第14話 匿ってはみたものの~5

 その後先程言っていたように、溝口の紹介だと言い診察医を指名した。彼女は年齢を告げ、もし妊娠していれば高齢出産になるからと理由を述べ、なんとかその先生に診て欲しいと切実に訴えていた。

 しばらくそうしたやり取りを続けた結果、とりあえず明日の朝九時に診察してくれると言われたらしい。ただその結果で、訪問診察をするかどうかや担当医を決めると告げられたという。

 電話を切った後、彼女は大きく息を吐いた。

「とにかく明日、診て貰えるみたい。話はそれからだけど、聞いたら産婦人科の担当医は他に一人しかいないんだって。だから赤坂先生が担当医になる確率は高そう。だって本当は朱音さんが見て貰う予定だったけど、キャンセル状態になっているじゃないですか」

 急に手が空いたから診て貰えるかもしれない。そう予想するのは理解できた。だが問題はまた別にある。

「病院と交渉した結果、赤坂先生に会えそうだというのは一歩前進だ。でもそこから先をどうするかだろう。実は妊娠なんかしておらず、マンションに緑里さんがいるから診て欲しいなんてお願いした場合、相手が受け入れてくれるかは賭けになる。通報されてしまえばそこで終わりだ。緑里さんはどう思いますか。その赤坂先生という人は庇ってくれそうだと思いますか」

 彼女は首を捻った。

「正直確信はありません。ただ診察で何度かお話をしました。その際約束は守りますと言って頂き、信用できる人だと思いあの病院で出産すると決めたのです。でもあれから事情が変わっていますから、判断しかねます」

「そうですよね。かといって産婦人科医の協力が無ければ、ここで匿っていても安全だとは言えません。万が一の事態が起きればそれこそ大変ですから。大きなリスクを伴いますが、香織が考えた策を試しても宜しいですか」

「はい。それしかないですよね。これ以上お二人にご迷惑はかけられません。もし失敗して警察に通報された場合は素直に出頭します。正直に話せばお腹の子の件は、マスコミに黙っていて貰えるかもしれませんから」

「事件と全く関係が無ければ、個人的な事情ですから考慮して頂けると思いますよ。ただマスコミは何故逃げたのかと、しつこく追及してくるでしょうけど」

「それは覚悟しています。警察もどこまで箝口令かんこうれいを敷いてくれるか分かりませんが、頭を下げるしかないでしょう。その時は事務所の社長達にも説明するつもりです。ただ相手については絶対口外しませんけど」

 無地出産したとしても、いずれは誰が相手かと騒がれるはずだ。最悪妊娠していると分かっても、公になるのが予定より早まったと考えるしかない。後は周りの騒動に巻き込まれてお腹の子に障らないよう、安静に出来る環境でいられるかどうかである。

 ただその先を今考えても良い答えはすぐに出ない。とにかく明日、香織と一緒に病院へ行き、そこで先生に打ち明けてからだ。そう結論付けて取り敢えず今は緊張を解き、これ以上難しい事は考えずにゆっくり過ごそうと三人で話し合った。

 時計を見ると、もう夕方の四時近くになっていた。今日の夕飯の準備は龍太郎の番だ。午前中の買い物で、たらさけの切り身にあじの干物を買ってある。

 しかしそれぞれ二切れまたは二尾ずつしかなく、緑里の分が足りない。そこでソファに腰かけていた龍太郎は、急遽三人分の食事の献立を考え始めた。

 予定では鱈のソテーに、副菜として南瓜かぼちゃと小松菜とシメジを煮て胡麻ごまえたものを作るつもりだった。野菜などはまだあるから、量を増やせば済むだろう。

 ただそれだと主菜の魚の量が物足りない。ならばいっそ鮭も一緒にソテーして、三つに切り分けたらどうか。それに副菜をつけ、ご飯をいつもより多く炊けば何とかなる。

 そこで気が付く。明日以降の食事を考えれば買い足しが必要だ。そう思い、隣に座っていた香織に小声で話しかけた。

 話が一段落してから、彼女は小説を読み始めていた。ちなみに緑里は隣の洋間で横になっている。聞いた所、昨夜は余り良く寝られなかったらしい。それはそうだろう。新幹線で名古屋へと向かう途中、大事になっていると知ったのだ。

 しかもそれなりの心構えを持ってここまでやってきたが、早くも警察に嗅ぎ付けられてしまった。その為逃げまどい、結果見知らぬ人の部屋に転がり込んだのだから、心労が重なっているに違いない。疲れも溜まっていたのだろう。

 眠っているかもしれないので起こさないよう、囁くように言った。

「食事の件だけど、今日買い足した食材では次の買い物までもたない。だから明日、病院へ行った帰りにまたスーパーへ寄りたいんだけど」

 本を一旦閉じ、彼女は頷いた。

「そうか。二人分で考えて買っているから、当然足りないよね。今日の夕飯もどうしよう」

 先程考えた内容を告げると、また頷いた。

「それで良いと思う。だったら明日は鯵の干物一つと、木曜日以降に考えていた献立の前倒し分を追加しないとね」

「朝食べるパンとお昼の麺もだ。でも大丈夫かな。緑里さんの好き嫌いを聞いておいた方が良いね。アレルギーがあるといけないし」

「そうだ。卵とか蕎麦、小麦やカニなどの甲殻類、果物や牛乳もあった。私達は全くないけど命に係わるからね」

「魚や魚卵もあるよ。どうする。まだ夕飯の準備まで時間はあるけど、確認しないとまずいよな。好き嫌いだとか味付けもそうだけど、妊娠しているから食べられない物もあるんじゃないか」

「控えた方が良いものってあるかも。調べた方が良いかな」

「その前に本人から聞いた方がいいよ。でも寝てるかもしれない」

「ちょっと見てくる」

 腰を上げた彼女は静かにゆっくりと引き戸を開け、隙間から覗いた。それから小声で話しかけた。

「朱音さん、起きてますか」

 どうやら熟睡はしていなかったようだ。直ぐに返事が返ってきた。

「はい。大丈夫です」

「ああ、横になったままで結構です。食事なんですけど、」

 香織がそう言いながら隣の部屋に入っていき、色々質問をしていた。いいえ、はい、ありません等という声だけが聞こえる。

 しばらく経って香織が戻ってきたので、隣に座ってから尋ねた。

「なんだって」

「アレルギーは無いみたい。好き嫌いも特にないから、何でも構いませんって恐縮されちゃった。あと妊娠中で気を付けるのは煙草たばことかアルコールの他にはカフェインだって。二人とも吸わないしお酒もここ最近全く飲んでないから、特に気を付けることは無さそう。飲み物もほうじ茶だから、カフェィンは少ないよね。生魚とか生卵、生肉や加熱していないチーズも駄目みたいだけど、私達だって滅多に食べないから大丈夫じゃないかな」

「そうか。味付けは二人共薄味だからもしかすると物足りないかもしれないけど、その辺りは醤油とかの調味料を出して自分で調整して貰うしかないか」

「うちは塩分の取り過ぎに気を付けているから、妊婦さんの体にもいいと思うけど」

「とにかく一度食べて貰うしかないな。でもアレルギーが無いのなら助かるよ。あると作るのも大変だから。あと朝はパンで、昼は麺、夜はご飯だけどそれでいいのかな」

「いいみたい。彼女も朝はパン派だって。麺もご飯も好きだから大丈夫だって言ってた」

「そう。だったらいいか。それなら明日はパンと麺の他、野菜も多めに買っておこう」

「じゃあ次の買い物はいつにしよう。ずらした方が良いかな」

「そうだな。今回は一日だけずらして金曜日にしようか。ただ次回からはいつもの曜日に戻そう。一回で三人分買うから荷物は多くなるだろうけど、回数を増やすよりはいい」

「そうだよね。できれば生活のリズムは変えない方が良いと思う」

「うん。ただでさえ明日以降、今までと同じって訳にはいかなくなるだろうからな。変えずに済むなら、そのまま維持した方が精神衛生上もいいだろう」

「じゃあ、そうしよう」

 そこで少し雑談をした後、いつもより早いが龍太郎は夕飯の準備に取り掛かる為、キッチンへと向かった。普段と段取りが違うので、念の為に時間を多く取ろうと思ったからだ。

 香織は引き続き本の続きを読み始めていた。五時を過ぎればテレビを点け、チャンネルをニュースに合わせる。そのまま食事の用意が出来るまで、彼女は本を読むかしながら待つのだろう。

 龍太郎はいつもより米を多めに取り出し洗い、炊飯機のスイッチを入れる。ご飯はいつもその日に食べる分しか炊かない。多めに用意し冷凍しておけば手間は省ける。しかし二人共炊きたてが美味しいと思っている為、作り置きは基本的にしないからだ。

 けれど今回は緑里がどれだけ食べるか分からないので、増やして炊いた。お腹の子の分の栄養も必要だし、残ったら冷凍保存しておけばいいと割り切る。

 それから野菜などを取り出して切り、鍋に入れ出汁だしで煮込む。フライパンに油を薄き、魚を焼き始めた。いつもとはそれぞれ分量が異なるので、やや戸惑いながら手を動かす。

 そうだ。皿も用意しなければならないと気付く。香織と暮らし始めた際、食器は彼女の家とこの家のものと合わせれば、余りにも多くあり過ぎたのでかなり処分した。それでも割れたりした場合の予備として、若干残した食器があったと思い出す。

 それらを棚から出し箸なども準備した。ダイニングテーブルは、以前からここで使用していた四人用のものがあり椅子も四脚あるから問題ない。

 料理を盛りつけカウンターに置き、少し悩んでテーブルにセットした。また普段は出さない調味料を用意して机に置く。いいタイミングで電子音が鳴る。ご飯が炊けたようだ。

 香織の分はいつも通り少なめで茶碗に盛った。龍太郎はやや多めで、緑里の分はその中間ぐらいにしておく。二人はおかわりしないため、普段ならジャーは空だが今日は一杯分だけ残っている。

 まだ外から日差しは入って来ていたけれど、本を読むには暗い為に部屋の明かりは点けていた。いつもなら厚手のカーテンを閉めるのはもう少し後だが、緑里がいるので早めに済ませる。こうしておけば、近くに寄り影が映らない限り外からは見えない。この部屋に三人いると知られれば、間違いなく不審がられるからだ。

 それから声をかけた。

「お待たせ」

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