「あら、じゃあちょうどよかったわ。レッスンに付き合ってあげてちょうだい。1ヶ月間は試用期間。1ヶ月後にテストをするわ。それを経て正式採用となります」


「わかりました」


 春風と潔葉は、美容学校の同期である。


 それ以上でもなければ、以下でもない。


 と言いたいところだが、それ以上だったと言わざるを得ない。

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