第6話 刺激的な夜再び
◆◆◆Side-春風
西洋風を象ったアンティーク調の大きな鏡に恵梨香を映し、春風は最後の仕上げに取り掛かっていた。微妙に色合いの違うインナーカラーを仕込んだ長い髪に丁寧にカールを付けていく。
恵梨香は左右の仕上がりを確かめるように頭を動かすからやりにくい。
180度のカールアイロンが肌に触れないよう、慎重に恵梨香の動きに合わせて操作する春風。
ようやく、ゴージャス系巻き髪を仕上げて、合わせ鏡で後ろ姿を見せた。
恵梨香は顎を上げるようにしてうなづき、OKを出す。
今日は、ショー前の最後の打ち合わせと髪のメンテナンスで恵梨香を呼び出していた。
全て滞りなく済ませて、髪をセットしたところだ。
外はすっかり暗くなっていて、イルミネーションが歩道を明るく照らしていた。
店内には定番のクリスマスソング。他のスタッフはみんな早々に帰っていて、恵梨香と春風以外、サロンには誰もいない。奥菜も夕刻から早々に外出していた。
何せ、今日はクリスマスイブ。夕方からの美容室は案外暇になるのだ。
「この後、予定ある?」
鏡で自分の姿を気にしながら、恵梨香が訊いてきた。時刻は9時。
「いや、特に」
片付けをしながら答えた。
「飲みにでもいかない?」
「ええ?」
思わず作業している手を止めて、恵梨香の方に顔を上げた。
含み笑いで返事を待っている。
「冗談だろ」
そう答えて、作業を再開する。
「冗談じゃないわよ。私も暇なのよ」
「彼氏は?」
「……」
恵梨香は不機嫌なため息を吐いて、そっぽを向く。
上手く行ってるのだな、と春風は思った。
瞳の計画は順調なのだ。クリスマスイブに津田は恵梨香ではなく自分の家族を優先したという事だ。それだけで春風の気持ちは随分と晴れた。
「いいよ。行くか」
受け付けで預かっていたファー付きのダウンジャケットを取り、恵梨香の肩にかけてやった。
その時だ。
入口のガラス戸から、こちらの様子を伺う人影に気付いた。
目を凝らすと、大きな段ボール箱を両手に抱えた潔葉が立っている。
慌ててそちらへ歩み寄ると、しゃんと背を伸ばして、大きな段ボールを渡した。
「お疲れ様。これ、返そうと思って。いろいろありがとう」
それは、潔葉に買ってやったヒーターの箱だ。
「なんで?」
重そうだったので、とりあえず受け取り、そう訊いた。
「お金払おうと思ったんだけど、なかなか厳しくて」
「いいのに、そんなの気にしなくて」
「ううん。それだけじゃなくてね……」
潔葉は緩く笑っているが、珍しく歯切れの悪い口ぶりだ。
「引っ越す事にしたんだ。実家に帰ろうと思って」
「はぁー?、ちょ、ちょっと待て。なんで?」
潔葉の実家は確か、九州の方だ。
「なんかさー、東京、疲れちゃったの。私の居場所はここにはないなーって」
「なに言ってんだよ。仕事やめたぐらいで。バカじゃねーの」
「スタッフさん? よね?」
恵梨香が割り込む。
「はい、元ですけど」
潔葉が尖った口調でそう返した。
「主人がお世話になってます」
わざとらしく恵梨香がそう言って頭を下げたが、潔葉は二人が夫婦じゃない事をとっくに知っているのだ。
どうしたらいいのかわからない春風は、とりあえず手にしている段ボール箱を床に置き、成り行きを見守る事にした。
「今ちょうどクリスマスディナーにでも出かけましょうって話してたところなのよ」
「そうですか。ごゆっくり~。お邪魔しました。では、失礼します」
つっけんどんにそう言って、踵を返した潔葉の腕をつかんだ。
「ちょっと待てって。ちゃんと話そうよ。何もかも勝手に決めるなよ」
潔葉は無理に口角を上げて、何か言いたげに目を細めた。
「よし!」
それを遮るように、春風はこう言った。
「3人で行こう! 3人でメシ行こう」
「「はぁあぁぁ??」」
二人は同時に怒りと驚きを、春風に全力投球する。
せっかく瞳の計画が上手くいってるのだ。今恵梨香を野放しにして、邪魔などされては瞳があまりにも可哀そうだ。
潔葉の帰郷は絶対に阻止しなければならない。そのタイミングは今しかない。
となれば、これからこの3人で飲みに行く!
この方法がベストだろう、と春風は考えたのだ。
有無など言わせない。
壁にたくさん並んだスイッチを、パチパチパチとオフにして店内を真っ暗にした。
外のネオンがチカチカと3人を陽気に照らしていた。
1年で一番、街が盛り上がりを見せる日。
それはクリスマスイブ。
ハロウィンが若者のものなら、イブは恋人たちの物だ。
そんなメロウな夜に、春風は二人の女から痛い視線を向けられ、苦笑をもらしながら街を歩いている。
「さすがにどこもいっぱいだな」
そんな言葉が宙をさまよう。
「あ、そうだ! リア充が行かないような店ならいいかも!」
大きな声で独り言を言いながら、チェーンの大衆居酒屋の看板を指さした。
「さすがに、空いてるだろう」
眉をひそめ、腕組みをしながらついて来る二人にそう言って、雑居ビルに入っていく。
一番気まずいのはエレベーターの中だ。無言の時間は、永遠かと思うほど長く感じた。
無駄に「ふぅー」と声付きのため息を吐き、鼻の頭をぽりぽりと掻く。
通路は既に騒がしい。非リア充の溜まり場はまるで動物園。
訳ありの3人もその檻の中へと導かれるように入っていく。
「3名さまでしょうか」
見ればわかるだろう。
「はい、そうです」
「こちらへどうぞ」
気まずそうな男一人と、ふてくされ気味の女二人。
きっと、誰もそんな事は気にしないのはわかっているが、周りからどんな風に見られているか、春風はつい気になってしまうのだ。
どういう関係ですか? と訊かれた場合、一言で説明するのは難しい。誰も訊かないだろうけれども――。
店員に案内されたのは、4人がけのテーブル席。
そこで、一瞬戸惑い立ち止まる。
どんな風に座るべきか。必然的に2対1という構図になる。誰と誰が隣同士で座るのか。恵梨香と潔葉が隣同士というパターンはない。
一か八かで、春風は最初に奥の椅子に腰かけた。
潔葉と恵梨香は一瞬見つめ合ったが、春風の隣には恵梨香が座った。
その向かい側に、潔葉。
「さぁて。飲もう! どんどん飲もう! 俺が奢るから」
早速、メニューを手に取りながら、案内した店員に「生3つ」と告げた。
「ああ! そうだ。言うの忘れてたんだけど、彼女、俺たちが夫婦じゃないって知ってるから」
そう告げると、恵梨香は「え? そうなの?」と拍子抜けを見せる。
「そう。だから演技しなくていいよ」
「なぁんだ。早く言ってよね」
「ごめんごめん」
「なんで別れたんですか? 二人」
潔葉は恵梨香と春風に向けた人差し指を行ったり来たりさせる。
別れた理由は、潔葉には言ってない。なぜなら知られたくないからだ。
「まぁ、いいじゃん。いろいろあったんだよ」
そこへ、タイミングを見計らったように生ビールが届けられた。
「じゃあ、メリークリスマス! 乾杯」
イヤイヤながらジョッキをぶつける二人。
恵梨香は一口飲んで、ジョッキをテーブルに置いた。
潔葉は一気に半分ぐらいのビールを、喉を鳴らして飲んだ。よっぽど喉が渇いていたのだろうか。そんなわけない。
「盛大な結婚式まで挙げて、入籍しないって、一体どういう事なんですか?」
しつこい。もう酒が回り始めたのだろうか?
「つまみ、頼もうか。潔葉、晩飯食った?」
話の起動を変えるよう声をかけたが、一度走り出した列車は止まらない。
迂闊だった。潔葉の酒癖の悪さをうっかり忘れていた。
潔葉は、残り半分のビールをグビグビと煽り、体内に収めると、早速目を据わらせた。
「わかんないんだよね~。どうして既婚者のふりまでして別れてた事隠してたのよ?」
潔葉は春風をキっと睨みつける。
「それはその~、なんていうか……」
恵梨香はジョッキを握った。
クリスマスツリーのように飾りたてたつめ先が照明に反射し、ギラギラと瞬いている。
持ち上げたかと思ったら、グビグビグビグビと一気に飲み干した。
ドンっとテーブルにジョッキを置き、口の横からこぼれた一筋の雫を手の甲で拭い、潔葉に向かってこう言った。
「そんなに知りたいなら教えてあげるわ」
やめろ! よせ!!
背中から冷たい汗が噴き出す。
「春風、すぐ寝ちゃうから、物足りなくて他の男を呼んだのよ」
「はぁ? どこに?」
「スイートルームに」
「どういう状況?」
潔葉は春風に視線を向けた。
「いや、あの、その、なんて言うか……、明け方目を覚ましたら、バスルームから喘ぎ声が聞こえてて」
潔葉は全てを察したのか、すごい形相ですっくと立ちあがり、恵梨香の頬をバチンっとビンタした。
その音は無駄に店内に響き渡り、非リア充の視線を一気に集めた。
「サイテー!」
その悲鳴にも似た潔葉の叫び声も、無駄に店内に響き渡る。
よほど効いたのか、恵梨香は頬を抑えて固まっている。
「やめろ。せっかくのクリスマスイブだからさ」
潔葉をなだめようとするも、失敗に終わる。
潔葉は、春風の胸倉をつかんで思い切り引き寄せた。
「よくこんな女と、クリスマスディナーしようとしてたわね。ほんっとお人よしにもほどがあるわ」
「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、うっさいわねー。ブス!」
「はぁ? なによ、この淫乱女!」
そう言って、恵梨香の髪を掴もうとした手を、春風は立ち上がりキャッチした。
「やめろ。もう過ぎた事なんだ。もう何とも思ってない。俺はこうして独身で潔葉と再会できた事を嬉しく思ってるよ。だから、一旦落ち着こう」
潔葉はいろいろ言いたそうな表情で、口をつぐんだ。
「ふんっ。ばかばかしい、帰るわ」
そう言って立ち上がったのは恵梨香だ。
はぁはぁと荒い潔葉の息遣いだけが、春風の耳に届いていた。
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