第15話 匿ってはみたものの~6

「は~い」

 返事をした香織は隣の部屋に行き、緑里を呼んだ。龍太郎はキッチンから回り込み、椅子に腰かける。いつもは奥の窓際の席が龍太郎で真向かいは香織だ。しかし今日は奥に緑里を座らせ、真向いに香織、その横に龍太郎が座る位置にした。

 姿を現しテーブルに近付いてきたため、椅子に座るよう促す。だが彼女は落ち着かない様子だったので、念の為に説明した。

「お口に合うか分かりませんが、味が薄かったら足して下さい。ご飯も固いとか柔らかいとか気になるようだったら、遠慮なく言って下さいね。量も足りるかどうか。ご飯ならまだありますので、おかわりもできますよ」

「いえ、これで十分です。有難うございます。料理は龍太郎さんがいつもお作りになるんですか」

「いいえ。香織と交互に担当しています。明日の朝は彼女が用意し、お昼は私で夕飯は彼女が作ります」

「珍しいですね。でも夫婦で家事を分担するというのは良い事だと思います」

「まあうちは二人共無職で、家に居る時間が長いですから特殊だと思います。それより冷めないうちにどうぞ召し上がってください」

「はい。それでは頂きます」

 ようやく緊張が解けたのだろう。緑里は手を合わせ、箸を手に取りまずは鱈を一口大に切り口に入れた。好みに合うかどうか気になったけれど、余り人が食べている所をじっと見るのは失礼だ。その為龍太郎達は何食わぬ顔をして食べ始めた。

 それでも反応が気になり横目で観察する。彼女は何も言わず、次に南瓜をつまみ頬張った。それからようやく感想を口にした。

「美味しいです。お二人の出身はずっと名古屋ですか」

 これには香織が答えた。

「私はそうです。彼もこちらの出身ですが転勤族だったので、あちこち行っています」

 東京に出て、その後異動して四か所に移り住んだと説明する。

「そうですか。私は東京出身ですけど、年を取るにつれて出汁が効いた京風の薄味が好みになりました。これってそうですよね」 

 龍太郎は香織と目を合わせ、苦笑いして答えた。

「はい。実は私達もそうなんですよ。昔は味が濃くても良かったんですけど、段々薄口になりましたね。と言っても本当の京風は色が淡くても塩分がしっかりしていますから、薄口という表現が正しいかどうか分かりませんが。緑里さんとは同い年だから、やっぱり年齢が関係するのかもしれません」

 彼女も笑った。

「そうかもしれないですね。名古屋だと味噌味のイメージが強いので、もっと味が濃いのかと思いました。叔母の作る料理はそうです」

「ああ、味噌はやっぱり赤味噌です。でもうちは出汁と合わせて、やや薄目かもしれない」

 香織も頷いて話を続けた。

「もともと二人共、辛い物とか味が強いのが苦手なので、調味料とか滅多に使いません。素材そのものの味で十分だと思うタイプだったから、そういう相性は良かったと思います」

「結婚すればずっと同じものを食べるのだから、味覚が合うって大切ですよね。お二人が羨ましいです」

 褒められ照れ臭くなった龍太郎は、頭を掻きながら言った。

「確かにそういう点でストレスを感じなかったから、一緒になったというのはありますね。後はお互い心に傷を負った同士なので安らぎを求めた結果、こういう形を取ったというのが正直な所です」

 それから二人に離婚経験があることや、その原因などを彼女に告げた。龍太郎の場合は、妻が転勤先の大阪の水が合わなかった点が大きいけれど、それだけではない。やはり生活して初めて分かる、生活のリズムや相性も悪かったのだろう。

 それをり合わせてこその結婚生活なのだろうが、龍太郎は仕事の忙しさにかまけてそれを怠った。彼女はそれも気に食わなかったに違いない。

 周囲に親しい友人はおらず、唯一頼れるのが夫しかいなかった。その相手と話や生活習慣が合わないのなら、一緒に居てもストレスになるだけだ。

 いま思えば彼女もある意味、「引き籠り」状態だったと言える。他人と会話を交わす時間も少なく、気の置けない人達とは離れているので会う機会も少ない。本心から話せる身近な存在の欠如から、孤独を感じていたのだろう。龍太郎はそれに気づいてやれなかった。

 香織の場合は、夫の金遣いが荒くて金銭トラブルを起こしたからだ。しかし他にも子供が産めなかったという点が、夫婦のすれ違いを生んだらしい。

 八年間の結婚生活の間で、六年は不妊治療に費やしていたという。それでも叶わなかったことが、夫やその両親達には不満だったと思われる。

 といってそのストレスを晴らす為、ギャンブルをして家族に迷惑をかけていい訳が無い。離婚事由の非は夫側にあったことから、それなりの慰謝料を払わせて別れたと聞く。 

 それを機に、このマンションへと戻ってきた彼女は親と同居を始めた。その後父親の死をきっかけに会社を辞め、母親と二人で暮らし始めたのである。

 二人の関係が深まった始まりは、龍太郎の両親達が事故死した時だ。当時埼玉にいたが慶弔休暇けいちょうきゅうかを取り、葬式などの手配に追われた。それを手伝ってくれたのが同じ分譲マンションに住むかつての小中高の同級生で、両親達とも交流があった香織やその家族だった。

 マンションを相続した後、残された遺品の整理や分譲賃貸として貸し出す手配などに力を貸してくれたのも、当時まだ健在だった彼女の両親、高山たかやま家の人達である。

 その後龍太郎がうつ病を再発し、二度目の休職を経てこのマンションへと移り住んだ時も大変世話になった。香織はその前年に父親を亡くし、体調を崩した母親の介護の為に会社も辞め大変な思いをしている時だった。にも関わらず龍太郎の面倒まで看てくれたのだ。

 一人暮らしでまともに外へ出られず、また食生活も荒れていると知ったのは彼女の母親が先だった。自分がそうだったからか、龍太郎の体調が気になったらしい。寝たきりというほどで無かった為、一度様子を見る為に訪ねてくれたのだ。

 その時の状況を香織に話し、こういったと言う。

「私の世話で大変だろうけど、龍太郎君の様子も時々でいいから看てあげて。食事も二人分用意するのが三人分になっても、それほど手間は変わらないでしょ。あの子、一日中寝てばかりいるみたい。食事も出前とかコンビニ弁当とか、インスタントで済ませているようなの。あれじゃあ余計に体を悪くするわよ」

 高山家と仁藤家は、香織と龍太郎が小学校から高校まで同じ学校だったこともあり、長い付き合いだった。当時本人達はそれほどでもなかった。

 それどころか龍太郎は彼女を避けていたくらいだ。同じマンションに住んでいると知った同級生達に、付き合っているのかとからかわれていたからだろう。

 大人になって考えれば、小学生や中学生によくある子供の戯言たわごとでしかないと分かる。ただ昔から軟派な男は格好悪いと勘違いしていたからだろう。変に意識してしまったのだ。 

 よって中高も同じだった経緯もあり、校内や友人達の前ではなるべく香織と距離を置くようにしていた。それでもマンション内で会った時だけは、普通に会話をしていたと思う。

 彼女も多少は意識していたのだろうが、高校に入った頃に彼氏が出来たと聞いてようやくホッとした面もありながら、どこか落胆していた自分もいた記憶がある。

 香織と噂される前も後も、何人かの女性に好意を持っていたのは確かだ。けれど付き合うことなく高校を卒業し、その反動もあって大学に入り直ぐ彼女を作った。 

 それから二人の女性と関係を持ったけれど、一年以上続くことなく別れた。その程度の恋愛経験しかないまま結婚したからだろう。女性の気持ちに対する理解不足もあり、結局離婚してその後はさらに縁遠くなったのだ。 

 香織とはそういう関係だったが、親同士は学校や教育、進路等について情報交換や相談をし合っていたらしい。高校卒業後の進路で龍太郎達はそれぞれ離れたけれど、同じマンションに住む親達の関係はその後もずっと続いていた。

 だから葬式の際、彼らは本気で涙を流し悲しんでくれたのだ。よって何かといえば気にかけてくれたのである。一人娘しかいなかった高山家にとっては、龍太郎を息子のように思ってくれていたのかもしれない。

 その為に龍太郎が体調を壊しマンションへと戻って来た時、他人事とは思わず世話を焼いてくれたのだろう。香織にとっても放って置けなかったと、後に教えられた。

 そうした二人の関係がさらに接近したのは、彼女の母親が病死してからだ。互いに親を亡くした上に同じ無職という立場だった共通点もあり、慰め合いながら傷を舐め合い倒れないよう支えていた。

 当初は彼女が食事を作り、家に運んでくれていた。だが徐々に体調を回復した龍太郎は、彼女の家を訪ねて母親と三人で食べるようになった。そこで皿洗いなどを手伝い始め、また彼女の母をベッドに運ぶといった力仕事を、香織の代わりにしていたのだ。

 また高い所など手が届きにくいものを取る等、龍太郎が出来ることは率先してやった。そうして自分の部屋の掃除や洗濯といった家事を少しずつ出来るようになった龍太郎は、香織に教わって料理もするようになったのである。

 そうした経緯もあり、彼女の母親の死後は二人で部屋を行き来していた生活より、一緒に住んだ方が経済的にも得だという話になった。そこから互いに今後の老後生活を考えた上で気が置けない楽な関係であるなら、事実婚でもいいから暮らしてみるのもいいと思い、最終的には正式に結婚しようと決断したのである。

 食事を終え、皿を洗いならがそうした話を一通りした所でリビングへと移動した際、緑里は言った。

「羨ましいです。お辛い事があったのは確かでしょうけど、それらがあったからこそ今のお二人の暮らしが成り立っている訳ですから。私もそうですが、折り返し地点は過ぎたとはいえまだこれから先の人生があります。それをどう生きるかって、すごく大切ですよね」

「これから将来どうなるか、経済的な状況など色々不安はありますけどね。でも香織がいなければ、今の自分は無かったと思います。こうしたコロナ禍で閉塞感のある世の中になっても、変わらず平穏な生活が送れているのは二人でいるからでしょう。もし一人だったとしたら生きていないかもしれません」

 龍太郎の言葉に横で座っていた香織も深く頷いた。それを見た彼女は険しい表情で恐々こわごわしながら聞いてきた。

「もしかして死にたいとか、考えたりしたのですか」

 香織は肯定したが、龍太郎は否定した。

「私の場合はそこまで思い詰めたりしなかったです。実は香織も知っている、社会人になっても仲の良かった中学からの親友が、一人自殺をしているんですよ」

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