第24話 朱音の秘密~8

 驚く朱音に彼女は説明を続けていた。龍太郎はそれを背後で聞きながらもう一度洗面所で手を洗ってうがいをした後、買い物袋から食材などを取り出し始めた。冷蔵庫や冷凍室、野菜室に入れる物を先に仕舞う。次に細々としたものをそれぞれの場所へ収納した。

 一通り片付けた所で香織の話も終わったらしい。そこで気付いた彼女が駆け寄り謝って来た。

「ごめん。全部やらせちゃって」

「仕舞い方が悪かったら、後で直してくれればいいよ。まずは着替えちゃおう。お腹も空いたし、早く昼食を作らないと。朱音さん、もう少し待っていて下さいね」

 彼女は頷いたが、何か聞きたがっている様子だった。恐らく香織の話は本当なのかを確かめたいのだろう。そこで一言だけ告げた。

「とにかく嘘じゃないですよ。後で話は聞きますから」

 龍太郎達はリビングを出て北側の寝室に移動し、買い物袋をクローゼットに仕舞い、服を脱いで部屋着に着替えた。香織より先に支度を終え、トイレを済ませてキッチンに入った。今日の昼食当番は龍太郎だからだ。

 それを待ちかねていたように、朱音はダイニングテーブルの椅子に腰かけていた体を乗り出し、カウンター越しに質問してきた。

「本当に香織さんは、催眠術をかけたんですか」

 水を流し、もう一度手を洗って冷蔵庫の物などを取り出しながら答えた。

「そうですよ。赤坂先生にかけた所は見ていませんでしたが、寺内という看護師さんにかけているのを確かに見ました」

「それで催眠がかかって、明日ここへ来ると言ったんですか」

「はい。朱音さんの本名って、斎藤あきっていうんですね」

 作業をしながら、まだ半信半疑な彼女に確認すると頷いた。

「そうです。昨日、あわよくばと思って香織さんに教えましたが、まさか成功するとは思いませんでした」

「それが上手くいったみたいですよ。今日予約が入っていた斎藤あきさんの定期検診をお願いします、もちろん他の人には内緒で、香織を診察する名目で検診に来て下さいと、お願いしていました。そうしたら分かりました、明日の朝九時から、一時間ほど見ましょうと確かに言っていましたよ。もちろん病院から来たと分からないよう、衣服などにも気を付けて、この三〇三号室に来てくれると約束してくれました。私も信じられませんでしたが、間違いなく赤坂先生は了承してくれましたよ」

「本当、なんですね」

「はい。だって妊娠していないと分かった人の所へ、訪問診察はしてくれないでしょう。特に何も悪いところだって無かったんですから」

「昨日は半分冗談で言っていたんですよ。香織さんが妊娠していて、訪問診察の為にここへ来た時にでも一緒に診察を受けて貰えるよう、私が催眠をかけようかって。でも目の前に現れた時点で騒がれ、通報される恐れもあるからどうしようとも相談していたんです」

「それっていつの間にしていたんですか」

「昨日龍太郎さんがお風呂に入っていた時です」

「じゃあ朱音さんは昨日、香織が妊娠しているかもしれないと聞いていたんですか」

「そうなんです。龍太郎さんには病院へ行く途中で話すから、黙っていてくれと口止めされていたので。ごめんなさい」

 彼女が頭を下げた為に手を止めて言った。

「朱音さんが謝る必要はないですよ。多分言い出し辛かったんでしょう。余り早く言うと私が悩んだりして、それこそ夜寝られなくなったりするといけないと思ったから気を効かせたんだと思います」

「そう言っていました。でも妊娠していなかったんですね」

 昼食作りを再開しながら頷いた。

「はい。二人でホッとするやらがっかりするやらで、複雑な心境でした」

 そこで着替え終わった香織が入ってきて、話に加わった。

「何の話をしてるの」

「さっき聞いた話を、龍太郎さんに確認していたの。それにしても香織さんはすごい。よく催眠術をかけようと思ったわね」

 同じくダイニングの椅子に腰かけた彼女が笑って答えた。

「だってあのタイミングでやるしかなかったんだもの」

「それで本当にかけてしまうんだから大したものだわ。昨日、そういう場合もあるかもしれないから、催眠術のかけ方を教えて欲しいと言っていたじゃない。あの時は余り深く考えていなかったけど、準備しておいて良かったわね」

「なるほど。そういう流れで教えていたんですか」

「あれ。龍太郎さんは聞いていなかったの」

「はい。香織は何にも教えてくれなかったんですよ」

「だってどうなるか分からなかったから。それにもし聞いていたら、反対されていたかもしれないでしょ」

「どうしてそう思うんだよ」

「だって龍太郎は催眠にかからなかったじゃない。だから余り信用していないんじゃないかと思ったの」

 そう言われればそうかもしれない。香織がかかったとはいえ、自分にはかからなかったのだ。そんな確率の悪い方法を試すのは余りにリスクがあり過ぎる。

 もしあの二人がかかっていなければ、何故朱音の本名を知りまたあの病院に予約を入れていると分かったのか、問い詰められていただろう。その上で警察に通報すると言われれば、止める方法はない。

 朱音という患者に対する守秘義務はあっても、香織は厳密に言えば他の患者とは異なる。そんな人物が犯罪者かも知れない人を匿っていると知ったなら、警察へ報告する義務を優先する確率は高い。よって別の方法を模索しようと、考え直すよう説得していただろう。

 例えば家に訪問診断で訪れた際、頭を下げて口説いてみるとか情に訴える等の方法を試そうとしたかも知れない。そこで朱音本人が姿を見せ、お腹の子の為にと泣き崩れる芝居でも打てば、渋々でも協力してくれる可能性は高かったと思う。

 けれども香織が妊娠をしていないと診断された時点で、それらの手は打てなくなった。よって結果論かもしれないけれど、香織が取った方法は間違っていなかったのだろう。

 それに病院に向かう途中で、香織が妊娠しているかもしれないと打ち明けられた為、朱音の診察の手配をどうするかなんて正直頭の中から抜け落ちていた。

 そうするように仕向けたのだろうが、彼女の判断は正しかったようだ。それにあの時でさえそうだったのだから、もし前日の夜に打ち明けられていた場合、頭が混乱しすぎて眠れず体調を崩していたかもしれない。

 朱音が言った通り、そういう面も含めて彼女はたいしたことをやってくれたものだと、改めて感心した。

 フライパンで野菜と麺を炒め終わった龍太郎は、それを三つの皿に盛ってカウンターに出す。その間に香織が箸と箸置きを三人分出し用意してくれた。

「お待たせしました」

 それぞれが座る席に皿を置き直し、自分も席についた。そして同時に手を合わせる。

「頂きます」

 焼きそばを食べながら、テレビを点けてニュースを観た。新形コロナ関連やそれにまつわる政府や自治体の行動、または事故などについての報道が流れる。その中で柳畑の件についても若干触れられた。

 ワイドショーではない為、事故か事件の両面で捜査が進んでおり、引き続き事情を良く知っていると思われる朱音の行方を捜索中との内容だった。

 特に目新しい情報は無かったが、ネット上では新たな展開を迎えているかもしれない。今日はまだ龍太郎達は見ていなかったので朱音に聞いてみた。

「あれからマネージャーさんからDMはありましたか。あとネットで何か騒がれていませんでしたか」

 箸で麺を絡めて口に頬張っていた彼女は、咀嚼そしゃくし終わってから言った。

「DMは引き続き大丈夫かという連絡だけです。問題なしと打ち返しておきました。ネットもザッとしか見ていませんが、特に無かったと思います」

「名古屋へ向かったという情報は、まだマスコミに漏れていないようですね」

「そう思いますが、また後で見ないと分かりません。こういう情報って、拡散され始めたら早いですからね」

 既に食べ終わった龍太郎は、テレビに視線を向けながら頷いた。

「そうですね。もし警察辺りがリークしたら、この周辺は相当な騒ぎになるでしょう。それが心配です。後は逮捕状が出るかどうかですが、その辺りの動きは事務所も把握していないみたいですか」

「念のため、そういう気配があったら教えてくれるようには書き込みましたけど、まだ無いようですね。もちろんお二人にお伝えした通り、階段から落ちた所なんて見ていませんし、もし落ちて亡くなったとしても意図的じゃなかったとは伝えてありますよ」

「事務所の方々は信じてくれていそうですか」

 彼女は首を捻った。

「分からないですね。文面上は信じています、とは書いていました。だけど何故姿を現さないで隠れ続けるのかを言っていないので、本当は疑っているのかもしれません」

 そうかもしれない。龍太郎達でさえ、お腹の子の件を打ち明けて貰っていなければ、匿い続けるという選択はしなかっただろう。そうした秘密を隠し続けた状態なら、事務所も庇いきれないのではないか。そう思って尋ねてみた。

「妊娠の件はいつまで黙っているつもりですか。当初は無事出産するまで、最低でも安定期に入るまでと言ってましたけど、そういう訳にもいかなくなったんじゃないですか」

 だがそこで香織にたしなめられた。

「それは踏み込み過ぎよ。私達が口を挟む話じゃない。朱音さんと事務所の問題だから」

 もっともだと思い、頭を下げた。

「すみません。余計なお世話でしたね」

「ううん。いいの。龍太郎さんが言う通りよ。少なくとも隠れている事情だけでも知って貰った方が、社長達も安心すると思う。今更ろせとはさすがに言わないだろうし、相手は誰だと言ったってどうしようもないから。とにかく昨日までは逃げる事しか考えていなかったけど、そろそろ表に出る覚悟もしておかないと」

 ようやく食べ終わった香織が目を見開いて言った。

「え? 表に出る覚悟って、どうするつもりですか」

 最後の一口を口に含んだ朱音は、それを飲み込んでから答えた。

「時間を置けば置く程、警察や世間は私が柳畑さんを殺したと思うでしょう。でもそういう理由で身を隠したのではないと、弁明する場だけは設けた方が良いのかもしれない」

「どうやってですか。警察に出頭すれば、そんな事はさせてくれないでしょう」

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